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客席6番 〜マダム 愛生(あい) ①〜
ここは、夜中だけ開くカフェ"nightist”
私は、この店の店員、愛美夜(あみや)。
今日も、眠らない私と眠れない人々が、静かで穏やかな夜をこの場所で過ごす。
今日は、マダムがまた新しい本を持って来てくれる日だ。マダムの家には、亡くなったマダムの旦那様の本が沢山あるらしい。
マダム自身は、本には全く興味は無く、家にあっても勿体無いからと言って、目を通したものから持って来てくれている。
“夫が遺したものだから、わけがわからない本も沢山あるけど、全部のページをめくろうと思って。何年かかるかわからないけど。”
と言って、マダムは少し淋しそうに、でも穏やかに微笑んだ。
マダムは、時々、赤い目をして来店される。本の内容なのか、旦那様を思い出されてなのか、きっと後者の方だと私は思っている。だから、その都度、私の方が切なくなる。
「愛美夜(あみや)ちゃーん。開けてー!!」
ドアの外から微かに声が聞こえ、ドアに駆け寄り、慌ててドアを開ける。
「有難う。今日は持って来すぎちゃって、ドアが開けられなくて。下に置くと、もち上げるのも大変だし、助かったわ。」
そう言って、マダムが店内に入って来た。
マダムから本を受け取りながら、
「重…。こんなに沢山。すみません。大変でしたよね。有難うございます。」
そう言って、一緒に店内に入る。一旦、本をカウンターに置く。
「今日は愛美夜ちゃんが好きそうな本が入ってるわよ。」
そう言って、私にニッコリ微笑む。その目は少し赤かった。
「ここにあるのより、愛美夜ちゃんがもっと好きそうな本もあったんだけど、夫の走り書きがあって、それは持って来れなかったわ。どうでもいいことなんだけど、ほんの些細なことなんだけど、さくら、そめいよしの、やえざくらって書いてあったの。本に全く関係ないのに、おかしいわよね。」
そう言って笑った。
「でもね、あの人の字なの。そこにあの人の気配があって、ダメよね、そんなこと平気にならなきゃね。」
そう言って鼻を啜った。目は真っ赤で今にも涙が溢れそうだった。
「旦那様のこと、愛されてたんですね。」
マダムを見ていると自然と言葉が出てきた。
マダムは目を伏せて、
「愛してたわ。そうね、今も愛してるわ。」
そう言って微笑んだ。そして、私の方を見て言った。
「自分で言うのもなんだけど、私たち大恋愛だったのよ。」
ふふふっとイタズラっぽく笑った。そして、少し影のある笑顔で続けて言った。
「でもね、人の道からは外れてしまったの。」
一拍おいて、
「略奪愛だったの。」
そう言った。意外だった。マダムは、激しさとはかけ離れた印象の女性だ。略奪愛だからといって激しいものとは限らないかもしれない。でも、奪い取る恋愛に穏やかなものがあるとも思えない。
陽だまりのように温かで幸せな人生を送って来られたと勝手にイメージしていた。
「意外でしょ。でも、奥様と息子さんから夫を奪ってしまったの。もうずいぶん昔の事だけれど、その罪は消えるものではないわね。」
そう言って、辛そうに少し笑った。
「明日、結婚記念日なのよ。少し夫との話をしてもいいかしら。」
マダムにいつものミルクティーを、自分用にコーヒーとイスを持って、客席6番に向かった。
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