きみにつながる物語

1/1
前へ
/1ページ
次へ

きみにつながる物語

 空気が輝いて見えるのは、大気に満ちるエーテルが光を放っているからだ。普段は目に見えないそれは、いくつかの気象条件を満たすことで可視化される。  彼女は窓辺に立ち、白い光の粒子を眺めていた。ぼくに気がつくとゆっくりと振り返り、ほほ笑む。 「お帰りなさい」  窓枠に小さな肩をおさめ、光に包まれる彼女は、とても神聖なものに見えた。 「ただいま」  まるで、彼女の命そのものが輝いているみたいで、目が離せなくなる。  ◇◇◇  ここは、管理塔を中心に広がる都市が林立している世界。どの国であっても、人が暮らす場所には必ず管理塔を設置していた。ぼくらが暮らす管理都市エリオスも例外ではない。  大気や大地には有害な物質が蔓延(まんえん)している。人びとは、()()を浄化するためのシステムを構築した。街の中心にシステムを集約した管理塔を建て、まとまって生きるようになった。  塔には伝達機能も搭載されている。機脈(きみゃく)と呼ばれるケーブルが人びとの生活基盤を支えた。機脈は都市の隅々に張り巡らされ、街や人に情報やエネルギーを送る。  機脈が幾筋も伸びる姿は世界中で見ることができる。人間が生きていくために、都市の管理化は必要不可欠なのだ。  さまざまな太さの黒いケーブルが、モルタルの壁やコンクリート、鉄柱の表面を這い、互いに絡み合い、つながっていく。 「この部屋がいい。私、ここで暮らしたい」  新しいアパートの決め手となったのは、彼女の一言だった。付き合いはじめて一年が経つ頃、彼女に同棲を申し込んだ。ぼくがそう告げると、彼女は目を丸くして、頬を染め、大きく息を吐き、それから静かに頷いた。  物件は二人で見て回った。不動産屋に紹介されたアパートからは、管理塔の姿がよく見えた。  彼女は部屋にある一番大きな窓のそばに立ち、この部屋がいいと言った。ぼくたちの職場からは少し距離があるが、駅は近いし、通勤には問題なさそうだった。ぼくたちはここを新居に決めた。  それからというもの、窓辺で過ごすことは彼女の日課となった。窓のそばでお茶を飲み、本を読み、音楽を聞き、塔を眺める。  ぼくが帰宅すると席を立ち、こちらへやってくる。 「お帰りなさい」 「ただいま」  玄関まで出迎えてくれる彼女を抱きしめると、仕事の疲れなど吹き飛んでしまう。それは彼女も同じようで、ぼくの背中に手を回し、肩に頬をすり寄せてきた。  家で誰かが自分を待っていてくれることが、うれしくてたまらない。  それが愛する人ならなおさらだ。  ◇◇◇  彼女は今日も窓から管理塔を眺めていた。いくら気に入った部屋とはいえ、毎日同じ景色ばかり眺めて飽きないのだろうか。  背後でコーヒーをすする僕を他所に、彼女は今日も窓辺に座り、外の景色を眺めていた。 「毎日、毎日、よく飽きないね」 「だって綺麗じゃない」 「自分たちの職場だぜ」 「あら、なにかご不満でも? 整備士さん」 「いいえ、不満なんてありません。整備士さん」  ぼくと彼女は同じ職場で働いていた。管理塔の整備課で、整備士をしている。システムの不具合や機脈の故障があれば修理し、正常に動くように整えるのが仕事だ。  街の人びとが不自由なく暮らせるように、ぼくら整備士は朝晩に関わらず、機脈の様子に神経を使っている。  彼女がぼくの職場に配属になったのは二年前だ。彼女の教育係を任されたのがきっかけで仲良くなり、付き合うようになった。彼女は北にある辺境都市カオルーンからやってきたと言った。  彼女いわく、この街にはシステムの整備だけでなく、街への敷設方法やインフラとの連携などを学ぶために来たそうだ。  深緑色の髪と目、真っ白な肌。知的な横顔からは一見、近寄りがたい印象を受ける。ぼくも最初は、よく知らない都市から来た気難しそうな人と敬遠していたのだけれど、少し話せばすぐにわかった。彼女はとても明るく真面目で、優しい性格だった。  しかしそんな彼女にも、一風変わった面がある。 「わあ。雪よ、雪。積もったわ」 「ああ、どおりで寒いと思った」 「ちょっと出かけてくる」 「今からかい?」  ぼくが止める間もなく、彼女は部屋を飛び出した。その日は朝から雪が降っていた。窓の外は一面の銀世界だ。ドアが開くと突き刺すような冷たい空気が入り込んでくる。  雨や雪は人体に有害だ。白く美しい姿をしていても、汚染された大気を含んでいるので毒にしかならない。管理塔があるとはいえ、人びとは天気の悪い日はなるべく外に出ないようにしていた。それなのに彼女ときたら、ちっとも気にしないどころか、嬉々として外へ飛び出していくではないか。 「なに、やってんだ」  窓の下に、近所の子どもたちとはしゃぐ彼女の姿があった。きゃあきゃあと声を上げながら、降り積もった雪を丸めて投げたり、蹴飛ばしたりしている。やがて子どもたちの親が来ると、一緒になって叱られていた。  彼女はそのあと、またどこかへ行ってしまった。彼女が帰ってきたのは、それから一時間後のことだった。 「ただいま。ケーキを買ってきたわ」 「おかえり。なぜ、ケーキなんだい?」  鼻を真っ赤にしながら首を傾げる彼女は、子どもたちと同じくらい無邪気だ。 「雪が降ったから、嬉しくなっちゃって」  彼女の冷静な横顔しか知らない連中には、想像もつかないだろう。微笑みながら首を傾げる彼女は、ぼくの心配や懸念を吹き飛ばすほどチャーミングだった。  彼女の故郷に管理塔は設置されていない。少数民族が暮らすカオルーンは、世界中が次々と管理化していく中、長らくシステムの導入を避けてきた。古い風習を大切にする人たちだそうだ。山岳地帯にある彼らの棲み処は、平地よりも汚染率が低い。だから今まで暮らしてこられたのだろう。  都市に比べたら住人の数も少ない。汚染されていない自然と同調して生きるがカオルーンの人びとだった。 「でも、最近は汚染が進んでしまっていて、カオルーンも管理化せざるを得ないの」 「そうか。でも、塔があれば大気や大地は綺麗になるし、流通や通信は各段に便利になる。なにより、エネルギーの供給を受けられるようになるのは大きい」 「自然の景色が変わってしまうのは残念だけれどね」 「金属樹も悪くないぜ。酸化剤を使えばいろんな色に染められるし」 「私は山に積もる雪の白のほうが好き」  カオルーンの冬は長く、夏は短い。そんな場所、住みにくいとしか思えないのだが、彼女は故郷を愛していた。彼女にとって雪景色とは、忘れ難き原風景そのものだった。  愛する故郷に管理塔を建設し、発展させる。人びとの暮らしに安心と安全を提供する。  それは彼女の願いだった。  ◇◇◇ 「管理塔って、どうやって造るか知ってる?」  新居での暮らしにも慣れてきたある日、彼女は言った。そのときも雪が降っていた。彼女は窓辺に座りながら古いレコードを聴いていた。窓の向こう側で、空の灰色と管理塔の黒が、奇妙なコントラストを描いていた。その周りを、白い雪の粒が舞っていた。 「いいや。知らないな。それは委員会と上級整備士にしか教えられない。ぼくたち一般整備士は、点検と修理しかできない」 「そう。そうよね」 「噂によると、塔の最深部にはエネルギーを集積する装置があるって話だけどね。核となるものがあって、地上に分散しているエーテルを集めることができるとか」 「あのね、私、本当は」 「都市の最重要機密だ。塔の深部に関する情報が漏れたらタダじゃ済まない」ぼくは彼女を振り返る。深緑色の視線とぶつかる。「なぜ、そんなことを? 仕事に必要だった?」 「いいえ。なんでもないの」彼女は首を振る。それから、「ねえ」とぼくを呼んだ。ささやくように。 「いつか、カオルーンに管理塔ができたら見にきてね」 「もちろん。一緒に行こう」 「一緒に?」 「案内してくれよ。きみが生まれ育った街や景色を」  彼女はわずかに目を見開いた。ぼくの気持ちが本物だと感じてくれただろうか。  何かを伺うように見つめる深緑色の瞳は、少ししてから「ええ。そうね」と頷いた。 「そうね。見せてあげるわ。私の故郷を……二人で一緒に眺めましょう」 「楽しみだな」 「絶対に。約束よ」  彼女はいつになく真剣だった。  次の日、彼女はぼくの前から消えた。  ◇◇◇  いつものように玄関を開けたそこに、彼女の姿はなかった。窓辺に佇み、ぼくを見ると優しく微笑み「おかえり」と迎えてくれた彼女がいない。  ぼくはキッチンやバスルーム、クローゼットの奥まで探した。彼女の服や日用品はそのままだった。本人だけがいないのだ。  近所をはじめ、街の人びとに聞いてまわった。警察や職場も頼ったが、彼女の足取りは要として知れない。  ぼくは規則を破り、整備士の権限を使って管理塔のデータベースを漁った。何重にも保護されたデータの中に、彼女の履歴を見つけた。  彼女は一週間前にエリオスでの研修を終えていた。会社との契約は三日前で終了し、その足で故郷に帰ったと記録されていた。  ぼくは会社を飛び出した。違反したぼくの痕跡を見つけた上司が、背後で何か叫んでいる。  職場に戻っても、ぼくの席は残っていないかもしれない。  でも、そんなの関係ない。知るもんか。彼女のいない日々なんて、管理塔のない都市と同じだ。  生きていけない。  ぼくは彼女の故郷、カオルーンへ急いだ。  ◇◇◇ 「まあまあ、遠いところからはるばると」  ぼくを出迎えてくれたのは、手も頬も(しわ)だらけの老婆だった。独特な刺繡をこらした民族衣装に身を包んでいる。  カオルーンにも雪が降っていた。エリオスとは比べものにならないくらい積もっている。それなのに、誰も傘を差していない。  木の柵で囲われた芝生には、羊の群れがうごめいていた。羊たちは鼻を伸ばしたり、身体をすり合わせたり、地面の草を食んだりしていた。  ぼくらが歩く道は未舗装で、柵の奥には青黒い山々が広がっていた。 「あの、ここが彼女の故郷だと聞いたんですが」 「はい。そうですよ」 「彼女はここにいるんですか?」 「ええ」 「どうして戻ってきたのでしょう」 「それがあの娘と我々との約束でしたから」 「……約束」  なんだ。最初から故郷に帰ることは決まっていたのか。でも、それならどうして同棲を承諾したんだ。ぼくを騙そうとしたのか。  身体の内側に、重たく暗い感情が渦を巻く。 「会わせてもらえないでしょうか」 「もちろん。あの娘も会いたがっております」  待っていてくれた。胸の奥にこみ上げるものを感じた。ぼくは喉まで出かかったそれを必死に飲み込んだ。  ぼくを待っていてくれた喜びと同じくらい、不安な気持ちも沸き上がる。  彼女が故郷に帰ることは、あらかじめ決まっていたことだった。  それなら、どうして黙っていたんだ。状況が急変したのだろうか。たとえば家族になにかあったとか。なぜなにも言ってくれなかったんだ。両親だとか兄弟だとか。そう言えば僕らはそんな話をしたことがない。恋人の関係になって、一緒に暮らしていたのに。ちがう。きっとなにか理由があるんだ。彼女に聞けばわかるはず。話してくれるだろうか。ぼくは彼女とこれからもずっと一緒にいるつもりだったのに。なぜ、どうして、一体なにが。 「この扉の奥です」  老婆はぼくを管理塔に案内した。エリオスで毎日のように通っている場所と同じ造りのはずなのに、なぜか別のものに見えた。  黒く(そび)え立つ、ぼくたちの生活を支えるもの。なくてはならないもの。塔の足元から大小さまざまな太さのケーブルが、樹の根のように伸びている。それらは互いに絡み合い、街に向かって広がっていく。  ぼくらの街と同じだ。カオルーンも管理化を実現したのだ。 「あの娘のおかげで、カオルーンは生まれ変わりました」  ぼくを案内してくれた老婆は幸福そうに頷く。皺くちゃの指が先を示す。  都市のすべてが集約する管理塔の最深部。世界の秘密。  管理塔はエーテルの量や流れを調整し、人間の世界を浄化する。  しかし、エネルギーを制御し、刻々と変化する環境を維持するのは簡単なことではない。  膨大な力を正確にコントロールするために、管理塔には専用の回路が用意された。  彼女は専用の回路……核として、システムの中心に組み込まれていた。  ◇◇◇  彼女の身体に絡みつく機脈たち。まわりには白い光の粒が舞っている。球体状の装置の中で、彼女は静かに眠っていた。もはや、彼女がぼくを認識することはない。  眼前の光景に圧倒される。目が離せない。  これは彼女の命そのもの。 「ああ……ここにいたんだね」  彼女の頬に、光の粒が触れる。  光は溶けて流れて皮膚を伝い、音もなく消えていった。 〈終〉
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加