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 過去とわかる記憶があるように、夢とわかる記憶がある。常に過去と混濁する夢を見る訳ではなく、常に夢と混濁する過去を想い起こす訳でもない。  すなわち過去と夢の混濁は稀に起こる。私のそれは周囲に話を聞く限り、相対的に多いほうではあるらしいが、それでも絶対値的に考えてみれば私がこれまで寝た回数に比べて起きる確率は遥かに少ない。  私は年におよそ三六五回、もしくはそれ以上、意識を手放し死んでいる。そして一〇〇パーセントの確率でまた蘇る。とりあえず、今のところは。  これを便宜上、就寝、覚醒として受け取っており、そうして眠っているうちの半々程度の割合で夢を見る。もう半分では夢を見る元気もないほど死んでいる。  見る夢の中身も様々で、一つの夢しか見ない時や、複数の夢をいくつも見る時がある。つまり全く世界観の異なる夢が連続的に切り替わっているような時もある。  友人たちに青いバナナを無限に投げつけられる夢、政治家たちと宇宙人を撃退する夢、電波塔の頂上から滑落する夢、まだ見知らぬ人と会話する夢。  夢を眠りの間にいくつ見るかは、夜に依る。  場面転換を繰り返してそれらのシーンを当事者として渡り歩き、その瞬間瞬間では逼迫しながらも、後に起きて振り返ってみれば随分と意味の分からぬ道理であったと訝しむこともある。  今朝見た夢など、なぜ空飛ぶ猫を撃ち落とすのにあれほど必死だったのか、まずもってなぜ猫が空を飛んでいるのか理解に苦しむ。またそのミッションの最中に突如として国家公安局に追いかけ回され始めるも、壁画の中から現れた中世の英雄に間一髪救われるという展開で、起きた直後は面白い夢であったと頬を緩めながらこの手記を開いたわけだが、いざこうして文章に起こしたところで面白くも何ともないことに思い至る。  そもそも、夢の中で私は面白いかどうかを気にしていない。気にするという余裕がない。猫を撃ち落とさんと目を凝らし、退廃した裏通りで息を潜めて公安局から身を隠し、なぜか学校の美術室で追い詰められた時には肝を潰した。いっそ滑稽なほど夢の中の私は必死で、こうも連続性に欠ける夢を現実と捉えて一瞬たりとも疑わない。  そんな夜も、あるにはある。
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