1:「恋愛ごっこ」現在Ⅰ

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『彼の外国での勤務が決まっていて、ついて行くことになっているの。それより渉は今、何しているの?』  とまどっている間に続けてあこからメールが送られてきた。別にここから何かに発展することを期待していたわけではない。あの夏の「恋愛ごっこ」も、今では思い出の一つとして胸の奥にしまっている。  それでも、その思い出さえもどこかへ消えてしまう気がした。 『そうなんだ。おめでとう!』 『結婚するのに「恋愛ごっこ」なんてしている場合じゃないだろ』  できる限り感情が平坦になるように心がけて、短文で連投する。喉の奥がやけに乾いた気がする。 『なんで? 別に本当に恋愛するわけじゃないでしょ? あくまで「ごっこ」だよ。こっちで最後の思い出』  何でもないことのようにあこは言うが、勝手に思い出作りに利用されるのはたまったもんじゃない。相変わらずこっちの都合など考えようともしない。 『で、渉は何してるの? 結婚した?』 『システムエンジニア。結婚はしてない』 『うわー! 似合わない! パソコンとかいじってるんでしょ? あと、早くいい人見つけなよ』 『余計なお世話だっつーの』  まだ状況を呑み込めていない俺をおいて、あこはどんどんと話を進める。  何している人? どこで出会ったの? ……今、幸せ?  どちらかと言うと、あこの結婚の話を聞きたかったのに、完全に質問のタイミングを逃してしまった。 『はいはい、怒らない、怒らない! それよりどうするの?』 『恋愛ごっこ』  テンポよく続いていたラリーが止まる。  少し思い出してきた。あれは塾帰りの近くの菅原神社でのことだった。  あの時もこうやって詰められて、流されるまま始めたんだ……いつの間にか、あこのペースに巻き込まれて。もう二度とそんなことは、起こらないとおもっていたが。 「結婚」  改めてさっきあこから出てきた二文字を意識した。自分のまわりも結婚している奴も徐々に増えたし、実家に帰った時にはそういう予定はないのかと親に聞かれることもある。ただ自分自身にとってはまだ遠い先のことのようで、正直真剣に考えたこともなかった。  今まで人並みに恋愛もして、付き合ったことももちろんあった。それでもその先まで考えたことはなかった。就職して三年目、まだ自分のことで精一杯なのに誰かと共に生きるところまでイメージがわかない。  そう言えば大学の四回生からつきあった彼女と就職してすぐに別れて以降は、もう二年以上彼女もいない。  そこまで思考が巡ると、決心してスマホに文字を打ち込む。 『やらない!』  感嘆符こみで、たった五文字の返信を送った。間髪入れず『えっ⁉』とあこから返ってくる。  何でも自分の思い通りになると思うなよ! 十年分の気持ちを込めたささやかな抵抗だった。これ以上引っ張ると本気でキレられそうなので、すぐに次のメールを返す。 『……嘘だよ。やるよ。どうせやらないと、延々といたずらメールされそうだし!』 『さっすが、渉! もう呪いの言葉、打ちかけていたとこ』 『まじか⁉』  無機質な文字からも、うれしそうなあこの表情が読み取れるようだった。だんだんと感覚が中三のころに戻ってくる。 『それよりメッセンジャーじゃなくてラインとかの方が、やりとり楽じゃね? ID送ろうか?』 『フェイスブックはこれように登録しただけだから、こっちの方がいい。ラインは他のが入り込むからめんどくさいでしょ』  何か完全にアリバイ対策って感じで少し嫌な感じだ。でも、後からややこしいことになるのもごめんなので、渋々それを受け入れる。 『わかったよ。あとで旦那にしばかれるのも嫌だしな!』 少しの皮肉も込めて打ち返す。あこもそのへんの機微はきちんと読める方だ。慌ててフォローのようなメッセージが送られてきた。 『別にそんなんじゃないよ。渉専用にしたいだけ』 『はいはい、何もでませんよー』 『本当なのに……半分くらい!』 『いやいや、半分かよ』  やばいな。十年ぶりだって言うのに、そんなブランクを感じさせないぐらいスムーズにやり取りが続く。夏は日が長いので意識していなかったが、気づけばもう夕方だ。カーテンの隙間から差し込む光も段々と角度を変えていく。  結局、俺の優雅な休日が、部屋の片づけと、あことのメールで終わってしまう。休みに見ようとため込んでいたドラマの録画も見られなかった。  それでもこのやりとりを面倒だとはもう思っていなかった。
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