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「これが私の全財産です! どんな痛みにも耐え抜きます! どうか私を美人にしてください!」
「帰れ」
現金を握りしめ、決死の覚悟で飛び込んだとある美容サロン。にもかかわらず笑顔で入店拒否され、私は恥も外聞もかなぐり捨てて目の前の店長さんとおぼしき青年の足にしがみついた。
身長は高くないが、お尻は大きい。こちとらご近所の皆様にも評判の安産体型だ。簡単に振り払えるとは思わないでいただきたい。っていうか現実問題としてまず結婚できないのに、安産体型がどうのこうのとか辛すぎるんですけど。
「元の顔のまま綺麗になりたいなんて無茶は言いません。整形しても大丈夫です! お金が足りないなら、借金をしてきます。なんだったら、お知り合いの金貸しを紹介していただいても結構です。トイチでも受け入れますから、だから」
「ちょっとは落ち着け、静かにしろ」
どうやったのか、しがみついていたはずの手をとられ、テキパキとソファーに誘導される。そのまま、間髪入れずにコーヒーが出された。私だけでなく、自分の前にも置きながら、見目麗しい青年がため息をひとつこぼす。はあ、すごい。美形は何をやっても絵になる。私がため息をついたところで、空腹で息切れしているようにしか見えないだろう。
「ご挨拶が遅れましたが、いらっしゃいませ。当サロンの店長のジュードです。それで、お客さまのご要望は?」
「全財産をお渡しするので」
「いい加減に金の話から離れろや」
「ぐぐっ」
経営者の仮面を即投げ捨てた店長さんに、ショートブレッドを口の中に突っ込まれた。ああ、バターの香りとこの歯ざわりがたまらない。ええ、私のように訓練された人間だから耐えられたけれど、普通のひとなら口内の水分をすべて持っていかれて、窒息していたことだろう。ゆっくりと風味を味わい、咀嚼して返事をする。
「失礼いたしました。私は、マチルダ。実は、こちらのお店に通うことで、多くの女性が美しくなったという評判を耳にしまして。ぜひ私も、自分を変えたいと思い、お訪ねした次第です」
「急にまともになった」
「一応、成人として働いておりますので。仕事として話そうと思えば、ある程度落ち着いて話すこともできますが」
「が?」
「正直、こんなイケメンを前にして息をしているのもしんどいし、こんなしょうもない顔面をさらしているのも申し訳ないので、手をついて謝罪した後に、絶叫して床を転がりながら今日のことを今すぐ忘れたい気持ちでいっぱいです」
「卑屈にもほどがある……」
緊張のあまり、コーヒーとショートブレッドをすごい勢いで消費している私を、店長さんは可哀想な生き物を見る目で眺めていた。生まれてから今まで彼氏なし、似ているものとして例に出されるものは東の国に伝わる「こけし」という女の、自尊心の低さを舐めないでいただきたい。
「うちの店に来たということは、ここのポリシーも知っているだろう。うちは、気に入った客しか受け付けない。どんなにお金を積まれてもね」
「存じ上げております」
「その割には、金の話から入ってきたじゃないか」
「そこは、なんというか勢いで。とりあえず、私の本気度をお伝えしたくて」
就職してからずっと貯めていたお金を使うときがきた。財布を握りしめれば、その厚みに安心感を覚える。
「それで、君は一体何のために綺麗になりたいの?」
「好きなひとに告白するためです」
「ふうん、そこまで気合を入れて付き合いたいってことは、相手は相当の金持ちとみえる」
店長さんの言葉に、首を振る。そんな大それた、身の程知らずなことを頼みにきたわけじゃない。
「付き合いたいわけじゃありません」
「は?」
「気持ちよく、振っていただきたいんです」
「はあ?」
「自分に言い寄ってきた女がブスとか、きっと相手も気持ち悪いし、迷惑じゃないですか。だから、気持ちよく振ってもらうために、綺麗になりたいんです。一定の水準の女なら、恋人がいるとか、趣味じゃないって理由で振られることはあっても、『気持ち悪い』って思われずに済むでしょう?」
どこまでも真剣に伝えたはずの依頼内容に、店長さんは唖然としたまま返事をしてくれなかった。口を開けっぱなしにした間抜け面すら綺麗とか、やっぱり美形ってすごいよね。そう思っている私の口にまたもやショートブレッドが詰め込まれた。
「なんなの、馬鹿なの? そんなろくでもない男のために、全財産を差し出すの? うちはそういう商売はやってないんで。そこまで手が届かないってわかってるなら、諦めたら」
「ふがふが(彼は、そういうひとじゃありません!)」
「じゃあ、どういう人間なの」
「ふがふが(えこひいきせず、誰に対しても平等な、真面目で素晴らしい男性です!)」
「それなら、どうして卑屈の極みみたいな告白をしようとするんだ」
「ふ、ふが……(そ、それは……)」
あれ、どうして店長さんは、ふがふがもごもご言っているのを理解できるのかしら。首をひねりつつ、私はこの店を訪れた経緯を話すことにした。
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