1:「恋愛ごっこ」現在Ⅰ

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1:「恋愛ごっこ」現在Ⅰ

『あの夏の「恋愛ごっこ」の続きをしよ!』  あこから十年ぶりに届いた連絡で完全に目が覚めた。驚きでひどく喉が渇いたので枕元に置いてあった水を一杯飲んで、もう一度スマホの画面に目をやる。  フェイスブックのメッセンジャー機能で届いたメールには間違いなく「芦田明子(あしだあきこ)」の名前が記されている。  アイコンの写真を拡大してみる。  かなり遠めから撮られた写真だ。化粧も覚える女子の顔は、成人式で会った時もほとんどわからなかった。何より最後に会ったのは中三の夏だ。  それでも「芦田明子」と名前の入っている写真は、あの「あこ」が大人になったらこんなふうになるかもしれないと思わせるものだった。  このメッセージを送った「明子」は本当にあの「あこ」なのだろうか? あいつには聞きたいことが山ほどある。  あの夏を境に俺の目の前から消えたあこ。何も言わないまま遠くに行ってしまったあこ。あの時、俺は……。  大昔に蓋をしていた感情がいくつも甦る。  一気にいろんな感情が浮かんで、頭から離れない。駄目だ! 頭を整理しよう。  ベッドから完全に起き上がって、食器棚からマグカップを取り出し、コーヒーメーカーにセットする。コポコポとお湯を沸かす音が響く。その間に洗面所で歯磨きと洗顔を済ませ、少しすっきりした。  昨日は珍しく同僚と、日付が変わるまで呑んでいたので頭が重い。もう一度スマホを開くと、時刻は十時半を指している。本当なら久々の休みの今日は、昼過ぎまでは寝て、一日ごろごろとしている予定だった。  俺の優雅な休日を邪魔しやがって……などとつぶやいてみるが、それが本心でないことは自分でわかっている。  バターを塗ってとろけるチーズをのせたトーストとコーヒー。いつもの朝食だ。ダイニングテーブルの端にスマホを置いたままトーストを一かじりする。トーストを頬ばりながら、結局スマホを取り上げて、もう一度メッセージを眺めた。 『あの夏の「恋愛ごっこ」の続きをしよ!』の文面と「芦田明子」の名前、そして、写真。ふいによみがえるあの夏の記憶。あこを待ち続けた神社。木々の間から漏れる光とひんやりしたあの別空間のような感覚が今でもすぐに思い出せる。  コーヒーを一口含み、舌の上に転がす。鼻先にふわっとした香りが広がる。あの夏に戻りかけた気持ちを引き戻し、一度冷静に考える。  もしかして詐欺と言うことはないだろうか? あるいは流行りの乗っ取りとかいうやつでは? そう言えば会社の同僚もツイッターでアカウントを乗っ取られて、不特定多数にウイルスの入ったメッセージを送られたことがあるとか言っていた。  ……いや、違うな。  自分自身の考えを否定する。『恋愛ごっこ』のことを知っているのは、俺とあこだけのはずだ。あの夏、二人の『恋愛ごっこ』は完結しなかった。 『恋愛ごっこ』をしようではなくて、『恋愛ごっこ』の続きをしようと言えるのは、それがあこ本人だからに違いない。  スマホを前にいつまでも考えていても仕方がない。  これがあこなら文句の一つでも言ってやる……そう決心して、スマホに打ち込む文を考え始めた。少し文字を打っては、それを書き直しながら、できた文章を眺める。 『あこか? 久しぶり! 恋愛ごっことか懐かしいけど、いきなりどうしたんだ?』  初めはもっと長文を打っていたが、いきなり長いのも何だし、万が一、これがあこじゃなくて、いたずらなんかなら恥ずかしいので、まずはジャブのつもりでこの程度にしておいた。  送信をタップして、返事を待つ。すぐには既読がつかないので、食事を済ませて、スマホでニュースのまとめサイトなどに目を通すが、どこか落ち着かない。  最初のあこからのメッセージが十時二十二分だから、まだ三十分ほどしか経っていない。なんだよ……早く見ろよ。悪態をついてみてもスマホは机の上で静かなままだ。  時々、スマホを気にしながら、しかたなく滅多にしない部屋の掃除を始める。
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