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再び僕が机の前で考え込んでいると、引き戸が開くガラガラという音とともに鋭い声が飛んできた。見ると、短い黒髪の男子学生がこちらをギッ、という音でもしそうなほどに睨みつけている。
「……何かしているように見える?」
気になったので、聞いてみた。今の僕を見てもただ女子の机の前に立っている男子学生、というようにしか見えないだろうに。あんなふうに怒鳴りつけられる筋合いはないと思う。
「聞いたぞ、あのいじめっ子と何かコソコソ話しているのを!女子の持ち物をとってこいとかなんとか!」
おや、聞かれていたようだ。それならば怒鳴りつけられても不思議はない。
「へえ、じゃあ君は僕たちの話を盗み聞きしていたわけだ、コソコソと」
「うっ、それは、その……」
どうやら言い返せないらしい。しょせん彼もピカピカの中学1年生、ということだ。
「でも!」
おや、言い返してくるらしい。
「その女子の持ち物をとろうとしているのは間違いないだろう!じゃないとお前がそこにいる理由がない!」
至極もっともだ。……しかし。
「僕がこの机の前に立っているのはまあそういうことだよ。でも僕は迷っているんだ。本当に物をとるかどうか」
「な……言い訳だ!だってお前はいつも奴らと一緒にいるじゃないか!」
「だからって僕が従うとは限らないだろう?」
「仲間なんじゃ……ないのか」
「仲間か……実際にそういう存在をもったことはないけど、僕が知ってる仲間っていうのとは違うかな」
なんだかどんどん目の前の彼の声が小さくなっている気がする。最初は轟々と燃え盛る炎みたいだったのに、今はロウソクの炎よりも弱いくらいだ。
「ねえ……君は、『怒ってる』の?」
「……は?」
「そうだとすると、何のために『怒ってる』の?君には関係ないことだよね」
僕がこの女子の持ち物をとろうがとらまいが、と続けると、彼は絞り出すような、しかしよく通る声でこう言った。
「だって、お前のやろうとしてることは、よくないことだから」
「へえ、それで僕に怒ってるんだ。よくないことをしようとしている僕を――」
「違う!」
突然彼が大声をあげるので思わず肩が跳ねた。
「ずっと、お前のようなやつがあんなやつらと一緒にいるのが不思議だったんだ。ずっとパシリみたいなことさせられてるし……今回も、脅されてやってるのかと思って……」
彼の言葉を聞くにつれて、自分がどんどん目を丸くしていっているのがわかった。
「それじゃあ……彼らに怒ってるの?僕じゃなくて――」
「それも違う!いや、そもそもオレは怒ってなんか……あーもうわからなくなってきた!」
目の前で遂に頭を抱え始めた彼の様子を見ていると、なんだか不思議な感覚が込み上げてきた。
「ふふ……あはは」
「……何」
「ふふ、そっか、これが『嬉しい』……いや、この場合は『面白い』が適切なのかな」
ずい、と彼の顔に自分の顔を寄せる。
「なっ……なんだよ!」
「君はどうやら僕にとって『面白い』らしい。ねえ、君の名前は?」
「か、枳、透……」
「カラタチくんか、他人の名前に興味を持ったのなんて初めてだよ。名前も面白いね君、見たことないよ、『カラタチ』なんて」
「お、お前は……!お前の名前は」
「僕?僕は呉羽だよ」
「そっちも聞いたことないが……」
「違う違う、呉羽は名前。苗字は斉藤。よく見るとは言わないけどそこそこ見たことがある苗字でしょ?」
カラタチくんはうん、だかううん、だかよくわからない返事をして黙ってしまった。カラタチくんが返事をしてくれないので僕がそのまま話し続けることにした。
「僕、あのグループから抜けて君の側にいたいなと思うんだけど、どう?」
「ど……っ!?どうって、何が?!」
「や、だから彼らと一緒にいてもこれ以上何か収穫がありそうにもないし、君は僕にとって『面白い』し……そもそも僕は『感情』とはなんたるかを知るために」
「だーっ!もうわかった、わかったから!いや言ってることはさっぱりわからないけど!好きにしろ!」
「ほんと?やったあ、それじゃあこれからよろしくね、カラタチくん……えっと、多分こういう時は握手をするんだよね、はい」
「……お前、本当に変なやつだな」
カラタチくんは一瞬戸惑っていたようだったが、おずおずと握手を返してくれた。
「ねえ、今どういう『感情』なの?どういう時の顔?それは」
「う、うるさいな……わからないよそんなこと、フクザツな気持ち、だよ」
「曖昧だなあ……まあ君と一緒にいるうちにそれも言語化出来るようになるかな。とにかく」
もう一度、よろしくね、と言ってから、僕はカラタチくんの暖かい手を離した。
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