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ディアナの突拍子もない発言に、ヴァルは愕然と目を見開く。
ディアナはヴァルを見据えたまま、言葉を繋ぐ。
「……本当に、私の考え過ぎの可能性が高いよ? でも、一応調べてみる価値はあるんじゃないかな」
たった今口にした通り、これはディアナの憶測だ。
でも、これまで見落としていただけで、そういう可能性が皆無というわけでもないのだ。
ヴァルは渋面を作り、ディアナに疑問を呈する。
「……仮にそうだったとして、誰が得をするというんだ?」
「さあ? そこまでは、私には分からないよ。でも、可能性を挙げるとしたら、害獣の生態を調べられると困る人がいるってことじゃないのかな。……たとえば、魔女とか」
魔女は害獣を疎みながら、どうしてかずっとノヴェロ国に潜伏していたという。
以前、ジゼルは大昔にフローラが魔女たちを監視するためにそうしたと言っていたし、魔女を迫害する人間たちの目から逃れるために今も尚、ノヴェロ国で生活しているとも言っていた。
だが、もう魔女たちを守っていた結界は存在しない。
そして、彼女たちは結界を張る能力を持っているというのに、こうして調査をした限りでは、ここに結界が展開されていた形跡はない。
もしかしたら、結界がなくなっても害獣という障害が存在するから、人間がかつてノヴェロ国だった地域に容易に近づいてこないだろうと考え、未だこの地に踏み止まっているのかもしれない。
しかし、魔女の一員たるジゼルは、ずっとディアナたちの近くに留め置かれているのだ。
ジゼルの口から情報が漏れる危険性は、考慮していないのだろうか。
それとも、彼女ならば口を割るはずがないと信じているのだろうか。
(でも、現にジゼルは私に魔女のことを教えてる。ずっと自分たちの手で育て上げてきた子がどんな子なのか、分からないはずがない)
ならば、こうして未だ同じ場所に居続けるのは、魔女にとって危険な行為ではないのか。
それなのに、何故行動を起こさないのだろう。
(ウォーレスたちが不干渉を決めたから? ウォーレスたちがそうしたとしても、他の人間がいつ魔女狩りをするか分からない状況で?)
今回、視察をしてみて分かったことだが、王都やその周辺は比較的落ち着いているが、地方によっては混乱が起こっているところもあった。
特に、東部では獣人が流れ込んできたがために、小さな諍いは日常茶飯事になりつつあるみたいだ。
そういった不安定な状況が続けば、人々はその鬱憤の捌け口をどこかに探すはずだ。
そんな中、かつて迫害の対象となった魔女の姿を思い浮かべる人がいたら、一体どうなるか。
ディアナを殺害しようとした魔女の末裔のせいで、魔女は絶滅していなかったと、ルミエール国全土に知れ渡っているのだ。
血眼になって魔女を捜し出し、その命を蹂躙しようとする輩が現れたとしても、おかしくはない。
魔女はフォルスを持っているが、それでも数の暴力に競り負ける可能性はある。
魔女よりも、魔女ではない人間の方が圧倒的に多いはずなのだから。
それにも関わらず、危険を冒してでも、嫌悪感を押し殺してでも、害獣が棲息する土地に 留まり続ける理由は何なのだろう。
そこまで考えれば、自ずと魔女と害獣の間に何かがあるのではないかという可能性に行き着く。
「魔女も害獣も、謎に包まれた存在だからね。この二つの種族の間に何かしらの因果関係があったとしても、不思議じゃないよ。大体、おかしな話じゃない? 害獣が初めて出没してから五百年以上も経ってるのに、未だにその生態が分かってないなんて」
「……つまり、公にされてないだけで、ディアナの養父母の研究所だけに留まらず、何らかの形で魔女が害獣の研究を妨害してきたと?」
ヴァルもディアナと同じ考えに至ったらしく、訝る気配は消えたものの、眉間に皺は刻まれたままで、厳しい面持ちをしている。
「あくまで憶測だけどね。……でも、この憶測が当たってたら、害獣の研究をしてるランチェスター先生が不審な行動を取ってる理由も、ギディオン様がジゼルにと頻繁に接触しているらしい理由も、何か分かるかもね」
「……なるほど、話がそこまで繋がってくる可能性が出てきたか」
納得したように浅く頷くヴァルに頷き返し、言葉を続ける。
「うん。それに、これが事実だとしたら、ディンズデールに攻撃を仕掛けようとしてる人たちの動きを封じる、手札になるかも」
内乱の危険性を孕んだまま他国に戦争を仕掛ければ、背後から刺される恐れがある。
その上で他国の軍から叩かれたら、大損害だ。
そんな危険を冒してでも戦争に踏み切ろうとする者は、どれだけいるのだろう。
たとえ現時点では志を一つにし、手を結んでいたとしても、ディアナたちの憶測が憶測に留まらなければ、内部分裂を起こす可能性がある。
統率力を失った軍なんて、烏合の衆に等しい。
ディアナがにっこりと微笑んでそう進言すれば、ヴァルが半眼でこちらを見遣る。
「どうかした?」
「……今、お前が俺の敵じゃなくて本当によかったと思ったところだ」
一度、ディアナがヴァルの敵に回ったことがあるだけに、その言葉からは妙な重みを感じられた。
(そんなに私が敵に回ったら、厄介なのかな……)
ヴァルに復讐しようとした折の計画は杜撰で、お世辞にも賢いと呼べる行動ではなかった。
ディアナはヴァルのことになると、途端に感情的になり、頭が回らなくなるのだと、あの一件で思い知らされたというのに、彼は何をそんなに恐れているのか。
「大丈夫だよ。私、ヴァル相手だと馬鹿になるみたいだから」
ヴァルを安心させようと、思ったことをそのまま言葉にすると、彼は少し考えるような間を置いてから、苦い笑みを零した。
「……確かに。お前、結構馬鹿な時あるよな」
「そうでしょう?」
馬鹿と言われたのに、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
きっと、ヴァルの低くて心地のよい声からも、深紅の眼差しからも、ディアナへの愛情と優しさが伝わってきたからだろう。
遠くから、ディアナたちを呼ぶ従者の声が聞こえてきた。
そろそろ駅に移動し、おそらくもうじきやって来る蒸気機関車を、駅のホームで待っていた方がいい時間になったのだろう。
ディアナが一歩前に足を踏み出そうとしたら、ヴァルにごく自然な動作で手を差し伸べられたから、その手に自分の手を重ね、彼と手を繋いでその場を後にした。
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