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その後は、ヴァルに艶やかで真っ赤な薔薇を模した飴細工を買ってもらったり、引き続きバザーを覗いたり、彼と一緒に食べ歩きをしたりと、ディアナなりに祭りを堪能した。
他にも知り合いと顔を合わせるかと思ったが、ヒースとピアーズ以外の知り合いと遭遇することはなかった。
もしかしたら、気がつかなかっただけで、どこかですれ違っていたのかもしれないが、あれだけの人混みだ。
たとえそうだったとしても、向こうも気がつきようがなかっただろう。
夜の街も練り歩こうかと当初は考えていたものの、人混みに慣れていないディアナは、タ暮れ時に差し掛かる頃にはすっかり気疲れしてしまっていた。
ヴァルも元々人出が多いところがそんなに好きなわけではなかったため、ディアナが王城への帰還を希望しても嫌な顔一つせず、快諾してくれた。
そして今、外出した時の格好のまま、ヴァルと共に私室のバルコニーに出て、夜の帳が下りても尚、人々が手に持つキャンドルの仄明るい光に照らされた城下の光景を眺めていた。
「すごい、すごい……! ヴァル、見て! 夜なのに、あんなに街が明るくて綺麗だよ!」
ディアナのはしゃぐ声と共に唇から零れ落ちた吐息が、冷えた外気に触れて白く染まる。
外の低い気温のせいか、気分が高揚しているためか、ディアナの頬には熱が集まってきた。
浮かれた気持ちによって顔の筋肉がいつもより格段に緩み、唇には自然と微笑みが浮かぶ。
これまで、年越しの夜の街並みを見たことなんてなかった。
ディアナの住まいは一階建てだったし、わざわざ高台に行ってまで見たいという意欲も湧き上がってこなかった。
だが、実際に高いところから見た年越しの夜の街並みは、想像以上に美しく幻想的だ。
笑顔のまま隣を見上げれば、ヴァルの口元は綻び、穏やかな深紅の眼差しがディアナに注がれていた。
ディアナが喜んでくれて嬉しいのだと、言葉よりも雄弁にその赤い瞳が物語っていた。
ディアナはさらに笑みを深め、自身の手元に視線を落とす。
ディアナの手には、火が点った薔薇の形をしたアロマキャンドルがある。
小さな炎がゆらりと揺らめく度に、石鹸の清潔な香りがふわりと鼻孔を掠めていく。
ちらりと横を見遣れば、ヴァルの手にも火が点ったアロマキャンドルがある。
彼が手にしているのは、狼の形を模したもので、ラベンダーの香りが漂ってくる。
キャンドルを片手に夜の祭りに参加しない代わりに、こうして城のバルコニーでアロマキャンドルに火を点して祭りの気分を味わおうと思ったのだ。
ちなみに、二人が手に持っているアロマキャンドルは両方とも、ディアナがヴァルの誕生日に贈ったものだ。
(あの時は、こんな風にヴァルと年越しをお祝いできるなんて、思わなかったな……)
それほど前のことでもないのに、どうしてかずっと昔のことのように感じられる。
今こうして笑顔でヴァルと一緒にいられる喜びと、あの頃に抱いていた彼への怒りと殺意を思い出した痛みを、そっと噛み締める。
ディアナがアロマキャンドルに視線を落としたままでいたら、ふと笛を鳴らしたような音が鼓膜を震わせた。
音につられて顔を上げた直後、爆発音が鳴り響き、色とりどりの花火が夜空で花開く様が視界に飛び込んできた。
打ち上げられた火の花は咲いたかと思えば、瞬く間に夜の闇に散っていく。
そして、また新たな花火が打ち上げられては消えていく。
幾度も夜空を彩る花火に、街の方から歓声が上がる。
「……あ……」
ディアナは、花火を目にするのも初めてだ。
花火がどういったものなのか、こちらも知識としては知っていたし、花火が打ち上げられる音を聞いたことはある。
しかし祭り同様、わざわざ見るのが億劫で興味が湧かなかったから、いつも音を聞くだけだった。
だから、花火というものが、こんなにも美しく、儚く、心震わせるものだとはずっと知らなかった。
花火に釘付けになっていた目を、ゆっくりとヴァルに向ける。
彼も、夜空で繰り広げられる刹那的な芸術を眺めていた。
「……ヴァル」
「ん?」
花火に向けられていた視線が、ディアナを捉える。
ヴァルと目が合うと、にっこりと微笑んだ。
「ありがとう」
いきなり礼を告げられたヴァルは、怪訝そうに眉間に皺を刻んだ。
そんな彼を意に介さず、言葉を繋ぐ。
「私、ヴァルと再会……っていう言い方も、私としてはおかしいんだけど。……ヴァルと会ってから、私、今まで知らなかったものをたくさん見たり聞いたりできた。他の人からしてみたら、大したことじゃないんだろうけど……私にとってはすごく嬉しくて、奇跡みたいで……。だから、ありがとう。私、やっぱりヴァルに会えてよかった」
改めて感謝の言葉を伝え直すと、ヴァルは僅かに目を見張り、微かに息を呑む気配が伝わってきた。
ディアナが笑顔のままヴァルを見つめていたら、彼は一度唇をきゅっと引き結んでから開いた。
「……そうか」
「うん」
ヴァルの唇から零れ落ちてきた言葉は、いつも通りぶっきらぼうなものだったが、そこには万感の想いが込められていた。
だから、ディアナはその想いを受け取る形で頷く。
それから、ヴァルから目を逸らして再度花火に見入った。
「――『ルミエール国』」
火薬と金属の粉が弾け飛び、もう何個目になるか分からない花を咲かせた直後、花火の破裂音に混じって低くて心地のよい声が耳朶を打つ。
「え?」
また隣を見上げると、ディアナのエメラルドグリーンの眼差しがヴァルの深紅の眼差しに絡め取られる。
ディアナが目を瞬くと、ヴァルの唇がうっすらと開いた。
「……新しい、この国の名前だ。いつまでも曖昧なままにしておくわけにはいかないからな。 明日——新年の初めに国民にも発表するつもりだ」
「ルミエール国……」
ヴァルの口から知らされた、新たな国家の名前を小声で繰り返す。
確かに、獣人たちが革命を起こしてノヴェロ国と統合した後、国家の名称はバスカヴィル国のままになっていた。
でも、いつまでもそのままにしておいては、彼の言う通り、いつか獣人側で不満の声が上がりかねない。
だからといって、ノヴェロ国と公称すれば、今度は人間側で似たような事態に陥るかもしれない。
だから、バスカヴィル国でもノヴェロ国でもなく、新たな国名が必要になったのだろう。
「……綺麗な響きだね」
新国家の名称を聞いた第一声がこれかと、内心苦い笑みを零す。
だが、これがディアナの率直な感想だった。
それに、ヴァルもディアナの発言で気分を害した様子はない。
バスカヴィル国とノヴェロ国を合併した国家――ルミエール国は、果たしてどんな歴史を歩んでいくのだろう。
現時点では誰にも知る由はないが、願わくば悲劇を辿らないで欲しい。
また大きな破裂音が響き渡り、花火が夜空に咲く。
咲いては散っていく光の花は、やはり美しくて儚げだった。
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