Chapter2. 『鉄槌』

7/11
前へ
/90ページ
次へ
「だから、ウォーレスのことは置いておくとして……」 「あのウォーレスのことを脇に置いておくことができるなんて、さすがディアナとしか言いようがないな」 ヴァルの皮肉をさらりと聞き流し、真顔に戻って言葉を続ける。 「――ヴァル。ギディオン様とキャレブ団長との交渉の場に、私も同席させて欲しい」 そう申し出た直後、ヴァルは眉間に深い皺を寄せた。 ディアナがこういう頼みごとをしてくるなど、ヴァルにとっては想定外だったのだろうか。 「……何故だ」 「キャレブ団長には、ヴァルの本心を誠実に伝えれば問題ないけど、ギディオン様はそう簡単にはいかないと思うから」 「俺一人では、力不足だと?」 「露骨な言い方をすれば、そうなるのかな。正しくは、情報不足だと思うけど」 ヴァルは、ギディオンとの関わりがずっと希薄だった。 ギディオンは革命に参加していたわけではなく、政治にもこれまで距離を置いていたのだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれない。 だが、そんな彼だからこそ、どうしても疑問を禁じ得ないのだ。 (どうして、今さら国政に首を突っ込んでこようとするの?) レイフ同様、義憤に駆られて行動を起こそうと思ったのか。 かつて、フォルスを有するディアナを神殿に引き取ろうとしていた件を鑑みると、そういう理由で動いていたとしても、不自然ではない。 しかし、以前ディアナを神殿に引き取ることが叶わなかった際、ギディオンは最終的には手を引いた。 ギディオンは筆頭神官という、神殿の最高責任者であり最高権力者なのだから、周囲にどう言われようとも、強硬手段に出ればディアナを引き取ることができたのに、結果的には諦めた。 弟であるウォーレスが手強かったからと言われればそれまでだが、それは今回の件にも言えることだ。 むしろ、今回の方が相手取らなければならないものが、ディアナの件よりもずっと強大なのだから、それこそ首を突っ込むべきではないのではないか。 でも、現にギディオンは秘密裏にとはいえ、動きを見せている。 それは、どうしてなのか。 「……私、今までギディオン様のことを禁欲的で高潔な人だと思ってたけど、それだけじゃないのかも」 考えてみれば、ギディオンはウォーレスの兄なのだから、似ているところがあったとしても、当然なのかもしれない。 今まで表に出てこなかっただけで、何かの拍子に表面化しただけなのかもしれない。 何が引き金になったのか、ディアナには知る由がないが、それでも今回の出来事の中でギディオンの心の琴線に触れるものがあったのだろうと、察しはつく。 「だから、私もヴァルと同じで、ギディオン様の情報が足りてないのかもしれないけど、少なくともヴァルよりはずっと関わりが深い。私が話し合いの場に参加すれば、交渉の材料を見つけられる確率が上がるかも」 先刻から「かもしれない」と連発している通り、全て可能性の話だ。 だが、少しでも勝率を上げるためには、可能性のあるものには手を打っておくべきではないのか。 思案する素振りを見せ始めたヴァルに、さらなる追い打ちをかける。 「それから……その場にジゼルも呼んで欲しい」。 要求を畳みかければ、伏せ気味になっていたヴァルの視線が上がり、こちらをまっすぐに見据えてきた。 ディアナの真意を探ろうとするかのごとく、ヴァルの目が僅かに細められる。 「エル様やジゼルと通じてる理由は、まだ調査中だって言ってたけど、多分謀反を起こすためのカードを集めるためだっていうのは、予想がつくよね。だったら、そのカードが何なのか、その場で暴き出せばいい。エル様は隙がないし、かえってその場に呼んだらこっちの情報が漏れるだけで損しかない。でも、隙が多くて、情に訴えかければ、口を割ってくれそうで、味方にも引き込みやすいジゼルを呼んでおいて、損はないと思う」 我ながら、自分はひどい人だと思う。 生まれて初めてできた、同年代の同性の友人を、己の都合で利用しようとしている。 もしかしたら、交渉の場にジゼルを呼び寄せたら、彼女とはもう友達ではいられなくなるかもしれない。 (……ごめんなさい、ジゼル。たとえ貴女を利用することになっても、私は自分とヴァルが求める未来が欲しい) そのためだったら、友人になってくれたジゼルをも、己の目的を達成させるための手駒として使おうとしているのだから、本当に自分は最低だ。 しかし、理想論を掲げて綺麗ごとを並べるだけでは、欲しいものなど何一つ手に入らないのが、現状だ。 だったら、求めるものを確実に手中に収めるまでは、時には非情な判断を下す必要もあるというのが、ディアナの考えだ。 そして現に今、その意志を貫こうとしている。 確固たる覚悟を持ち、言葉だけではなく視線でもヴァルに訴えかければ、彼は目を伏せて沈黙し、やがてこちらを見つめ返し、その重い口を開いた。 「……分かった。交渉の場には、お前とジゼルも呼ぼう。勝率が少しでも上がる可能性があるなら、自らその可能性を潰すべきではないからな」 ヴァルの口から下された決断を耳にした刹那、自然と唇から安堵の吐息が漏れ出てきた。 自分の意見を聞き入れてもらえない可能性は、それほど高くはなかった。 客観的に見ても、理に適った考えだと思うし、彼にとって不都合な点は一つもない。 だから、おそらく許可が出るだろうと見越していたものの、それでもこうして実際に受け入れてもらえたのだと分かると、安心する。 安堵で表情を緩めたディアナを目の当たりにしたヴァルは、何故か複雑そうに顔を歪めた。 「……どうしたの?」 「……悪いな、こっちの都合でお前の友人を利用するような真似をさせることになって」 心底申し訳なさそうに謝罪され、ディアナは苦い笑みを零した。 「……ヴァルが謝ることないよ。私が思いついて、決めて、言い出したことなんだから。だから、気にしないで。ね?」 罪悪感に駆られているヴァルの心を少しでも軽くしたくて、苦い笑みを淡い微笑みに変えて彼に向ければ、刻まれていた深い皺がゆっくりと解れていく。 ヴァルはもう何度目になるか分からない溜息を吐くと、疲れ切った声を出した。 「……お前の意見を聞きたいことも、報告することも、これで終わりだ。だから……」 ヴァルはふっと肩から力を抜くと、ディアナの肩にそっともたれかかってきた。 漆黒の髪がディアナの頬をくすぐり、少し身じろいだものの、ヴァルが離れる気配はない。 触れているところから、ヴァルのぬくもりがじわりとディアナに染み込んでいくかのようだ。 「……少し、休ませてくれ」 甘えたような、微かに掠れた低くて心地のよい声が耳朶を打つ。 難しい話を始める前、それほど甘いものに執着しているわけではないヴァルが、無心にチョコレートを頬張っていたのだ。 余程、頭脳を働かせて疲れてしまったのだろう。 労わる気持ちを込めて、漆黒の髪に覆われた頭をゆっくりと撫でていく。 すると、気持ちがよかったのか、肩に乗る重みが増し、伝わる熱がほんの少しだけ上がった気がする。 ディアナの肩に頬を擦り寄せてくるヴァルは、まるで主人に甘える大型犬みたいで、つい頬が緩む。 「……うん。ゆっくり休んでね、ヴァル」 もうすぐ、ディアナたちは胃が引きつれるような駆け引きをしなければならないのだ。 休める時にしっかりと休んでおかなければ、ここぞという時に本領が発揮できない。 ヴァルに向けていた視線を、また窓の外へと投げる。 幾度見ても、窓の外に広がっている光景は、暖かで華やかな春とは程遠いものだった。
/90ページ

最初のコメントを投稿しよう!

29人が本棚に入れています
本棚に追加