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いつも見つけられる側だった。
例えば本棚の並ぶ奥。
深い緑が生い茂る庭の隙間。
調理室向こうの隠し部屋。
どこに居たって、どこに隠れたって、いつも必ず見つけられてしまう。
「マッチ売りの少女なる者が羨ましい」
呟く程度にそう言って、手近にあった古めかしい本をパラパラ捲っていたのは、黒い色をした女の子であった。
ぺったりと両足を地面につけて、インクが掠れてしまっている表紙のタイトルを指でなぞっている。
「こちとら、ちっとも呼んどらんのに、飽きもせず毎日毎日来よるんじゃ」
女の子の年は十を過ぎたほどだった。というのに、おおよそ違和感を抱かれそうな老成した口調は周りのヒトに、その外見とのチグハグな印象を与えること間違いなしである。まあ、そんなことを気にする必要はないけれど。
だってそんな周りの人とやらは、女の子のそば――ここにはいない、ので。
「――?」
ふとペラペラ捲っていた指先が止まる。
「箱入り娘か……ふむ、なかなか面白い表現じゃな」
黒い女の子の置かれている状況はまさにそれに近い。このだだっ広い敷地内から外へ出たことはなかったから。
各学年6クラス、一クラスにつき30人程度がここへやって来ても十分収まる小学校くらいの広さがあるそんな建物の中。その部屋のひとつ、図書室に当たる部分に女の子は座り込んでいる。
「ま。うちのやるべきことは、ここでやれることじゃし」
お外にちっとも興味がないと言えば嘘になるけれど。
それでも他に家族も同世代の友人もいなくて、でもひとりでいることに疑問はなくて、ここまでやってきた。
他と比べることなんかしなくたって、自分のやるべきことが決まっていれば、なんら問題ない。それに集中すれば良いだけのこと。
そう思っていたのに。
最近だ。
最近になって小さな異物が現れた。
――あの阿呆。
目下、黒い色の女の子を大いに悩ませている元凶のそれは、どうも気に障る苦手な奴だった。
「いや苦手じゃのうて!」
ちがう、ちがう。嫌いなだけだ。
苦手っつたらなんか、負けてるみたいじゃないか。
ただいつも正面玄関からではなく、空いた窓からひょっこり乗り込んできたり、急に背後に立たれるのはいただけない。
「つーか、いつもどこに帰ってどっからやってくるんじゃ、他にここを訪ねるやつなんかいな、
「それは!! おなまえを聞くためですよー? っと、ん?」
――むぅ!?」
矢庭に放たれた声は背後から。
振り向けば元凶、原因。
その姿があった。
「――、……ハ?」
白だった。
圧倒的な白い色だった。
黒い色の女の子の視界を奪ったのは、混じりけのない白雪を体現した男の子だった。
そんな白い色が、ペタリ座っていた女の子の背から顔を覗かせて、未だ開きっぱなしだった本に目をやっていた。
「ふっふっふー。やっと見つける! ん? た、たーだ! 見つけたー!!」
「ウッッザッッッ!!」
ぷんすこ、頭からそんな音を立てて煙がでてくる勢いで立ち上がり、手にしていた本を素早く閉じる。
「ふふ、おはよう! ふ、ははは!」
「あーあー! もう、うっさい、うっさいわ!」
腰に手を当て妙にえばる白色は、けたけた高笑いし、悩みなんて一つもないという能天気な態度でもって、何がそんなに楽しいのか、女の子の周りをぴょこぴょこ跳ねている。
「いやぁ、今日はびっくりしたよ。まさか、昨日と同じ場所にいるなんて」
「……ち」
裏をかいたつもりだったのにと女の子は、イラつき舌打ちをする。
毎度毎度べつの場所に隠れているとネタがつきてくるから、前日と同じところで身を潜めればいいと思いついた。そうすれば、このウザイかまってちゃんに見つけられることは、今日こそ無いだろうと思ったのだ。
そう、諦めて帰ってくれれば、万々歳だったのに。
「はい、じゃぁー、黒い色の女の子は、ぼくにぃ、お名前を教えて下さい」
ペコリ。動作だけはいっちょ前に礼儀正しかった。
「昨日もその前も、その前の前も繰り返し繰り返し言ったが、絶ッッ対イヤじゃ!!」
プイ、かぶりを振って背を向ける。
初めにそう返答したから、こっちから折れること決してしたくない。
だが女の子の意地を余所に、もはや常套句のような、お約束のような、壊れたレコードのような、ずっと何度もやりとりした応酬は、はたから見れば仲の良いもの同士の合言葉にも見えるところだった。
「天気はいいけど、さむいよね。暖炉はない?」
そしてこれ。
毎回なんの脈絡もなく、唐突な話題提供が行われるのだ。
「……あるのは湿ったマッチくらいじゃ」
「ありゃりゃ」
カラカラ笑う。まるで正反対。
黒い髪に黒い服装の女の子とは違って、この白い色は、髪も服装も真っ白であった。
それだけじゃない。いつだってムスッとした表現な女の子に向けられるのは、どんなときも満面の笑みだった。
たぶん箸どころか、髪の毛一本転がってるだけで爆笑しそうな奴であった。
「はッ! ぴょこぴょこしてたら、こう、身体が温ったかくなってきた!」
「さいですか……ハァ」
「ん。じゃ、帰ろうかなぁ」
「ほんと、何しに来たんじゃ?」
ゴーン、と建物全体に低い音が響いたのを合図に、来て早々、くるりと背を向ける白い色。
いつもこんなふうに、女の子の閉ざされた世界にやってきては、何か実になる話をするわけでもなく、主に女の子の心を荒らして彼は立ち去って行く。
なんにもならなくて、得になるどころか鬱憤が溜まるだけの無為な時間。これなら読み終えた本を再度開くほうがどれだけ有益か。
女の子にとってそんな毎日似通った一幕。
例え白い異物が紛れ込もうと、代わり映えしないから、今日でその白色がやってきて何日目経ったか分からないのも無理はないと、黒い女の子は一人納得していたのだった。
*
雨の日である。
地面が根こそぎ抉られて、天と地が入れ替わるくらいの大雨であった。
「湿っぽくなっとる」
古い造りな見た目とは裏腹に、存外しっかりとした構えの建物であるから崩れる心配はない。けれど、閉め切られた窓は雨粒のせいで今にも割れてしまいそうだった。
加えて本はどれも湿気を含んでいる触り心地。
「今日はさすがに来んじゃろ」
椅子に座りながら、窓を打ちつける雨粒を射抜くように睨みつける。
「まさか、こん豪雨の中、出歩いとらんじゃろうな?」
愛想よい目なんてものは、どこに落としたのか身につけられなかったので、あの白い色だけでなく、どの方面にも睨みを利かせているのが女の子の常だった。
「……む」
なんとなく居座りが悪い気がして床に立つと同時、ガタタタタタ!!と怒号が耳を劈き、女の子は肩を跳ねさせる。
たぶん雨樋から勢いよく放たれた雨水がそこらへんの木板にでも直撃しているのだろう。
「むぅ。そういや、あれが来てからこんな荒れるのは初めてかもしれん」
白い姿を思い起こしたとき、タイミングがいいのか悪いのか、トントントン、小気味いい音がやってきた。
それはここ、図書室の入り口からであった。
「……の、」
珍しいこともある。
律儀にノックなどするなんて。
「ハァ。勝手に入ればいいもの……て違う!こんな日に来るなんて阿呆か? じゃなくて来るんじゃない!!」
いや落ち着けと、己を律する。怒りに身を任せるだけでは、相手に主権を奪われたと同義である。だから女の子は、先手を取られる前に、扉を両手で押しこちらから開けてやった。
その先に、待ってるはずの白色を思い浮かべ――
「…………は?」
結論。
単なる雨漏りの音だった。
木板の床に水溜りができている。
「ハァァァアアア」
気付けば膝から崩れ落ちていた。
振り回されている自身にも腹が立つ。
「阿呆はうちじゃ」
意識してしまうだけで負けた気がするのに。
女の子は首を振る。放って置けばいいものを、こっちが見つける道理がどこにあるというのだ。
「……茶でも飲むか」
それで気が晴れるわけではないけれど、これ以上最悪にはならないはず。
女の子はその部屋を飛び出して、誰ともすれ違わない廊下をひたすら進み、調理室にむかうことにする。
そして、やつはこんな素晴らしい茶を飲んだことないじゃろふふん、と勝ち誇った気持ちを肴に、最早一人恒例となったティータイムに興じるのであった。
*
「雨降った後は、やっぱし空気がよい」
廊下の窓から外を見上げると、驚くぐらいの晴天だった。白っぽい天の丸が力強く光を落としていて、数日続いていた雨の日なんか存在しなかったんではないかと疑ってしまう。
そう、大空はこんなにも晴れている。
だというのに、女の子の真ん中あたりは憂鬱さを孕んでいた。
「ぬ?!」
突然、窓外に見える庭の草むらからガサガサ音がした。
すぐにそちらに目をむけると、しかしそれは風に揺れただけの木立が、ドッキリ成功しめしめといった具合に枝葉で風音を鳴らしているだけである。
「こんのぉぉ。いやいや、しゃっきり堂々するんじゃ!!」
こうも調子が狂う理由は明白。
ここ数日間、つまり雨の日の間ずっと姿を見せてない白色のせいである。
「皆勤賞はなしに終わったな……ふむ」
そもそも、突然ひょっこりやってきたのだ。留まっている理由もどういった目的で動いてるかも分からない。
だから、雪みたいにいつか消えてしまうのは当然といえば当然のことで。あれの背景を知ろうとしなかったこちらが憤るのはお門違いだし、何の連絡も挨拶もなしに別れを告げられることに腹立するなんてお笑い種にもならない。
「ん?いや?! なんで来る状態が日常である前提?! 違うじゃろ!」
これでようやく落ち着いて読書に没頭できるし、いちいち逃げるように日々居場所を代えずにいられる。
「清々する、というやつじゃ!ふむ!……む?」
と、不意に現れた見慣れない記号に立ち止まった。
『階段』である。
一段一段ちがう高さで、木の塊が乱雑に積み上げられているのであった。
「もしや、おくじょーへ行けるのでは?」
ここ最近は、隠れるという目的ばかりが念頭にあったせいで視野が狭まっていたのかもしれない。何度か通っている廊下の真ん中にあったそれを見落としていた。何たる失態だ。
『屋上がある』ことは、窓の外を覗いたときや庭にいるときから知っていたが、そこへ通ずる道は今までなかなか見つけられなかったのだ。
「つまり絶好の機会じゃ」
いまは一人だから。
女の子は迷いなく、足をそこへ掛ける。
ギシギシ軋む音が鼓膜を震わせた。
「先は長そう……じゃが!」
ギギギ、ギギギ。
その階段は固定概念に囚われない造りと言われれば聞こえはいいが、前人の意図を掬わず闇雲に増減繰り返し、残されたところを継ぎ接いだ有様だった。
デコボコで高さが揃ってないせいで、余計に体力を削られる。
けれども立ち止まることなく何度も何度も、みぎ、ひだりの足を交互に動かす。
トントン、トン、とん、と、そして。
「ぷふぁー、つ……着いた……」
肩で息をし、引き戸を前に深呼吸して息を整える。
「ふぅ……あ。そうじゃ、もしかしたらこの建物を、一望できるやもしらん」
窓から外を眺めるのは限度があるから、女の子が見たことあるこの建物の『外』は緑の生い茂る庭ばかりだった。
それがここにきて、外界を知るチャンスが巡ってきたのだ。
そう思うと何故だか、わくわくと気分が上昇するのである。
「よし!」
握り拳を作って気合いを入れる。
――どんな物が見えるだろう。どんな色があるだろう。どんな景色が待っているのだろう。まだ見ぬ光景を瞳にうつせば、心に溜まっている鬱々とモヤモヤの塊をぶっ飛ばしてくれるに違いない。
大袈裟な音を立てて、重たい戸を引いた。
「――眩、」
金色。
それから風の匂い。
「か、ね?」
黒い女の子の眼前に、鐘楼につるされた金色の鐘が現れた。たしか撞木と呼ばれる長い棒も一緒に釣られている。
扉を開けた十数メートル先、女の子を待ち受けていたのは、木の幹みたいにずっしり構えた大きな鐘だった。
次いで黒い女の子は理解する。
ここは、時を刻む鐘の音が響く場所。時折ゴーンと屋内で聞こえたのは、これの音だったのだ、と。
「はえぇ、」
その鐘の空洞にすっぽり潜り込めば、個室になりそうな大きさがあるとみた。
「すごい、見事なもんじゃ」
図書室の本にだって鐘は登場する。だけど、文字の羅列だけでは実感できなかった圧が身に沁みるようだ。
「ふんふん、ふふん」
ここに来てよかったと、鼻歌を一節、女の子はいつになく上機嫌である。
綺麗なもの、凄いものを見れば胸が躍るのだ。
「ここで、ティータイムを過ごすのもありじゃな。おっと」
いけない、いけない。
一番の目的は、展望することだったと思い出す。
出てきたのは屋上の丁度真ん中あたりで、だから庭から鐘は見えなかったんだなと思いつつ、鐘を時計回りにぐるりと周る。
その先――屋上の端っこへ向かい、円を四分の一ほど進んだところだった。
「――ん?」
白い色を、見た。
「ぬわわん?!」
大空を背景に屋上の淵で傾き、まるで、雲に溶けそうな軽々しい色がある。
「あ!」
「あばばば!!!」
だからつまり、それは、白色は。
「阿呆だと思ってたがここまでとは阿呆!」
「二回も言うことなくない?」
女の子は、眼下に広がる敷地の外を眺める余裕もなく、一気に力任せに彼を引っ張り上げた。
そう、こいつは屋上の端っこで、今にも落ちそうに身体を乗り出し、挙げ句ひとりで体制を戻せないのか屋上に張られた針金を片手で握り、もう片方の手でパタパタ宙を掻いていたのだった。
「うちが来んかったらどうするつもりだったんじゃ」
「ふふふ、もしかしたら鳥かもって。でも違った。そもそもぼくに羽根なんて生えてないもんね、パタパタ」
「なんかほざいとる」
もはやこれ以上、声を荒げる気も失せた。
そんな女の子を慮ることなく白い袖を羽ばたかせ、けたけたり。
「音沙汰ないと思うたら、こんなところにおっ……いやぁ?!」
やれやれ仕方がないな、なんて気分で会話を続ける自身に素っ頓狂な声を上げる。
自分の目的は、これと話すことじゃない。
この流れを払拭せねば。女の子は即座行動を開始した。
本日何度目かの軌道修正である。
「ふむふむ、ここじゃと、庭しか見えんな、反対側から見てみるか」
独り言ちて、屋上を横断しようと鐘の周りをさらに半分ほど移動しようとする。
作戦名、白い色をいない者として扱えば良いのだ、である。短絡的になるのは好奇心が勝っているからであった。
――と、
「ん、」
「ん?」
「あーだめだめ、こっちはだめ!」
白い男の子が両手を腕からビシッと広げてトウセンボウした。
でもって超慌てていた。
始めて慌てる様子なんて見た。今まで余裕をかましている面持ちばかりだったから。
「ほう?」
黒い女の子は口角を上げる。
白い顔が青っぽくなるという愉快現象を目の当たりにし、気を良くした女の子が、その制止に聞く耳を持つはずもない。
「む……といや!」
「あ――」
「と!……なんじゃこれ」
すり抜け成功した黒い女の子の足元には、食器が広がっていた。
しかもビショビショだった。
十中八九、雨水のせいであろう。
「てかこれ、調理室にあるやつじゃなかったか? 勝手に持ち出してだれかに怒られんのか?」
「むむむ、見られたんなら仕方がない。はい、コレ、このひとつを持って」
「共犯に仕立てるつもりか?!」
実行した側から男の子を無視する作戦は失敗に終わり、手渡されたこれ。
水濡れを免れたのか、ずぶ濡れ食器のうち、このカップは乾いてある。
「……もういいわ。勝手にしろ」
「しろ? しろいものって大概おいしいよね」
「話飛んだし!」
「とぶ? ははは何言ってるの、鳥じゃないって言ったじゃん」
「憤怒!」
「そんなことより、はい、座って」
促され、もう反論も面倒くさくなり、腰を下ろした。因みにレジャーシートなど気の利いたものはないので床に直である。
「勝手にしろとは言ったが、うちは絶対ままごとになんかせんぞ」
「ちがいますーこれですよ、と」
言うやいなやジャグを手に取り、濁った液体を女の子の持つマグに注ぐと、自身の分にも注いでいる。
「……飲んで大丈夫なんかこれ」
「かんぱーい、おめでとう!」
とりあえず相手の出方を観察し、美味そうに顔を綻ばせているのを確認してから女の子も口をつける。
――ヌルいがまぁ、なかなかうまい。
「あれだね。マッチの一本でも擦れば温かく感じたかも。そのほうが美味しいし」
どうやら同じ事を考えたらしい白色が、悩ましげに首を傾ぐと眉間に皺を寄せる。
「そんな弱い火じゃなんもならん。幻想で温度や味が変わるものか」
「味も温度もいくらでも変えられるよ、みんな味わうのは記憶だもの」
「む」
記憶。
その単語に幾らか前日の記憶がふと蘇る。
「つまりマッチを売るあの少女は、それだけ詰まってるモノがあったということか。なんじゃ、境遇どころか歩んできた道まで違うんか」
「うん?」
「おまえには関係ない話じゃ」
言い切って、突然の沈黙が降りた。
それが妙に気まずくて女の子は首をふる。
「……祝いだったのか?」
白色に気なんて使いたくない。だから、ついさっきの掛け声の意味を問い、気持ちを切り替える。そういえば、めでたいとかなんとか言ってたなと。
「手短なところでいうと、誕生日か記念日、いや無いな。ううん、正月、端午やら桃の節句……めりーくりすます?」
そんなふうに適当に列挙すれば、白い色も頭上にハテナを浮かべる。
「特別でぃ、ではないけど?」
「おん?」
「すぺしゃるではない日の賛美てきな?」
「びっくりするほど理解できんな……じゃが確かにこんだけ晴れてれば、褒め称えたくもなるか」
「そうね。それもいいかも」
「はぁ?」
「なんもね、ない日だったから、それがずっと続くから、いっそそれを祝おうかな、て」
トトテ、白い男の子が立ち上がれば、その白に天から注ぐ光が反射して、たちまち場の彩度が上がった。
「空白の日には、ぼくは好きな色を勝手に塗ろうと思いました」
自慢げに言い切るのが鼻につき、女の子は口を尖らせる。
「……下地がなければ色を乗せるのもできないじゃろ」
「でも、落ちた先でシミぐらいは作れるよ」
「なんかいやじゃな、しみって」
一応女の子的には気になる言葉であった。
「そう? バターのよく染みたパンとかおいしいよ……あ!」
言うなり今度は、ぱあぁ、と顔に花を咲かせた。
「バターパンの日でもいいかも」
しかし、言ってる間にすぐ曇る。
まったく、表情がコロコロ変わって忙しそうである。
「はーしまった!!どうしよ! バターもパンもない」
「逆になにがあるというんじゃ」
「天然の冷やしお茶漬け」
「それまさか昨日までの雨でべしょべしょになったヤツではないじゃろなあ?!?!」
ポンポン呼応する会話劇は、傍から見れば、まるで旧来の友人であるかのような錯覚を覚える。
そして二人は再びカップに口をつけた。
半分くらい飲んだところで女の子は顔を上げる。
「これっきりじゃからな」
「うん?」
「こんなふうにお前と茶を喫するのは今日限りと言っとる」
「じゃあ、一周巡ったらまたしよう、一周記念? 待ってるから」
「会話して?!」
「待ちます」
「そんで強気じゃし! てか! 誰が! 見つけてやるか!」
「あははー」
「……む、」
言い返せば、なんだろうか。ちょっといつもの高笑いでも破顔でも朗笑でもなかった。ちょっぴり困ったときにするような、ひどく似合わない笑顔されてしまった。
「……まあ、そっちが来るぶんは……いや!いまのはない、なしじゃ!」
だからとんだ戯言を言おうとしてしまったのである。
全力撤回であった。
「なしくないよ。なまえ聞きにあしたも行きます」
「絶対教えんし!」
今回は期せずして、向こうが待っている側、こちらが見つける側となったが、全くと言っていいほど、黒い色の女の子には白い彼の気持ちが分からなかった。
でも、悔しいが一つ気付いたことがある。
空白が横たわる何も無い日の癖に、今日のこの日の記憶は、たとえ色褪せたとしても決して消えてくれないシミのようであった。
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