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――緩やかに瞼を持ち上げれば、見慣れた天蓋が視界に映った。
だが、何故か視界は不鮮明で、オフホワイトの天蓋に施されている刺繍がよく見えない。
何度か瞬きを繰り返すと、視界が晴れる代わりに、目尻から生温い液体が流れ落ちていった。
そこで、ようやく自分が泣いていることに気がつく。
「……ディアナ?」
隣からディアナを案じる声が聞こえ、そちらへと顔を向ければ、既に目覚めていたらしいヴァルが、ベッドの上で横たわったまま、心配そうにこちらの様子を窺っていた。
ぱちりと、もう一度瞬きをすれば、また一筋の涙が零れ落ちていく。
ヴァルがこちらに向かって手を伸ばしてきたかと思えば、涙の滴をその指先で拭われた。
「……悲しい夢を見た気がする」
ヴァルに何か言われる前に、気がつけば言葉が唇から零れ落ちていた。
「よくは覚えてないんだけど……可哀想な女の人の夢を見た気がするの」
そう告げると、再び目を閉じた。
そして、意識が覚醒するまで見ていたはずの夢に想いを馳せる。
しかし、どれだけ夢の内容を頭の中で反芻しようとしても、もう鮮明には思い出せない。
ただ、見知らぬ女性の嘆きの残滓だけが胸中に漂っていた。
それから、ディアナはその想いに多少なりとも共感を覚えた気がする。
再度ゆっくりと目を開ければ、深紅の瞳に射抜かれた。
ヴァルは無言のまま、じっとディアナを見つめている。
そうやって見つめ続けられていたら、今の今まで胸が締め付けられるような想いを抱いていたことが、不意に馬鹿馬鹿しく思えてきた。
引きずっていた夢の残り香も霧散していき、 思わず苦笑いを浮かべる。
「……ごめんなさい、朝から変なこと言っちゃった」
「別に、謝ることでもないだろう。夢なんて、そんなものだ」
ディアナの目元を優しく拭っていた手が離れ、今度は銀髪に触れられる。
ゆっくりと頭を撫でられると、自然と唇から安堵の吐息が漏れた。
「……気持ちは落ち着いたか」
ディアナがとろんと表情を蕩けさせ、目を細めていたら、ヴァルが微かに笑う。
その質問にこくりと頷くと、ヴァルとの距離をさらに詰め、彼の肩に顔を埋める。
そして、ヴァルの背に腕を回してしがみつけば、ディアナの頭のてっぺんを撫でていた手が後頭部に移動する。
「お前は、本当に甘えん坊だな」
「ヴァルだって、結構甘えてくるじゃない。だから、お互い様だよ」
ヴァルに求められてディアナがどれだけ苦労しているのか、知らないとは言わせない。
もちろん、嫌なわけではないのだが、ヴァルの体力の限界値は常人よりもずっと高いので、全てが終わった後にはいつも泥のように眠ってしまうのだ。
ヴァルなりにディアナの身体を気遣ってくれているのは分かるのだが、獣人でなければ、本当に付き合いきれなかったと思う。
さらに、かつて極限まで身体を鍛えて体力を作っておいたのも、ヴァルが満足いくまで応えられている要因の一つだろう。
そんなことをつらつらと考えながらヴァルのぬくもりを堪能し、ぷはっと彼の肩から顔を離す。
それから、ヴァルの腕の中からもぞもぞと抜け出し、ベッドからも這い出る。
いつも朝早くから侍女が部屋を暖めておいてくれるから、ベッドから出ても寒くはなかったものの、やはりネグリジェだけでは心許ない。
ルームシューズに足を滑り込ませ、ベッ ドの近くの椅子にかけておいた、もこもことした柔らかくて厚みのあるカーディガンを手に取り、素早く羽織る。
小走りに窓辺へと駆け寄って窓の外に目を凝らすと、ここ数日雪が降らなかったから、積雪はあったものの、そこまで積もってはいなかった。
これなら、歩くのもそこまで億劫にはならないだろう。
雪を照らす穏やかな陽光は、まるで外に出ておいでと手招きしているみたいだ。
窓辺で大きく伸びをしてから振り返れば、ヴァルも上体を起こし、髪を軽く掻き上げていた。
「ヴァル! 早く支度をして、お祭りに行こう!」
そう、今日は一年の最後の日であり、年越しの祭りの日でもあるのだ。
ディアナが意気揚々と声をかけると、ヴァルは普段は険しい目元を和ませ、頷いてくれた。
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