【序章】(一)麝香の誘い

3/5

9人が本棚に入れています
本棚に追加
/161ページ
 辺りを見渡してみると、通りを挟んだ向かいには大きな屋敷が広がっていた。その脇に道がある。小春はそちらへ向かうことにした。  横丁は上り坂であり、さらに進むと再び道が分かれた。  小春は再度、覚書を取り出して目を通す。 (この道、三念(さんねん)坂って言うんだ)    三念坂とは、転ぶと三年以内に死が訪れるという云われの坂である。足元に気をつけて真っ直ぐ進むようにと案じてくれてはいるが、何故そんな脅かすような道を案内するのかと、小春は人知れず眉をしかめた。  土地勘のない道、いつしか喧騒は消え、草履の音だけが響いている。 (まことに、この道で間違いないのかしら)  迷いを感じながら歩いていると、目の前を薄紅色の花びらがはらりと舞い落ちた。 (桜……?) 心許なさを和ませる色が映り、小春は顔を上げて辺りを見回す。どこかに桜の木があるのだ。  すると、道なりに続く塀の向こう側で、薄紅色の頭が揺れていることに気づく。小春は塀をつたい、中を覗けないかと入り口を探した。 ————  そこは寺であった。  だが境内は荒れ、本堂の柱壁は朽ち果てており、屋根も一部が崩れ落ちている。 (ここ、廃寺なんだわ)  それ以上先へ進むのが躊躇われたが、その陰気な景色とは対照的な艶やかな桜が、風に揺られて優雅に花びらを散らせている。  心が華やぐ見事な桜を独り占めしていることに、小春は優越感で満たされた。 (綺麗……)  すると、麗しい香りが漂ってきた。  桜に香りはないはずだと思っていると、小春はとある光景に心の臓を大きく跳ね上げた。  
/161ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加