客席2番 〜まりあ 前編〜

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客席2番 〜まりあ 前編〜

夜が深くなる。 その頃になると、店のドアにかけられた小さな看板にぼんやり温かな光があたる。 "nightist” ここは、夜中だけ開くカフェ。 私は、この店の店員、愛美夜(あみや)。 今日も、眠らない私と眠れない人々が、この店の柔らかな光の下に集まってくる。 「こんばんは〜。」 と言いながら、栗色の長い髪をサラサラとなびかせながら、まりあが入って来た。 この店の客人は、だいたいいつも決まった席に座る。まりあは、いつも客席2番に座る。 お客様を呼び捨てで呼ぶのはどうかと自分でも思うが、まりあ自身がそう言うから仕方ない。 初めて話した時に、”まりあさん”と呼ぶと 「まりあでいいよ。」 そう言ってニッコリ笑った。まりあは、とても美しい。小さな顔に、丸みのある形の良い額、印象的な大きな瞳、少し厚みのある小さな唇。思わず見惚れてしまう。 「えっと、でも、お客様だし」 と、私が戸惑っていると、 「まりあ以外は、受け入れてませーん。」 人差し指を立てて左右に振りながら、イタズラっぽく笑った。その笑顔は、超ド級の可愛いさだった。これは、もう凶器だ。男でも女でも誰もが撃ち抜かれ即死だ。 「じゃあ、まりあで」 と遠慮がちに言うと、満足したようにニッコリ笑って頷いた。この笑顔に抗うことなんて誰もできないと思う。 まりあは、比較的新しい客人で、3年くらい前から来店するようになったと聞いている。 まりあは、蓮さんを始めとした他の多くの客人とは違い、夜、全く眠れないわけではないようだ。現に、まりあは、時々、ソファでウトウトしている。 以前、まりあ本人から聞いた話によると、彼女もオーナーに誘われてここに来たらしい。 理由は聞いていないが、まりあは、父親と折り合いが悪く、夜、父親が帰ってくると、息苦しくなり、家に居場所を見つけられず、何度も家出を繰り返し、ふらっと立ち寄った夜が明ける直前の公園で、霧の中から出てきたオーナーに、私同様、この店にくるように言われたらしい。 まりあは、その出来事について、 「10年近く眠り続けてるオーナーに会って、お店に誘われるなんて、これはもうホラーだよね。」 そう言って、ケラケラ笑った。 まりあは、色々辛い事があっても、とても明るく、そして、よく笑う。 彼女は、今、大学院生で、今年から一人暮らしをしている。もう、自分の部屋に居場所はあるはずだ。 でも、まだこの店に毎日のようにやってくる。一人暮らしが寂しいというのもあるとは思うが、それだけもないように思う。お店に来ると、時々、眠りながら泣いていたり、ふとした瞬間に、寂しそうな表情を見せる。 そんな姿を見る度に、私の心は、ギュッと締め付けられた。そして、まりあには、この店が必要なんだと感じる。 「こんばんは〜。」 と言って入って来たまりあ。いつものように明るい声だ。にこにこ笑っていつも通りに見える。でも、何かおかしい。なんでだ? 店に入り、カウンターに向かって来て、そのままカウンター席に座った。 いつも通り、生クリームたっぷりのココアを注文しても、そのままカウンター席に座ったままだ。 やっぱり変だ。 ココアを一口飲んで、 「ねぇねぇ愛美夜さん、聞いてよ。今日さぁ、大学でね…」 と大学での話を始めた。 客人が何かを話したいなら、私はその話を聞く。 私は何の役にも立てないし、経験不足で、何を答えたらいいのか、どんな言葉をかけたらいいのか、わからないこともよくあるが、それでも、私なりに、一生懸命、話を聞く。 だから、まりあが話したいなら、その話を聞く。 まりあは、しばらく、大学で起こった事を話していた。 そして、わかった。今日のまりあの違和感。 明る過ぎるし、饒舌すぎる。 よくよく見てみると、ほんのり頬がピンク色で、かすかにお酒の匂いがした。 このお店では、アルコールは出さない。ここに来る前に、どこかで飲んできたようだ。 こんな事は始めてだ。まりあは、普段、お酒を飲まない。あまり強くないというのもあるが、そもそもアルコールが好きではないと言っていた。 まりあ、どうしたの? きっと、話したい事があるはずだ。 それは、大学の話ではないはず。 でも、まりあは話さない。 だから、私も、今は敢えて聞かない。 私は、まりあが話したくなる時まで待つ。 まりあは、ひとしきり、大学の話をした後、フゥッと大きなため息をついた。 そして、冷めたココアを飲み、今までの笑顔が消えた。
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