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「まだ認めないの?」
あの日のこと、と柚葉が言った。声は淡々としているのに、その表情は楽しげだ。
「……だから、なんのことだよ」
「またそこからやる? いいけど、ただの繰り返しになるだけだよ」
テーブルに両肘をついて、両の手のひらで包むように顎から頬を支える彼女の視線から顔を背ける。
よくないからはぐらかしているのに、逃してくれないのはそっちだろ。口を衝いて出そうになった言葉を寸でのところで飲み込む。これを言ってしまえば認めたも同然だ。
絶対に口を開かない。その思いが伝わったのか、はたまた飽きただけなのか。ふぅ、と彼女のため息が届いた。
「あのね、気付いてるんだからね」
言い聞かせるような声は、どことなく呆れを含んでいる。
目を向けそうになるのをなんとかとどめて、俺は窓越しに行き交う人々を眺めるふりをする。
「私だって、同じ気持ちだったのに」
「――は、」
信じられない言葉に、柚葉を見る。
同じ気持ち? 嘘だろう。
「まさか」
鼻で笑った俺を、柚葉は真っ直ぐ見つめる。
「本当だよ」
「ありえない」
「どうして?」
「『同じ気持ち』なんて、そうあってたまるかよ」
「でも実際そうなんだよ――」
「――違う」
黙れ、と口に出さずに柚葉を睨む。彼女に抱く恋心から生まれた、はるかに強く荒いものが腹の奥で渦巻く。
その黒々とした、苛立ちとも焦りともつかない感情を喉からしぼり出した。
「お前の気持ち――考えは、俺とは似ても似つかないよ」
彼女の体に広がる、毒々しい痣が脳裏によみがえる。その度に、何度、衝動にまかせて「原因」を取り除こうと思ったか。俺はまた、身を焼くほどの黒い熱にのまれかけ、しかし吐き出す先はなく、奥歯を食いしばる。
彼女は俺と逃げようと思っている。現状から、「原因」から、言葉のとおり遠くへ。けれど俺は違う。違った。「逃げる」「逃す」という根底は同じだとしても、向かう先は天地の差、天国と地獄だ。同じなわけがない。あってたまるか。そうならないように、俺が――。
「――私が殺したかった」
周りの音が消える。ほほ笑む彼女から目が離せない。喉が渇いてひりつく。
「君がやらなかったら、私がやってた。だってそうしないと、もう、駄目だったでしょ」
否定できなかった。あれ以上、救いを、変化を待つのは限界だった。駄目になっていた。柚葉が。あの人の形をした化け物が。そして俺が。ならば、彼女の命が消えない「駄目」を選ぶしかない。遠くへ逃げたところで、影に怯えるのでは意味がない。けれど優しい彼女は、どれだけ酷いことをされていても、根源そのものをないものにしようとは思わないだろう、と。
だから、俺が殺したのだ。
「私がころ――」
彼女の口を手で塞いだ。
その選択肢が浮かぶ前に、救いたかった。彼女の声に乗せて聞きたくない言葉、言わせたくないどろどろした陰惨な心だ。俺は、そうさせないために動いていたはずだったのに。
彼女が、そっと俺の手をどかす。それから、穏やかで嬉しそうな、それでもかすかに掠れる声で彼女は言った。
「ね? 同じ気持ちでしょ」
いつもどおり悪戯っぽく笑おうとして失敗している彼女を見たくなくて、俺は片手で目を覆った。
じわりと背中が冷える。歪んでしまった世界に、汗が滲んだ。
燻る感情を勘付かせるつもりはなかった。悟らせてしまえば同じ黒に染まってしまうとわかっていたから。行動に移すと決めてからも、それは変わらなかった。勝手に理性を捨てるのだ。背負わせるつもりなんて、なかった。うまくいくと思っていた。
それがただの思い上がりで、間違った選択だったのだと、すべて終わってから気付いたところで遅い。
閉ざした視界の外で、彼女の息を吸う気配がした。ありがとう、と嬉しさの滲む声がそっと空気を揺らし、柔らかな声は続く。
「――一緒にいようよ」
陰鬱で甘い、共犯を望む心。それを突き放せる理性など、俺はとうに失くしている。
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