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そして、この職業がうまれた。
私はなにも作らない。なにも表現しない。むしろその逆、私はただアートを鑑賞して感想をいうだけだ。お金をもらって、音楽やら絵画やら彫刻やら映像やら小説やらマンガやらダンスやら演劇やら、さまざまな作品を鑑賞する。
そう、わたしの仕事は、芸術鑑賞家。
ブルーとグリーンの線が動く、わけのわからない長編映像をみたあとも、芸術家を数件訪問した。そうしてくたくたになったところで、今日の仕事が終わる。
家に着き、ぐったりと部屋のとびらを開ける。やっとわたしの時間がやってくる。
私はレコードに針をおとし、アンティークのソファに腰を下ろす。かつて人びとが、聞きたがっていた音楽が流れる。
そして、紙に印刷された本をひらく。まだ人びとが、読みたがっていたころの物語。
人類がありあまる時間を、まだ手にしていなかった、古きよき時代の芸術。このようなすばらしい音楽や本なら、いくらでも味わいたい。
ときおり芸術鑑賞家をめざす若者から、相談を受けることがある。
そんなとき私は決まって、
「この仕事はとてもきついから、おすすめしない」
と言っている。
じゃあ、なぜわたしは、こんなつらい仕事をつづけるのか。まったくつまらない芸術、いや芸術にもならないような代物に、自分の大切な時間を大量に費やすのか。好きなことだけしていればいい、この時代に。
わたしは、どこかで願っている。
いつかまた、かつての時代にあったような、いやそれ以上にすばらしい芸術が、新たにうまれることを。
そしてわたしの仕事が、ほんの少しでもそういった芸術の誕生に貢献し、その新しい時代がはじまった瞬間を最初に目撃することを。
そのために、わたしは毎日、つらい仕事をつづけている。
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