客席2番 〜まりあ 後編〜

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客席2番 〜まりあ 後編〜

「ねぇ、愛美夜さん。」 今までとは違う低いトーンで話し出した。 「私、今日、ちょっとお酒飲んでるんだよね。」 そうね。知ってる。 「めずらしいね。」 静かに言う。 「なんかね。この辺が苦しくって。」 そう言って、喉元から胸のあたりに手を置いた。さっきまでの明るさは消え、苦しそうな表情で、カウンターの一点を見つめる。 「私でよければ聞くけど。」 視線を上げて、私を見たその大きな瞳にいつもの輝きは無い。 「その前に、ココアのおかわりを入れようか。」 まりあは、黙ってコクリと頷く。 まりあの前に、生クリームたっぷりの温かいココアを置く。猫舌のまりあのために、まりあのココアのは少し低めの温度にしている。 ありがとうと言って、両手でカップを包んだ。 そして、静かに話し出した。 「今日ね、パパが倒れて救急車で運ばれたの。」 感情がすぐに顔に出てしまう私は、思わず、息が止まり、大きく目を見開いてしまった。 そんな私を見たまりあは、 「大丈夫。死んでないから。」 と言って、少し笑った。 「でもね、一時は本当に危なかったの。お姉ちゃんからパパが倒れたって連絡があって、すぐに病院に来るように言われたんだけたど、私、すぐには行けなくて。私、パパとは色々あって、このまま居なくなってくれたらとか絶対に思っちゃいけない思いがよぎったの。そんな自分も怖くて。でも、やっぱり父親だし、いなくなるかもしれないって思ったら、それも怖くて。震えが止まらなくなって。」 まりあは、その時の気持ちが蘇ったようで、両手で自分の事を抱きしめるようにした。そして、話を続けた。 「私のパパ、とても厳しい人で、小さい頃から、毎日毎日、習い事に行かされて、学校の登下校も大学生になっても運転手の送迎で、もちろん、そういう友達もいっぱいいたけど、私は普通に友だちと放課後を過ごしたりしたかった。でも、パパの束縛は尋常じゃなくて、私は、1人でどこかに行く事を全く許されなかったの。」 毎日習い事、運転手の学校への送迎、恐らく、まりあは裕福な家庭のお嬢様なのだろう。 「5歳上のお姉ちゃんは、クールな人で、そんな生活でもうまく利用すれはいいと言って、賢く暮らしていたけど、私はそんなに器用じゃないから、とにかく窮屈で、大学生になると何度もこっそり1人で外出したの。でも、いつも絶対にバレて、家に連れ戻されて、夜になってパパが帰ってくると厳しく叱られたの。もちろん、暴力を振るわれる事は無かったし、声を荒げる事も無かったけど、鬼の形相で、とにかく圧がすごくて、ものすごく怖くて。」 そう言って、肩をすくめる。 「それでも、家にいると息苦しくなって、時々、夜、パパが帰って来ると家を抜け出して、夜が開ける頃の公園のベンチに座って、散歩をする老夫婦や、ジョギングをする人達をボーっと見てたの。その人たちがとても自由で幸せそうで羨ましかった。」 まりあは、思い出すように、目を閉じた。そのあと、一瞬、険しい表情をした後、話を続けた。 「大学3年の秋に、いつものように、ベンチに座ってると、不意に声をかけられたの。「おはよう」って声がして、びっくりしてベンチから転がり落ちちゃって。「ごめん。驚かせて!」慌てて、助け起こしに来た人を見たら、若い男性だったの。早朝でも、割と人がいる公園だったけど、知らない人に声をかけられれば、やっぱり怖くて、私、思わず、助け起こされた手を掴んで、そのままその人を投げ飛ばしてしまったの。投げ飛ばされた彼は、顔を歪めながら、君、強いねって、ぎこちなく笑ったの。話を聞いてみると、彼は毎日ジョギングでその公園に来ていて、時々見かける私が一人で危ないんじゃ無いかと気になっていたらしくて。でも、私に投げ飛ばされて、これだけ強かったら僕が心配するまでもなかったねって笑ったの。その笑顔がとても優しそうで、すごく印象的だった。彼の優しい話し方、可愛らしい笑顔に、私は、だんだん彼の事が気になり、好きになっていったの。」 恋の話だった。 一瞬の険しい表情は気のせいだったのかと思った。でも、ココアを飲むまりあの表情は、恋の話をする時のようなうっとりするような表情ではない。理由が気になりながら、続きの話を聞く。 「彼に、家が厳しくて友達と外出したことがない事や、友達と遊園地にも行ったことがないと話した時に、彼が、僕、今日休みだかこれから行かないかって言われたの。私、お金も持ってないし、朝食までに家にいないとどうなるか怖くて、考え込んでると、彼はにっこり笑って、私の手を引いて歩き出したの。」 やっぱり表情は暗い。半分ほどになったココアに視線を落とした。 「手を引かれて歩き出したら、彼が私をこの生活から助け出してくれるような気がしたわ。彼と行った遊園地は、とても楽しかった。自由になった気がした。一日遊んで、夕方に公園に戻り、そこで別れて、家に帰ったの。遊園地にいる間にママやお姉ちゃんから電話があったけど、彼に出ないでって言われて無視してたから、ものすごく怒られる事を覚悟して、恐る恐る、家のドアを開けたの。そうしたら、ママとお姉ちゃんが走って出てきて私を抱きしめたの。まだ夕方なのに、パパもいて、目が真っ赤だった。パパには厳しく叱られると身構えてたら、一言、無事でよかったって言ったの。なんか拍子抜けで、でも少し違和感があった。その違和感の理由が何かわからなかったけど。私は、翌日も彼に会おうと公園に行ったけど、その日を境に、二度と公園には来なかったの。私は、あんなに楽しかったのに、急にこんな風になるのはおかしいと思った。でも、私には思い当たる事が一つだけあった。パパだ。パパなら、私と一緒にいたのが彼だと、どんな手を使ってでも調べるはずだ。そして、彼に圧力をかけたに違いない。あり得ない話ではない。すぐにパパに連絡したわ。そして、彼に何をしたか聞いたの。パパは一言、彼は私に相応しくないとだけ言ったの。私の中に、これまでにない怒りと共に絶望感が生まれたの。それから、パパとの関係はますます悪くなり、見かねたママがボディーガードをつけることを条件に一人暮らしをさせてくれたの。」 まりあは、ここまで一気に話すと一息ついた。そして、冷めたココアを一気に飲んだ。 今回も、経験不足の私は、まりあに何を言っていいか分からず、両手でカップを持つまりあの手を、私の両手で包む事しか出来なかった。 「ありがとう。愛美夜さん。私、ロイヤルミルクティが飲みたいんだけど、いいかな。」 私は、まりあからココアのカップを受け取り、ロイヤルミルクティを作った。 少しぬるくしたロイヤルミルクティを受け取ったまりあは、 「パパがね、紅茶が好きで、休みの日の朝は、パパが紅茶を作ってくれたの。私はココアの方が好きなんだけど。」 一口飲んで、懐かしそうに言った。 「私がなかなか病院に行かないから、パパの秘書がマンションに迎えに来て、半ば強引に病院に連れて行かれたの。そうしたら、手術が終わった所だった。パパはなんとか一命を取り留めたんだけど、私はパパの姿を見に行くことも出来ずに廊下のベンチに1人で座っていたの。そうしたら、お姉ちゃんがきて、横に座って、色々な話を聞かせてくれたの。」 まりあは、今までに無い大きなため息をついた。きっと、ここからの話に、今日、まりあがおかしい理由が隠されてると直感した。 「パパが異様なまでに束縛していた理由がわかったの。私、3歳の時に誘拐されかかったんだって。お姉ちゃんはその時8歳で、パパの顔や緊迫した空気は今でも忘れられないって言ってた。そこから、パパの束縛は始まったって。お姉ちゃんは、それを知ってたから、黙って束縛も受け入れていたけど、私は理由も知らないから、そんな窮屈な状況に反発したの。お姉ちゃんが理由を話したら?ってパパに何度も言ったらしいんだけど、まりあは誘拐されかかった記憶が無いんだから、怖かった記憶を呼び起こすような事はしたくないって、絶対に言わないようにお姉ちゃんにも言ったんだって。今にして思えば、毎日の習い事も、護身術が多かったの。パパはとにかく心配だったんだって。でも、それだけじゃなかったの。お姉ちゃんは、私が傷つくかもしれないけど、パパとこのままの状態でお別れするような事があったら、もっと傷つくと思うから話すって、覚悟を決めたように話し始めて。」 まりあは大きく震えるように息を吐いた。 「遊園地に行った日、彼は私の家に電話をして、無事に返して欲しいならと身代金を要求していたの。私、あの時、誘拐されていたの。あいつは、私の事を知っていて近づいてきていたの。あの時、パパは身代金を払って、私は何も知らずに帰宅していたの。あいつは、狡猾で、お金さえ貰えれば、自分も殺人犯になりたくないから、必ず帰すと約束した上で、私があいつを好きになっている事を伝え、誘拐目的だったとわかれば傷つくだろうと言ったらしいの。実は、私にはボディーガードがついていたから、パパはすぐに保護する事ができる状況だったにも関わらず、私が傷つく事を心配して、警察にも通報させず、あいつにお金を払ったの。あいつは、まんまとお金を奪い取り、姿を消したの。これが真実だった。これが違和感の理由だったの。」 今までに見た事がない苦々しく険しい顔をした。 「パパは、今まで全部自分が悪者になって、私が怖い思いや悲しい思いをしないように守ってくれていたの。でも、そんな事、急に聞いたって、今までの苦しかった思いや絶望した気持ちは簡単には消せなくて、理解はしてるんだけど、頭も心も混乱しちゃって。今更、パパにどう接していいかわかんない。だって、パパが私の苦しみの元凶だと思ってたんだもん。今更、パパとどんな顔をして会えばいい?」 困惑し、疲れた顔をした。 父親が倒れたその日に、好きになった彼に裏切られたと知り、父親の本当の気持ちを知ったまりあ。 「それはさ、もう答え出てるよね。」 私は、率直な思いを口にした。 「そうだよね…。わかってる。どうしたらいいか。でもね…。」 と言いながら、話疲れたのか、人に話すことで張り詰めた緊張が解けたのか、まりあは眠ってしまった。 私は、客席3番にいる大翔(はると)さんにお願いして、まりあを客席2番に運んで貰った。 目が覚めたら、まりあは、まりあのすべき事をするだろう。 そして、まりあは、きっと、近々、この店に来なくなるだろう。もしかしたら、もう来ないかもしれない。 でも、それは、まりあがまりあの居場所を見つけた証だ。 まりあの生活の中に、客席2番が無くても生きていける事を祈っている。 そして、この先、まりあが家族と共に幸せでありますようにと願う。
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