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近年、テクノロジーの発展で、世の中のほとんどの労働は、機械化された。
工場ではロボットが、便利なプロダクトをくみたてる。
それら商品は、自動運転のドローンが運ぶ。
サービス業もだいたいは、ロボットにいれかわった。
もちろん家の中でも、AIやロボットはかかせない。料理から掃除からなにから、すべて自動でやってくれる。
そうして人間は、それほどせっせと働かなくてもよくなった。まったく働かないというわけではないが、基本的なインフラは整備され、必要な労働はロボットがかわりにやってくれる。そのロボットの生産や修理も、ロボット自身でおこなう。
むろん、そうした社会が消費するエネルギーも、永続できるシステムが構築されている。
せいぜい人間のやる仕事は、そのロボットやらのスイッチを入れたり切ったりする程度。
生きるのに必要なものは、ほとんど無料でそろっている。よって生活を維持するために、つらい仕事をするという人はいない。
あくせく働かずとも暮らせるようになって間もない頃、人びとは喜んでいた。これといって、何もしなくていい生活。のんびりと、ありあまる時間。これからどう自由に、暮らそう。わくわく期待に胸を躍らせた。
しかし、そのような日々が長いことつづいてくると、だんだんと辛くなってくるものなのだ。いつまでたっても、ひたすら自由な生活に、人びとはあきあきしてきた。
そういえば以前、こんな話を聞いた。苦労せずとも、常にエサが手に入る。そんな状態は、ネコ以外の動物にとっては、ストレスになるそうだ。
人間も、ネコのような動物であったらよかったのに。
そしてこんな話も聞いたことがある。古代エジプトでは、ナイル川が氾濫して、農作業ができない時期があった。そこで人びとに仕事を与えるための失業対策として、ピラミッドが建設された、とかなんとか。
地球環境がまだ、それほどひっ迫していない時代なら、そのような大規模公共事業を計画するのも、ひとつの手だったろう。
しかしサステナブルだのなんだのが、大きくさけばれてひさしい現在。そんなことをするのは気がひける。
ひまに耐えられないというだけの理由で、無意味な労働を作り出し、エネルギーや資源を無駄にするのは、いささか愚かにおもえる。
そもそも、今さら労働というものに、まともに従事する体力や能力が、もはや現代人には備わっていない。
そこで、アートが推奨されたのだ。
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