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男は動じることなく、こちらへ迫ってくる。
恐れをなさない男を前に、小春は怖気づきそうになったが、負けじと言葉を続けた。
「これは私の父の物です。返してもらいます!」
「それは禁書だ。持つことは罪——」
「でしたら、あなたが盗んでいったことも罪でございませんか?」
「……、なるほど」
わずかに、男の口角が上がったように見えた。
そして男は小春を見下ろす位置まで詰め寄ると、懐に入れていた手をおもむろに取り出して、小春の顎を掴み仕留めるように持ち上げた。
「ひゃっ!」
驚いた小春はとっさに男の手首にしがみつく。その拍子に、手に持っていた指輪が自らの袖の中に滑り落ちていったことに小春は気づかなかった。
男の筋張った腕が力み、顔が近づく。
「……不躾な町娘だな。小春」
「!」
その言葉に、小春は目を瞠る。
昨、確かにこの男とは出会っている。鼻孔を掠める香りも昨と同じ。たが小春は男に名を名乗ってはいなかった。
(……なぜ、私の名を?)
男と視線を絡めながら胸の内で問いかけるも、その眼は沈黙している。
予期せぬ男の言葉に、小春の心の臓がはちきれんばかりの勢いで鼓動を打ち付けていた。
いったい、この男——何者なのか。
男は小春の手中から書物を掠め取ると、己の懐に仕舞った。
再び書物を奪われた小春であったが、取り戻そうとする気は湧かなかった。
粟立つ肌に男の香りが纏わりつき、高鳴る鼓動は警告のようである。
男は、小春の顔をさらに上向かせると、顔を近づけて囁いた。
「禁書のことは伏せておいてやる。その代わり、あんたもこのことは口外するな。これは契約だ」
そう言うと、男は小春を解放した。
硬直しきる小春に構うことなく、男は部屋を後にしようと、小春に背を向けて肩越しから告げる。
「二度とその面を俺に見せてくれるな。出て行け——」
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