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加賀武志の葬儀とは違って、小さくてこじんまりとした葬儀だった。真ん中に置かれた棺に、一人の女性が寄り添っている。
白髪の増えた髪、いつのまにか深くなった皺。喪服を身にまとい、目を真っ赤にしているのは、紛れもなく母だった。こうしてみると、ぐっと老けたなと感じる。幼い頃自分を軽々と抱いてくれていたあの頃とはまるで違う。
『なんで、こんなことになったんだろう……私が変わってあげたい……』
涙声が小さく聞こえてくる。その頬には涙の跡がたくさん残っていた。
『晴也……苦労ばっかかけてごめんねえ。でも文句も言わず働いてたあんたは世界一の自慢の子だったよ……ごめんね、幸せにしてあげられなくてごめんね』
ぼろぼろと涙が棺に落ちていく。その光景を見て、自分の目にも涙が浮かんだ。
違う、母さん。僕、別に不幸だなんて思ったことなかったよ。不満もあったけど、楽しいこともたくさんあったから。
母一人子一人の生活は決していいものではなかった。経済的な問題もあったし、母自身疲れてふらふらになっていた。僕も、貧しい生活に恨みがなかったと言えば嘘になる。もっと普通の家庭に生まれていたら――何度そう思ったか分からない。
それでも僕が道を外さず生きてこれたのは、紛れもなく母の存在のおかげだった。
お金がなくてもなんとか思い出を残そうと色々連れてってくれたことは忘れていない。誕生日には奮発してホールのケーキを買ってくれたし、遠足の弁当は豪華で手が込んでいた。
ごめん、母さん。親より早くこっちに来てしまうなんて、親不孝者でごめん。本当はこれから、温泉にでも連れて行ってあげようと思っていたのに。もし結婚とか出来たら、孫だって抱かせてあげられる未来があったかもしれないのに。
そばにいられなくて、本当にごめん。
そう心の中で言った時、画面に一人の男が現れた。僕の唯一の友人、トオルだった。友人だったとはいえ、葬儀に来てくれたことは驚いた。時々連絡を取って飲みに行くぐらいで、トオルにとって俺は大勢いるそこそこ仲のいい友人の一人だと思っていたからだ。
彼もまた、鼻も瞼も真っ赤に腫らせて、棺に向かって話しかける。
『晴也。急ぎ過ぎだよ。俺もっとお前と遊びたかったのに。一緒に飲んで馬鹿なことしたかったのに。こんなアホな俺と友達でいてくれるのなんて、晴也だけなのにさあ……。覚えてるか? 俺がクラスで無視され出した時、晴也だけは話しかけてくれた。あのお礼、まだ出来てないのに』
泣き顔なんて見たことない男友達の涙に言葉を失う。嗚咽を漏らしながら、トオルはずっと泣き続けている。
そんなふうに思ってたのか?
昔の話だ。つまらない理由でトオルを無視し始める奴らが現れた。確か、そいつの好きな女の子がトオルを好きだった、とかだったと思う。クラスの中心人物だったので無視は広がったが、くだらなかったので僕は従わなかった。それに何より、トオルは明るくて優しいいいやつだったので、そんなことでいい友人を失くしたくなかったからだ。
無視は少し時間が経つと自然と解消されていた。半分忘れていた過去だというのに、トオルはずっと感謝してくれていたのか。僕こそ、こんなつまらない自分と友達でいてくれたことにお礼を言いたいのに。
時々飲みに行って近況報告をして、トオルの家でホラー映画を見たり、ゲームをやったり、そんなくだらないことをしている時間が何より楽しかった。
それを素直に伝えられなくてごめん、トオル。お前はたった一人のかけがえのない友人だった。
胸が締め付けられる思いで見ていると、更に画面に入り込んできたのは、職場で一緒に働く石田さんという女性だった。これまた驚く。彼女とはほぼ仕事上の会話しかしたことがない。上司などはともかく、彼女が葬儀に参加したのは意外だった。
真面目で明るいいい子で、いるだけで周りがぱっと明るくなる……僕とは正反対の女性だった。
石田さんは鼻を真っ赤にして、小さな声で言う。
『わ、私……高橋さんともっと話せばよかった……いつも優しく仕事を教えてくれて、フォローしてくれたのに。私のミスを被って一緒に謝ってくれて。いつか告白しよう、って、そう思ってたのに……』
ハンカチを強く握り締めながら顔をぐちゃぐちゃにして泣く。息が止まったかと思った。
まるで気づいていなかった彼女の気持ちに言葉が出ない。どうせモテない自分、と思っていた。誰も僕になんか興味がないんだと思い込んでいた。でももしかして、勝手に壁を作っていたのはこっちだったのだろうか。
そういえば、美味しいお土産をくれたり、たわいもない雑談を振ってくれたり、彼女はよく話しかけてくれた。
ああ、僕はそれにちゃんと答えられていたんだろうか。笑顔でありがとうと、伝えられていたんだろうか。
思い出せない。
僕の方こそ、明るい石田さんの存在に癒されていたというのに。
人の少ない葬儀場に、三人の泣き声がただ響いていた。悲痛な声だというのに、どこか嬉しく思ってしまう自分がいた。
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