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就活
ありふれた郊外住宅地の、月並みな一戸建て住居。
門柱には、〝青馬〟の表札。
そのダイニングにて。
文彦はテーブルで、朝食のコーンフレークをボソボソと食べている。
母親の青馬厚子もおなじテーブルで、ナッツ類をつまみながらスーパーのチラシを眺めている。
「ミルクが足りないな」
文彦は牛乳パックを手にして皿に注ぐも、勢いが強すぎて跳ね返ってしまい、自分のパジャマ(パチモンのピーターラビット柄)にミルクがかかってしまう。
「………」
鉄人を倒したときの精悍さとは大違いの、ふだんの緩みきった体たらく。
厚子はあてつけで嫌味っぽく、
「石田さんとこの上の子、中学のときあんたと同じクラスだった。浪人して慶応に合格したんだってね」
「ふうん……」
目も合わせず、てきとうにあいづち。
「二丁目の森さんとこの子は、公務員の試験に合格したんだって。あの太ったちぢれっ毛の子」
「へえ……」
「偉いわね。よその子はみんなしっかりしてるわ」
文彦はさすがにムッとして、
「おれだって破邪神拳十段だし、〈三七の試練〉を終えたら免許皆伝をもらえるし」
「その資格をもってると就職に有利になるの?」
「いや、べつに就職とかには……」
「それじゃあ、意味ないじゃない」
「千年を超える影の歴史を誇る天下無双の神技を受け継ぐという至上の名誉を──」
「あんた、そんな役に立たない運動ばっかりに熱中して、いったいいつになったら就職するの?」
文彦はバツが悪そうに、
「それはだから、もうちょっと待ってって言ってるだろ。試練もまだけっこう残ってるし……」
「ちょっと待っててって、ずっとそればっかりじゃない。いい年した息子がいつまでも無職の扶養家族なんて母さん恥ずかしいわ」
文彦は死んだ目をして聞き流している。
「ニート? パラサイトだっけ? お父さんは毎日遅くまで残業してるのに、あんたは家に一銭も入れないんだから」
掛け時計が目に入り、
「あら、もう8時になるわ。『あまさん先生』見ないと」
とたんに機嫌がよくなって隣りの居間に入り、テレビをつける。
文彦はホッと安堵し、またコーンフレークをボソボソと食べはじめる。
「そうだ」
そこでふと思い出し、
「ピー太郎の餌代と、あとスニーカーに穴があいたからお金がいるんだけど。一万円くらい」
「ダメよ。お父さんと相談して、お小遣いはもうあげないことにしたから」
「ああ、そう。じゃあいい」
あっさりと納得する。
「言っとくけど、お父さんのズボンの財布から、勝手にお金抜き取ってるの知ってるんだからね」
文彦はギクッとした顔。図星である。
「もう財布は隠すことにしたから」
「………」
苦々しい顔で黙りこむ。
竹國邸。
武家屋敷のような立派な御屋敷である。
裏庭は趣きのある日本庭園になっており、そこに時代錯誤といえるほどの伝統的な造りの武術道場がある。
昔ながらの一枚板の看板には、筆書きされた〈破邪神拳道場〉の文字。
道場の中では、無蔵と文彦の師弟があらたまった雰囲気で対座していた。
「稽古日でもないのに申しわけありません」
ちなみに壁の名札掛けには、無蔵〈師範〉のものと文彦〈十段〉のものと二枚しか名札が掛かっていない。
文彦は慇懃な態度で、
「幼き頃より、自分はわき目もふらずに修業に邁進してまいりました。破邪神拳を極め、天下に並ぶ者なき武術家となることだけが夢でした。それはいまも揺るぎありません。ですが両親の負担を考えれば、修行の道半ばながら、そろそろ自分で生計を立てることも考えるべきかと思い至りまして」
「ふむ。それもしかたあるまい。仕事との二足の草鞋でも修業は続けられよう」
あいかわらず無蔵は、威厳があって師匠然としている。
「今日、相談に伺ったのはそのことなんです」
「ほう」
「なにか、破邪神拳のスキルを活かせるような仕事はないでしょうか?」
「無茶をいうな。破邪神拳は暗殺術なんじゃぞ」
「はあ」
「日本は法治国家じゃからな」
「やはりダメですか……」
「若くして事業に成功した、わしの父であり師でもある吉蔵も、〝今どき暗殺術とか使い道ないだろ〟と言ってたらしいが、それでも〝一子相伝で何代も続いてるのを自分の代でなくすのもなあ〟と考えなおして、いちおう息子であるわしに継承させたのじゃ。〝面倒くさかったらおまえの代でやめてもいいよ〟ともいわれたが、趣味で近所の子供に教えてたら、たまたまおまえがやる気だしたから後継者にしたが」
無蔵はさらっと破邪神拳継承秘話を語る。
「はい、感謝しております」
「それで、どうするんじゃ?」
「しかたありません。一般の仕事をさがすことにします」
「そうか。それはそれで大変そうじゃな。わしは家が金持ちで一度も働いたことがないからよくわからんが。まあ、破邪神拳魂で頑張れ」
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