Chapter1. 『ルミエール国』

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ホットワインで身体を温めると、次はバザーに出品されている品々を見に来た。 各家庭で出された商品は、この日のためにわざわざ手作りしたものもあれば、明らかに不要となったものを売り出していると、一目で分かるものもあった。 ディアナが興味津々に露店に並んでいるものを眺めていたら、隣でヴァルがぼそりと言葉を零した。 「もし欲しいのがあったら、買ってやるぞ。この値段で悩むことはないからな」 ヴァルの言葉に振り向き、つい苦い笑みを零す。 「……さすがに、このお値段でそんなに悩まないよ。でも、気を遣ってくれて、ありがとう」 ヴァルに感謝の言葉を告げると、商品に向き直る。 こういうものを見るのも初めてだから、眺めていて飽きないし、興味深いものの、そこまで購買意欲はそそられない。 見ている分には楽しいが、わざわざ買うほどではないというのが、ディアナの本音だ。 「うーん……ここは、もういいかな。次はあっちに行こう」 「そうか」 ディアナの興味が冷めたことを雰囲気で感じ取ったのか、ヴァルは素直に応じてくれた。 またヴァルと手を繋いで歩いていたら、どこからか眠たげでのんびりとした声に呼びかけられた。 「あ、ディアナ。やっほー」 声に導かれるようにそちらへと振り向けば、グレージュの防寒具を身に着けているピアーズが、こちらに向かって手を振っていた。 もう片方の手には、溢れんばかりの大量のお菓子が抱えられている。 しかし、彼の横に立っている人物が視界に入った途端、密かに息を呑んでしまった。 ピアーズの隣には、黒い防寒具に身を包んだヒースが、当たり前のようにひっそりと佇んでいた。 別にやましいことは何もないのだが、ついこの間決別したばかりの従者と顔を合わせたらどうしたらいいのかなんて、ディアナは知らない。 ディアナが戸惑って何も言えずにいると、ヴァルからもピアーズからも、不思議そうに見られてしまった。 ディアナを困惑させている当の本人は、無表情でじっとこちらを見つめていたものの、無言で軽く頭を下げた。 ディアナもいつまでもたじろいでいる場合ではないと考え直し、控えめに微笑んでピアーズの挨拶に応じる。 「こ、こんにちは、ピアーズ。こんなところで会うなんて、すごい偶然」 「本当にね。これだけ人が多ければ気づかないかなーって思ってたんだけど、案外気づくもんだね」 ピアーズは抱えていたお菓子の中から飴細工を取り出すと、さっそくとばかりに口に含んだ。 ピアーズの口の中から出てきた飴細工は、彼の唾液に塗れていたものの、可愛らしい林檎の形をしているのが見て取れた。 「その飴細工、すっごく可愛い。どこで売ってたの?」 「ん? 向こうで売ってるよ。果物とか花とか、女の子が喜びそうなのがたくさんあったから、ディアナも行ってきたら? 飴細工は、年越しの定番だし」 「うん……! そうする!」 ピアーズの言う通り、飴細工はバスカヴィル国とノヴェロ国における、年越しの際に食べる定番のお菓子だ。 ディアナも、年越しの日に凝った飴細工の代わりにキャンディを舐めていたものだ。 ピアーズの提案に力強く首を縦に振り、その勢いのまま隣にいたヴァルを見上げれば、呆れを含んだ眼差しを向けられた。 「……お前、食い物買う時は本当に躊躇ないな」 「遠慮するなって言ったのは、ヴァルでしょう?」 こんな可愛らしい飴細工を買わない手はない。 期待に満ち溢れた目でヴァルに訴えかけると、彼は微かに苦笑いを浮かべた。 「……分かった、分かった。買ってやるから」 「ありがとう、ヴァル!」 ヴァルの言葉ですっかり気分が舞い上がり、浮かれた気持ちで飴細工を眺めていたら、ピアーズがこてんと小首を傾げた。 「えーっと……ヴァル、さん? ヴァル、様?」 どうやら、今この場でのヴァルの呼び名に悩んでいるらしい。 確かに、ここで王様なんて呼ばれたら、いくら身分を問わない無礼講な場だとはいえ、面倒臭いことになりそうだ。 「別に、敬称はいらない。呼びたいように呼んでくれて、構わない」 「そう? じゃあ、ヴァルとディアナってさー」 いくら本人の許可をもらったとはいえ、さっそく国王を呼び捨てにするピアーズは間違いなく大物だ。 ディアナがある意味感心してピアーズを見つめていると、その唇から続きの言葉が紡ぎ出される。 「夫婦とか恋人っていうより、兄妹みたいだよねー」 続けられた言葉に、ディアナは愕然と目を見開く。 それではまるで、ディアナが幼く見えると言われているみたいではないか。 衝撃のあまり絶句していると、隣から低くて心地のよい声が聞こえてきた。 「まあ、外であからさまに見せつけるのは、趣味じゃないからな」 「あー、なるほど。そういうことね」 ヴァルのピアーズへの返事を耳にした瞬間、ディアナは自分でも驚くほどの速さで隣を振り仰いだ。 ヴァルはあくまでもさらりと告げ、ピアーズもあっさりと納得しているが、今の発言 はかなりの威力を秘めていなかったか。 つまり、何が言いたいかというと、とてつもなく恥ずかしい。 じわじわと込み上げてきた羞恥心のせいで、居たたまれなくなってくる。 ヴァルから無理矢理引き剥がした視線をふらふらと彷徨わせていたら、ふとヒースと目が合ってしまった。 今までピアーズが持っている飴細工にすっかり気を取られていたが、そういえばヒースもいたのだ。 先程の会話を聞かれていたのだと思うと、これはこれで気まずく、急いでヒースから目を逸らそうとした矢先、不意に彼がふわりと口元を綻ばせた。 思ってもいなかった反応に虚を突かれ、否応なくディアナの視線はヒースに固定される。 「――こんにちは、ディアナ。祭りを楽しめているようで、安心しました」 まるで何事もなかったかのような対応に、ますます喉の奥で声が絡まってしまう。 目を丸くして、何も言えずにいるディアナに構わず、ヒースは自然な流れでこちらから目を逸らし、飴細工を食んでいるピアーズに声をかけた。 「ピアーズ、次はバザーの方を見て回ってみましょう。何か掘り出し物があるかもしれませんよ」 「ん、そうだね。あったかい古着とかあるといいなあ。――じゃあね、ディアナ、ヴ ァル。 よいお年をー」 「二人とも、よいお年を」 ピアーズとヒースは年越しの挨拶をすると、ディアナたちが来た方角に向かって歩き出し、あっという間に雑踏に紛れ、その姿を消してしまった。 でも、ヒースの紅蓮のごとき鮮烈な赤い髪の色だけは、雑踏の隙間からちらちらと覗いていた。 「……あいつと何かあったのか」 低くて心地のよい声に意識を現実へと引き戻され、そっと隣を見上げると、ヴァルが落ち着いた面持ちでこちらを見下ろしていた。 ディアナはヴァルから視線を外し、ヒースたちが消えていった方角に目を向ける。 ヒースが内心どう思っているのかなんて、今のディアナには知る由がない。 いや、むしろ 知る必要はないのではないかと思う。 ディアナとヒースを結び付けていた主従関係は、もう存在しないのだから。 そして、必要以上に関係を白紙に戻したことを意識しなくてもいいのだと、先刻のやり取りで少しだけ分かった気がする。 「……うん、ちょっとね」 再びヴァルに向き直って悪戯っぽく微笑むと、彼は怪訝そうに眉間に皺を寄せたものの、それ以上追及してくることはなかった。
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