彼女は誠実なる乙女であった

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彼女は誠実なる乙女であった

 彼女は馬を飼い、犬と友であった。  鳥と歌い、花と語らい、風と寝た。  髪は紫で、瞳は炎のように赤かった。  朝日のように温かく笑い、夕立のように激しく泣く。  美しく清き乙女の名をイーリスという。  乙女は寂れた村で羊や牛の世話をし、畑を耕し種を植え、馬に乗り草原を駆け、犬と共に鹿を射た。働き者の、善き乙女であった。  乙女が住む世界は平和そのものであった。  事件は乙女が15のときだった。  隣村に行ったある日のこと。そこに居たのは周辺の領主が5人である。  その領主たちがイーリスを見るやたちまち虜となった。 「其方のなんと美しきか。我が方と春を満喫せんと欲す」 「白百合に勝る乙女を見るのは我が人生で最初で最後。どうか妻として我と共にあってほしい」 「金や銀なら全てお前のものだ。我が財宝の全てを捧げても構わない」 「我が領土の半分を其方に譲りたい。我が領土で末永く暮らしてはどうか」 「肥沃な我が領地ならば好きな物を好きなだけ食べることができる。ぶどう酒とパンが其方を待っている」  誰も彼もがイーリスを欲しがった。  しかして、イーリスは突然の言葉に戸惑った。  そしてイーリスには想い人が居た。  それは兄のように慕い、同じ村に住む青年である。  解は明白。 「天は其にあらずと言う」  天とはこの地の太陽神ローローである。神の名を借り、その場を凌ごうとした。  イーリスはローローの熱心な信者であり、その身を捧げるのは太陽神の他に居ない。  故に誰とも添い遂げない。  だが、その欺瞞で解決とはならなかった。  無下にも断られた5人の領主はイーリスをなんとか我が物にしようと考えた。  どんな手を使ってでもイーリスを欲しがった全員の見解はひとつに収束した。  5つの国が乙女をかけた戦争を始めたのだ。  勝者のみが乙女を手に入れられると盲信し激しく争った。  流血が地を覆い、骸が転がり、業火に焼かれ、皆等しく土地は荒れ果てた。  家も親兄弟も失い逃げ惑う人々が星の数ほどになった。  そして、たくさんの虫、獣、草花が醜い争いの犠牲となった。  イーリスにとって、そのことが一番苦痛であった。  自然と友であったイーリスにとって、虫や獣、草花が蔑ろにされるのは堪え難い蛮行であった。  醜い戦の現状を嘆いたイーリスは毎日のように太陽神ローローに祈った。 「我らが太陽の神よ。どうか、争いのない世界を。穏やかなる日々を再び与え給え」  その祈りは通じた。  ある日の夜、イーリスは夢を見た。  見たことのある風景だった。  それは村の近くにある森の中だった。  森にある泉の底に、黄金に輝く剣が沈む。  その夢が何を示すのかは分からなかった。  だがイーリスは夢のお告げを信じ、泉に向かった。  イーリスが泉の中を見ると、波紋の奥に錆びた剣が沈んでいるのが見えた。  イーリスは泉に飛び込むと、それを拾い上げた。  まるで体の一部であったかのように、その剣は手に馴染んだ。  ひどく錆びていたが、村の名工は剣の輝きを取り戻すのに十分な腕前を持っていた。  打ち直された剣は、見る者を圧倒する真夏の太陽のような鋭い光を放っていた。  金色に光輝く剣は、巨岩を切り、その斬撃で雲まで裂くことができたという。  その剣を手にしたイーリスは戦場へと向かった。  全てを終わらせるために。
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