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客席6番 〜マダム 愛生(あい)⑤ 手紙〜
拝啓
風に冷たさの残る浅春の折、お健やかにお暮らしでしょうか。
突然の手紙にさぞ驚かれている事かと思います。貴方に手紙を出す事は、とても悩みましたが、私自身の区切りのためにも筆を取る事にしました。
先日、母の一周忌の法要を終えました。私の気持ちも少し落ち着き、改めて、母、父、貴方の事を私なりに考えました。
母は、亡くなる時、私に言いました。幸せな良い人生だったと。そして、楽しかったと。
父に離婚を切り出された時、母はとても辛そうでした。父は、時間をかけて、離婚後も母が不自由なく生きていけるように準備し、母の気持ちが落ち着くのを待ち、離婚をしました。
気持ちが落ち着くのを待ったとはいえ、離婚は母に大きなダメージを与えました。そんな母の姿を見て、私は父と貴方を恨みました。憎かった。
父と離婚後も、母も私も、経済的には何不自由なく生活できました。私は大学院まで卒業させて貰い、その点では父に感謝をしています。
しかし、経済的に不自由でなければそれでいいというわけではない事は貴方にもご理解頂けると思います。私の憎しみも決して消えるわけではありません。
でも、母は幸せだったと言って亡くなったのです。母は、とうの昔に父の事は割り切っていたのでした。そして、経済的に不自由のない生活の中で、母らしく楽しく暮らしていたのだと、母が亡くなった後に、母の友人から聞きました。
私は、胸を撫で下ろしました。母が亡くなる時に言った"幸せだった"という言葉に偽りが無かったことに。
そして今、病床での父、亡くなった時の父を思い出し、父はどうだったのだろうかと考えるようになりました。
貴方から父の余命がわずかと手紙を貰い、苦々しく思いながらも、血の繋がりというものは不思議なもので、憎みながらも父の様子が気になってしまった私は、こっそり病室を見に行きました。そこには、穏やかな顔で貴方と会話をしながら、貴方の絵を描いている父がいました。私と母を捨てたのに、幸せそうにしている父が許せなかなった。行かなければよかったと後悔をしました。でも、再度、貴方から父がもう長くないと手紙を貰い、思い切って、父に会いに行きました。父は、私を見て、目を見開き、立派になったなと言って涙を流しました。そして、何度も申し訳なかったと謝りました。私は、父に幸せなのか聞きました。父は、申し訳なさそうに幸せだと答えました。私は複雑な気持ちで何も答えられませんでした。その後、すぐに父が亡くなったと知らせを貰いました。だから、もしかしたら、私が父に会いに行った事を聞いてないかもしれませんね。
貴方には伝えていませんが、葬儀にも行きました。父は幸せそうに穏やかな顔で眠っていました。
私は父の事が好きでした。母と離婚をするまでは。父は、本当にいい父親で、優しく暖かい、ちょっと間の抜けた所が、周りの人を和やかにする、そんな人でした。私は、父を憎みながらも、やっぱり好きだったのです。
だから、幸せそうな顔をした父を見て、苦々しいのに、幸せでよかったと思っている自分がいました。
今、自分が離婚した頃の父と近い歳となり、まだ父のした事を息子として許す事は出来ませんが、1人の男としてドラマのような恋をした父を少しだけ羨ましく思います。
まだ今は心から2人を許す事はできていませんが、貴方にはお礼を言います。
最後に父に会わせてくれて有難う、そして、
父を幸せにしてくれて有難う。
これから先も、貴方とお会いする事は無いと思いますが、どうかお元気で。
そして、貴方も、もう遠慮する事なく、この先の人生を幸せに生きて下さい。
敬具
○○年○月○○日
壬生大知
壬生愛生様
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