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そのトリは、たくさん生まれた卵の中で一番早く孵化しました。もちろんその後すぐに、きょうだいたちも孵化しまして、たちまちぴいぴいと同じ鳴き声をてんでに上げ始め、親鳥でさえ、どれがどの子やら分からない有様の中に埋もれてしまったのですが。
普通ならその、ぴいぴい囀るきょうだいの中のつまらない一羽という立場に諦めてしまい、自分も同じようにぴいぴい囀り、他のきょうだいと何ら差がつかないまま、ただのニワトリに成長してしまうところです。だけど、そのトリは、そうなりませんでした。否、正確に言うと、そんな状況に、絶対に、なにがなんでも、妥協できなかったのです。
「おのれ黄色いヒヨコども。俺の真似すんじゃねえ」
実はトリだって黄色い小さいヒヨコに過ぎないのですが、自分で自分の姿を見ることができないので仕方がなかったのでした。ともあれトリは、自分と同じ声で鳴くきょうだい達に腹をたてました。ぴいと鳴く隣のヒヨコを押し出してみたりしたのですが、同じ腹から生まれた卵同士、体格に差があるわけでもなく、思うようにいきません。ぴいぴいぴいよと周囲は囀り、親鳥は一生懸命にえさを運んでは、一番大きな声で鳴くヒヨコの口に突っ込みます。生まれた時から人一倍誇り高いトリは、呆然として、この納得できない状況を眺めました。それからむらむらと怒りがこみ上げ、これはなんとかしなくては我慢ならぬと強く感じたのです。
「俺が特別であることを思い知らせてやる」
トリはなんとか頑張って親から一番多く食べ物を貰おうと考えました。口の大きさや声の大きさなどは、どうしてもきょうだいたちと同じ程度です。トリは必死にのどぼとけを鍛え、ついに、一際ドスの利いた声を出すことに成功しました。きょうだいたちが甘ったれたぴいぴいという声を出している間、トリは「ドルンドルン、グウ、ドルンドルン」と地を這うような音を発し続けました。その奇怪な音は嫌でも親の目を引きます。おまけにトリは激しい苛立ちのために、目つきが異様に鋭くなっておりました。その視線に射られたらもう、親鳥は、運んできた食べ物をトリの口につっこまざるをえなくなったのでした。
それでトリは、親鳥の食べ物をほぼ独り占めしました。他のきょうだいたちはトリが寝てしまってから、なんとかおこぼれに預かりました。それでもヒヨコの生命力はすさまじいもので、全員が無事に成鳥となることができたのです。
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大きくなったヒヨコたちはーーもはやヒヨコとは呼べないのですが、便宜上、ヒヨコと呼ばせていただきますーー自分たちの役割を自然と知らされました。とっくに親鳥たちは、その役割を果たし、胸を張って連れてゆかれました。その自信に満ちた後姿を、ヒヨコたちは目を潤ませ、羽を震わせ、強烈な憧れに胸を焦がしながら見送ったものです。
「ナイスコケッコーのフライドチキンになるのが、俺たちの定め」
もしこれが人間の考え方ならば、生まれた時からそんな運命が定まっているなんて、なんと切ないことかと思うことでしょう。しかし、鶏たちにとって、ナイスコケッコーのフライドチキンになれるというのは、最高のステイタスなのです。最上級の審査官から、自分の美味しさが評価された、ということになるのです。ちなみに、ナイスコケッコーというのは、人気のフライドチキンのファーストフード店です。全国にフランチャイズ店があり、とても繁盛しております。この鶏舎もナイスコケッコーと契約をしているのでした。
ヒヨコの中にも、気が小さい奴もおれば、やたらに尊大な奴もおります。遠慮深い奴は、「ナイスコケッコーでなくてもいい。美味しく食べてもらえるならば、ご家庭のチキンカレーで十分だ」と、本気で思っています。
「ニワトリに生まれたからには、ナイスコケッコーだろう」
と、強い奴が弱気な奴を叱りつけます。しかし、謙虚な奴は頑固なまでに謙虚なのでした。
「いいや、迎えていただけるならば、鶏ハムでも構わない。俺は精いっぱい努力して、美味しい加工肉になるつもりだ」
と、言い張るのでした。
さて、今日も鶏舎では、年かさのニワトリから買い取られてゆきます。ヒヨコのきょうだいたちより一期早いニワトリたちです。ここまで成長した俺を見てくれと言わんばかりに胸をはり、高らかに鳴いて己の旅立ちを祝います。
「俺はいくぜ。たぶんナイスコケッコーだ」
引き取りにきた鶏トラックのおじさんは、無表情です。はりきって尾を立て鳴いているニワトリどもを見つめています。鶏舎のだんなは淡々と「ではお願いします」と頭をさげて、やかましいニワトリどもを引き渡します。ちなみにこの時点で、ニワトリどもは自分がどこに引き取られるのか分かっていません。トラックは鶏舎にお尻を向けており、ロゴが見えないのでした。
「いざナイスコケッコー」
ばたばたと突っ込まれてゆくニワトリたちが、最後に叫んだ言葉がこれでした。
ぶうと音を立ててトラックは走り去ります。明日のわが身なので、ヒヨコたちはわらわらと首をもたげ、にいさんたちが乗ったトラックを見送りました。トラックには確かに「ナイスコケッコー」とロゴが見えました。
「いいなあ。さすがにいさんたちだ。一流になられたんだ」
と、一羽が感慨深げに言いました。感激のあまり、羽根で涙をぬぐう奴もおりました。
「俺たちもぜひナイスコケッコーのフライドチキンになり、バンズに挟まれたいものだ」
と、熱心に言う奴がありました。その横では「いや、俺はクリスピーチキンになりたい。バンズは邪魔だ」と横柄に言う者もあります。「何を言うか、骨付きが最も名誉あるかたちではないのか。骨までしゃぶってもらえることにニワトリの喜びがあるはずだ」と、反論する奴も出てきます。たちまち鶏舎は口論の嵐となりました。最も、これは業者のトラックが来てにいさんニワトリたちが引き取られてゆくたびに行われる、恒例の口論大会なのであります。
その中で一羽だけ、しいんと無言で目を光らせているのがありました。例のトリです。トリは、きょうだいたちが夢物語のように話すのが気に入りません。夢は夢のままでは何ら価値がないと思っているのです。そして、この中でナイスコケッコーにスカウトされるのは、やはり俺しかないと思っているのでした。
さて、しばらくした頃です。ヒヨコどもが昼飯を食べている時に、急に鶏舎の外が騒がしくなりました。鶏舎のだんなが誰かと喋っているのです。食べ物にがっついているきょうだいどもは気にならないようでしたが、トリだけははっと頭をもたげました。
「一羽不足しているんですか、いやでも、三羽と伺っておりましたんで」
と、旦那は言います。喋っている相手はどこかの会社の人なのでしょう、偉そうに太い声でこう言いました。
「三羽じゃなく四羽欲しかったんです。手ごろなトリはいませんか」
旦那は困ったように言います。
「手ごろなトリと言いましても。うちで扱うボタンインコの成鳥はあれで最後でして。ほかのはまだヒナです」
この旦那は鶏舎以外にも、愛玩用の鳥も請け負っているのでした。
「インコじゃなくてもいいです。ちょっとかわったやつならなんでもいいです。もう間に合わせでいくしかないんです。とにかく数を揃えなくてはならないものですから」
(これはチャンスだ)
トリは思います。
さきほど、ナイスコケッコーのトラックがにいさんニワトリたちを運んでいったのを見たばかりです。数が足りない、あと一羽だけと先方が言っている。うまくしたら、このうすらバカのきょうだいたちより早く、俺だけが一等先に、名誉ある立場に輝けるかもしれない。そう思ったトリは、得意の、殺し屋のような低い野太い声で雄たけびをあげたのでした。
「ゴルア、ゴルア、ゴルアアアアア」
その声は鶏舎の外にまで響きました。旦那と喋っていた取引先のエライ人の耳にも、確かにトリの声は届いたのです。
「明日はお前の番だ。朝早いから、こっちにこい」
と、鶏舎係のお兄さんがやってきて、トリをむんずと捕まえ、きょうだいたちと離して別の小さな小屋に押し込めたのは、その日の夕方のことです。
**
ついに明日、俺はニワトリの花道を通るのだ。
わくわくと胸を高鳴らせながら、トリは暗闇の中でトリ目を見開きます。俺だけが選ばれて連れてゆかれた時の、きょうだいたちの間抜けな顔ときたら。トリはふふんと笑います。どうだ見たろう、俺はお前たちとは生まれつき違うのだ。ナイスコケッコーに一羽だけ選ばれ、明日、極上のフライドチキンになる。俺の肉は黄金に輝く。俺を食った人間は、これほど旨い肉は初めてだと思わず呟くだろう。その瞬間を妄想すると、白い羽がふるふると震えるのでした。
眠ろうとしても眠れません。
それでトリは、少しでも旨い肉になるために下準備をすることにしました。誰に聞いたわけでもないですが、トリは、フライドチキンになるためには羽毛が邪魔であることを知っていました。ぶつんぶつんと熱心に羽根を抜き、ついに丸裸になります。まるまるむちむちとした見事な鶏体です。鏡はありませんが、嘴触りで己の肢体はよくわかります。ほれぼれとしてしまいます。トリはうっとりとし、しばらく暗闇の中で鋭い目を潤ませました。
(待ってろ、俺を食らう人間)
やがてトリは最後の下ごしらえとばかりに、塩を己の肌になすりつけました。ごしごしじょりじょりと塩をすりこんだ後は、コショウを浴びます。何度もくしゃみがでました。そのくしゃみもまた、渋い大人の男のような深みのある良いボイスなのでした。
やがて朝がきます。
トリを迎えに来た鶏舎係はひいっと声をあげました。なんで一夜にして鶏が鶏肉みたいな姿になったのかと悩む所でしたが、もう業者の車がそこにきており、一刻の猶予もありません。「ウエッチクショー」と野太い声でトリがくしゃみをし、鼻水をまき散らすのに手を焼きながら、軍手をはめた手で仕方なくトリを掴みます。羽根の抜けた赤裸のぶつぶつの鳥肌は、物慣れた鶏舎係にとっても、あまり気色の良いものではなかったのです。
「大丈夫かな、俺、怒られるんじゃないだろうか」
と、鶏舎係は独り言をつぶやきますが、希望に打ち震えているトリの耳には入りません。
鶏舎の前にとまっているのがトラックではなく、軽乗用車だったので、トリは驚きました。ちょっとがっかりする気持ちもありましたが、すぐに思いなおしました。トラックではなく軽乗用車できたということは、これこそ、俺一羽だけが特別にスカウトされた証なのだと考えたのです。ちなみに車のロゴはトリから見て向こう側の扉にありました。
「こ、こんなことになってました。昨日まではかわいらしく丸々としていたんですが」
と、鶏舎係はどもっています。
業者のお姉さんはーーおじさんではなく、女の人だったことに、トリは更に驚きましたーーまじまじとトリを見つめました。そして「珍しくていいと思います」と言ったのです。
こうして無事にトリは業者に引き取られました。お姉さんが持ってきた小さなケージに入れられ、荷台に揺られて運ばれてゆきます。羽根もむしり、塩コショウもし、準備万端です。トリは胸を張って、懐かしい鶏舎を振り向きました。まだ惰眠をむさぼっているきょうだいたち。やはり俺が一番だったな。おまえたちはせいぜい、コンビニの鶏唐揚げになれたら御の字だぞ。
**
ボタンインコやセキセイインコ、文鳥。小鳥は可愛いものだ。昔から家庭で愛玩されている。
しかし、今時は変わったペットを好む人が増えたらしい。そら、鳥でなくても、大蛇やら、蜘蛛やらを飼っている人がいるではないか?
多分、その手の愛好者の目にとまるのではないだろうか。
鶏舎係は車を見送りながら、ふうとため息をついたのでした。なにはともあれ、無事に納品できたのです。万が一、クレームがついたとしても、もう鶏舎の方であいつを引き取る気はありません。だいたい、あんなひどい姿になった鶏が売り物になるわけがないのでした。
鶏舎係のお兄さんの軍手には、なんだかわからないが粉がついています。食塩とコショウです。お兄さんは首を傾げながら、ぱんぱんと手をはたいて粉を落としました。
トリを乗せた軽自動車は角を曲がって大通りに出てゆきます。ピンクとオレンジの楽し気なロゴーーペットショップ鳥屋―ーが、遠目からも鮮やかに見えます。お兄さんはもう一度深々とお辞儀をしました。日はだいぶのぼっています。鶏舎ががやがやとうるさくなってきました。鶏どもが、腹を空かせているのです。
明日はナイスコケッコーのトラックが鶏舎にきます。
丹精込めて育てた健康な鶏を、納品することになっています。
丸裸で奇怪な声で鳴く鶏は、どこかの物好きに愛でられて一生を終える。その他のきょうだい鶏たちは、フライドチキンになる。
どっちが良いかなんて、お兄さんは、考えもしません。
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