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いつものことだけど、彼はあたしに歩幅をあわせるということをしない。
彼が5歩進むたびに1歩分、10歩進むたびに3歩分、あたしは足を速めなければならない。
スーパーで買い物をしたあと、駅を挟んで反対にあるアパートまでの復路は、たまらなく長い。
初冬の夜の風は冷たくて、野菜や卵を入れたビニール袋が指先に食い込んでくる。
彼は冷凍食品の入ったビニール袋を肩口にぶら下げて、先へ先へと歩いてゆく。彼の目はスマホの画面に釘付けで、あたしを振り返ることはない。
いつものことだけど。
オムレツのレシピを思い出して、気を紛らわせる。あたしが好きな料理、得意な料理だ。帰ったら、この卵で、ベーコンとほうれん草をたっぷり入れた大きなオムレツを作るんだ。
でもどうせ彼は、あたしの料理を誉めてくれたりしないだろう。ありがとうの一言もない。
いつものことだけど。
目線の先で、白いビニールの上に印刷されたスーパーの赤いロゴマークが揺れている。それが小さくなって、あたしはまた、足を速める。マフラーの生地が口を塞ぎそうになる。
「あいたっ!」
足に鋭い痛みがあって歩みを止めた。サンダルが脱げて転がる。道路と私有地を分けている有刺鉄線が、ストッキングと皮膚を切り裂いていた。
彼が立ち止まり、振り返る。
「ったく、どんくせえなぁ。もうちょっと気をつけて歩けよ」
「ゴメン、先に行ってて」
あたしがそういうと、舌打ちの音がして、足音が遠ざかっていった。
伝線したストッキングから針をはずし、サンダルを履きなおした。顔を上げると、もう彼の背中は20歩も離れた距離にあった。
彼があたしを待っていてくれたことはない。
いつものことだけれど。
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