前夜

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前夜

 時は慶長5年9月。  美濃国、東山道沿い。  太閤秀吉亡き後。戦国の世は再び風雲急を告げる。  煌びやかな鎧を着た騎馬武者が闊歩し、その後に足軽達や兵糧部隊が続き、数万人の兵が林道を下る。  林道の付近の集落は、ただ事ならぬ雰囲気に驚いて戸締りをする。  素性の知れぬ足軽が隣の集落で、妊婦をかどわかした事で、軍機に照らして手打ちにあったという噂があるのだから、農民たちの狼狽ぶりもただ事ではない。  戦々恐々と誰もが固唾を飲み、騎馬武者達の行軍する様をやり過ごすように堪える。  数名の足軽が勝手に隊列を離れ、噂通り集落を物色する。集落の中で少々地位のある農民が暮らす屋敷にも、構わず土足で乗り込んで行く。  「わしらは石田三成様の家来じゃぁ!!!ひゃひゃひゃひゃーー!!!知っておろうのぉ知っておろうのぉ!!!天下にとどろく三成様の名前を存じぬとは申さんぞぉーーー!!!」  屋敷の中で暴れて使用人を刀で追いかけまわし、年頃の女子を首ごとかかえて歩いている。女子は恐怖の余り、泣く事すらできずにいる。  「どうかどうかおゆるしをーっ!!!娘は未だこれから成婚にございます!!」  女子の父親が泣きながら躍り出て、娘の無事を叫ぶ。  足軽は刀の刃を舌で舐めるような仕草で、何も聞き入れぬそぶりである。  そこに風来坊のように、屋敷の入り口に一人の剣客が現れ、既に屋敷に入る前に処分した足軽の一名を、屋敷の中に勢いよく放り込んだ。  「国は滅ぶべくして滅ぶものよ。」  「き・・・き・・・きさま!!!ここを、石田三成が本陣の所在と知っての狼藉か!!!」  足軽は抱えていた女子を解き放ち、ガタガタと震えながら剣客と対峙する。  「その構え・・。そなたは、まだ一度も斬った事は無いのであろう。」  「う・・・う・・うるへぇ!!!!」  「そなたの主君は、命を粗末にするやり方しか教えんのか?」  「斬りたきゃ斬ればいいだろう。さぁ、ほらどうした!!」  「金が欲しいのか?金に困っている。」  「そ・・そうだ。故郷の村では、かかあと、せがれが病気で寝込んでる。そんなさなかに戦なんかおっぱじめやがって。あったま来る。もうどうにでもなれ。田も畑も踏み荒らされ、家畜もみんな侍達の胃袋の中だ!!!もうどにでもなれ!!!」  「命を粗末にするな。お前が死んで泣く人がいるのだ。金ならくれてやる。さっさと故郷に帰れ。」  剣客は袋から数枚の小判を投げ与えた。  「こ・・・小判・・・!!!!き・・貴様、只者じゃないな??」  「故郷に帰ったら、石田三成の陣中で柳生宗矩(やぎゅうむねのり)に会ったと騒げ。良いか?騒ぎは大きければ大きいほど良いぞ。それとも、戦国時代最強の剣術、柳生新陰流の刀の錆になるか?好きな方を選べ!!!」  「ひぃっ。わ・・わ・・わかった。帰ってやるよ!!!故郷になぁ!!!あばよっ!!!!」  足軽は持っていた刀を放り投げ、小判をかき集めて、屋敷から逃げるように去って行った。    剣客は足軽の持っていた刀を拾い上げる。  (竹の刀か・・。よもや末端の足軽にまともな装備品も誂えられぬ。三成よ・・。)  胸にこみあげて来る悲しみと暫く向き合う。  「お・・おさむらいさん!!ありがとうございます!!!」  親子は何度も何度も繰り返し剣客に頭を下げる。  剣客は何も言わず屋敷を後にする。屋敷の入り口には先ほど斬った数名の足軽の亡骸があった。  「流れずとも良い血がまた流れる・・。」  軍勢は東軍・西軍合わせて15万とも20万とも言われる、日本の戦国時代史上最大の戦が、まさにその火ぶたが切って落とされようとしていた。  (おわり)
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