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客席1番 〜蓮さん 前編〜
"nightist"は、毎日、常連客でほとんどの席が埋まる。
そして、なんとなく、みんな席が決まっている。
客席1番には、開店当初からの常連客の蓮さんが座る。恐らく、40代の素敵な男性だ。
蓮さんは、ほぼ毎日来店される。
そして、必ず、ホットコーヒーを注文する。
コーヒーは、このお店のウリの1つだ。
オーナーのご主人が、この辺りでは有名なコーヒーの焙煎家で、そのご主人のコーヒーを使っている。注文が入ると、豆を挽き、1杯ずつ丁寧に淹れる。
最初は、なかなか上手く淹れる事が出来ず、オーナーの息子の樹さんに、
「あの豆を使っているのになんでだろう」
と、優しく呆れられたものだ。
最近、やっと美味しく淹れられるようになり、1人でお店を任して貰えるようになった。
オーナーは、コーヒーを淹れるのがとても上手で、オーナーが淹れるコーヒーは、オーナーのご主人より、樹さんより、誰より美味しかったらしい。
蓮さんは、オーナーのコーヒーの味を知る人の1人だ。
そんな人に、私の淹れるコーヒーは、どう思われているんだろうと不安になる。
蓮さんは、24時を過ぎると来店される。
今日もそろそろ来店される頃だ。
ドアが開き、店内に新鮮な空気が流れ込んでくる。
"やぁ"と言うように少し右手をあげて、蓮さんが入って来た。
「いらっしゃいませ」
私も、微笑みながら静かに言った。
慣れた店内を慣れた足取りで客席1番に向かう途中で、
「今日はホットコーヒーを2つで」
と、私に告げる。
えっ?
思わず、目を見開き、
「2つですか?」
と聞き返してしまった。
"しまった!"自分に舌打ちをする。
このお店の客人たちは、聞かれたり、踏み込まれたり、距離を縮められたりする事をとても嫌う。
わかっていたのに、あまりにも意外で。
この店に、複数人で来た人は見た事がない。
そもそも、このお店は、基本1人席しかない。
椅子はどうする?
丸椅子ってわけにもいかないよね。ソファなんて重くて動かないし。
と、短い間に、焦ったり、戸惑ったり、目をパチクリさせている私を見た蓮さんは、全てを察したように小さく笑い、
「今日だけは特別にコーヒーを2杯頂きたい。席はいつもの席で、椅子も1つで構わないから。」
と、優しく言うと、客席1番に向かった。
私は、ふぅっと息を吐いた。
よかった。
不愉快にはさせなかったみたいだ。
私は、よくわからないまま、丁寧にコーヒーを2杯淹れた。
そして、ホットコーヒーを2杯、客席1番の蓮さんの席に運んだ。
「どうぞ」
大きくは無いテーブルに、1杯は蓮さんの前、もう1杯は蓮さんの向い側に置いた。
あれ?今日はパソコンがない。
蓮さんは、有難うと言って、すぐに一口飲む。
「ここのコーヒーは本当においしいね」
と、目を瞑り、コーヒーを味わっていた。
「すみません。オーナーやご主人、樹さんが淹れればもっと美味しいと思うのですが。」
蓮さんがクスッと笑った。
ドキっ。
こんな風に蓮さん笑うんだ。
「確かに最初は酷かったよね。樹くんに試して欲しいって言われた時は、正直、これはどうしたことかと思ったけど。樹くんも、なんでこの豆でこの味になるんだろうって不思議がってたし。」
そう言って、その時の味を思い出したようで、クククっと笑った。
今日の蓮さん、なんだかいつもと違う。
「でも、今は、樹くんと変わらない味になっているよ。」
と言って、優しく笑いかけてくれた。
やっぱり違う。
私は、すぐに顔に出てしまうのだろうか。
蓮さんが私が思っている事を察したように
「いつもの僕と違うでしょ。」
そう言って微笑んだ。
「はい。」
思わず、正直に言ってしまい、慌てて口を押さえる私に、ニコニコ笑いながら言った。
「君は正直だね。実はね、今日は妻の命日なんだよ。だから、今日は仕事の事を忘れて、妻のことをたくさん考えて過ごす事にしているんだ。仕事中は、スィッチが入ってしまって、ついつい厳しい顔になってしまうけど、今日だけはね。」
そうなんだ。だからパソコンも無いんだ。
それにしても、蓮さんの奥さん、亡くなったんだ。経験不足の私には、こんな時、何を言えばいいのかわからない。
よほど私の表情がわかりやすいのか、私の戸惑いを察した蓮さんが
「ごめんね。急にこんな話されても、どう返していいかわからないよね。」
そう言って、小さく笑い、前に置かれたもう1杯のコーヒーを見つめながら、またひとくちコーヒーを飲んだ。
「私、蓮さんの奥様の話、聞きたいです。もし、よろしければ、今日は、私に奥様のお話をしてくださいませんか?」
私は言わずにはいられなかった。
わかっている。
この店の客人たちは、聞かれたり、踏み込まれたり、距離を縮められたりする事をとても嫌う。
でも、今日は蓮さんが奥様の事を誰かと話たいんじゃないかと感じた。
蓮さんは、意外そうに私の事を見て言った。
「有難う。実は、今日だけは誰かと話がしたくて、話を聞いてくれるならとても有難いよ。」
そして、一拍おいてから、
「でも、1時間だけ、妻と2人でコーヒーを飲ませて貰ってもいいかな。」
少し照れ臭そうに言った。
私は、ニッコリ笑い、
「もちろんです。1時間経ったら、また来ますね。」
そう言って、客席1番を離れた。
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