寿退社

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私はまず先に下のお宅に向かった。真下に住んでいたのは四十代と思われる無愛想なおじさんで、ほとんど目も合わせないまま菓子折りだけ受け取るとすぐにドアを閉めてしまった。表札も出ていないので名前は分からずじまい。 うちは子どももペットもいないし大丈夫だとは思うけど、物音とか神経質なタイプだったら嫌だな。 そのお隣のお宅は六十代くらいのご夫婦で、名前は佐竹さん。こちらは先程のおじさんとは比べ物にならないくらい明るい方達で、特に奥さんの方はペラペラとよく喋る感じの良い方だった。 「あらっ、良かったわぁ〜新しい人が入ってくれて! しかも新婚さんなのね! ここって一人暮らしの人が多いのよぉ。うふふ、仲良くしてちょうだいねぇ」 「ありがとうございます。あの、良かったらこれ」 菓子折りを渡したらめちゃくちゃ喜んでくれているみたい。友好的な雰囲気の人で良かった。 「うちはね、もうずっとマンションの理事長をやってるのよ。分からないことがあったら何でも聞いてちょうだいね」 「はい、よろしくお願いします。早速なんですが、あの、お隣の方のお名前って……」 私はさっき本人に聞きそびれたおじさんの名前を佐竹の奥さんに訊ねる。真下の部屋だし一応知っておきたい。 佐竹の奥さんは、お隣の無愛想な人は八乙女さんというのだと教えてくれた。 職業はああ見えて何と弁護士さんらしい。人は見かけによらないな、などと若干失礼なことを考えたのは秘密。 「まぁ態度はあんなだけど、変な人じゃないと思うわよ?」 「そ、そうですか……あはは〜」 そりゃまあよく考えたらこんな高級マンション、住んでるのはある程度身分のしっかりした人に違いない。佐竹さんも旦那さんが小さな会社を経営しているそうだし、何だか益々私には分不相応なマンションに思えてくる。 「この真上、要するにあなた方のお隣さんはね、鷹峯さんって言うの。これがまぁ〜ほぉ〜んとに良い男なのよぉっ! すらっと背が高くてイケメンなの! しかも何とお医者様よ!」 「は、はぁ」 これから隣の部屋に挨拶することを伝えると、佐竹の奥さんは嬉々として鷹峯さんのことを教えてくれた。イケメンイケメンと連呼する奥さんに、それまで隣で黙っていた旦那さんがさすがに渋い顔をしている。 「こら、新婚さんにそんな話するもんじゃないよ。ったく、すみませんね、うちの者が」 「いえいえ、お気にならさず。むしろ情報ありがとうございます!」 実際、お宅に伺って出てきたのが絶世の美男子で、不覚にもときめいてしまうなんてことあったらそれはやばい。私はもう航大の奥さんになるんだし。事前に聞いておけば心の準備が出来るってもんだ。 ……まぁ、私が航大以外に靡くわけないんだけどね。航大だって結構イケメンだし? 「こんな若くて可愛らしい奥さんだと鷹峯さんだって気になっちゃうかもしれないし……昼ドラみたいなことにならないよう気を付けてね!?」 「ははは、気を付けまーす!」 最後は佐竹の奥さんが旦那さんに引き摺られて強制退場させられる形でドアが閉まった。 よし、いよいよ噂の鷹峯さんへのご挨拶だ。どれだけイケメンかこの目でチェケラしてやろう。
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