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第一章『エルマイラムの冒険者』 ① 『事件』
今回の事件でも、私にできることなんて何もありませんでした。
そんな自分が悔しくて、恨めしくて仕方がなくて……。
けれど、そんな気持ちを押し殺して、私は笑顔を浮かべます。
この言葉を伝えることだけが、今の私にできる精一杯。
だからその一言に、この胸から溢れ出しそうな気持ちをすべて込めました。
ほんの僅かでも労いたかったんです。
精一杯頑張ったあの人を、せめて、私達だけでも……。
第一章 『エルマイラムの冒険者』
お世辞にも広いとは言えないこの料理店にこだましていた、料理を絶賛する自警団の男たちの声が、次第に少なくなっていく。
皆、美味しい料理をお腹にためて幸せそうな顔をしていたが、店を出る頃には表情を引き締め、しっかりとした足取りで石畳を踏みしめて出ていくのだ。
「イルリア。後のことは頼む」
自警団のメンバーに少し遅れて、最後に店を出ていこうとするあいつが、珍しく私に声をかけてきた。
わざわざ言われなくても、この店を守ることくらいは私にだってできるのに。
「そんなに念を押さなくても大丈夫に決まっているでしょう。あんたこそ、バルネアさんとメルを泣かせるようなことにならないようにしなさいよ」
私の棘のある言葉にも、あいつは無表情で「ああ」と返事を返すだけ。
「ジェノさん、気を付けて……」
「無理はしちゃだめよ、ジェノちゃん」
メルとバルネアさんの言葉にも、あいつは小さく頷いただけで、そのまま出かけて行った。
「私じゃあ足手まといにしかならないのは分かっているけれど、こういう扱いをされるのは、やっぱり面白くないわね」
自警団の団員達が空にしていった皿を下げるのを手伝いながら、私は心のうちで文句を呟く。
私が今いるこのお店の名は<パニヨン>という。エルマイラム王国でも名うての料理店だ。だが、あまりの人気と料理人が一人しかいないことから、昼過ぎには仕込んでいた食材が底をついて閉店してしまうことでも有名な店だ。だから当然、今のような夕方には普段なら客の姿はないはずだった。
しかし、この数日は、夕方も自警団の団員のために料理を供給している。それもこれもあの事件のせいだ。
「イルリアさん、お皿はそこに置いておいてください」
栗色の髪のおとなしそうな雰囲気の少女が、厨房に皿を運ぶなり私にそう声をかけてくる。この女の子の名はメルエーナ。私はメルと呼んでいる。歳は私やあいつと同じ十七歳なのだけど、家事全般が得意な心優しい人間だ。……私なんかとは正反対に。
だが、そんな似つかわしくない相手同士なのが幸いしたのか、またはメルが他人に打ち解けやすいのかは分からないが、付き合いは短くても私とメルの仲は良好だ。それこそ、親友と呼んでも差支えがないほどには。
「うん、うん。みんな綺麗に残さず食べてくれたわね」
メルの隣で空になった鍋を確認し、満足げにバルネアさんが頷いている。
金色で長い髪を編んでまとめたコックコート姿のこの女性が、この店のただ一人の料理人、バルネアである。
若作りであり、実際に歳もまだ三十代の半ばくらいのはずなのだが、名だたる料理人達を抑え、その料理の腕はこの国の国王様から、『我が国の誉れである』とまで讃えられたほどなのらしい。
もっとも、気さくすぎるほど気さくな人柄のため、良いか悪いかはわからないが、そんな凄い人にはまるで思えない。
そんな彼女にウエイターのジェノとウエイトレスのメルエーナを加えた三人が、この料理店<パニヨン>のメインスタッフだ。
メルもジェノも、親達がバルネアさんの知り合いらしく、今は社会勉強という形でこの家に居候し、同じ屋根の下で暮らしている。
二人共、調理の筋がいいとバルネアさんがよく言っているのを聞くので、私は一緒に料理人の道に進めばいいのにと心から思う。
「それはそうですよ。バルネアさんの料理ですから。自警団の皆さんも、バルネアさんの料理が食べられることだけが楽しみだと言っていましたよ」
「ええ。メルの言うとおりですよ。あっ、皿洗い、私も手伝います」
メルに同意し、腕まくりをして皿洗いを手伝うことにする。
私は手際よく次々に皿を洗っていく。自分で言うのもなんだが、ずいぶんと皿洗いも上達したと思う。ついこの間まで食器を洗ったこともなかった人間にしては。
「お皿洗い、上手になりましたね、イルリアさん」
そんな私の心を読んだように、皿を洗う手は動かしたまま、笑顔でメルが話しかけてくる。
「まぁね。慣れね、こういうのも」
最初は皿を落として割ってしまったら大変だと恐る恐るやっていたが、最近になってようやくコツをつかんできた気がする。
「そうですね。ですが、確かに慣れももちろんありますけれど、イルリアさんが頑張ったからですよ」
メルに褒められて、こそばゆいような、面映いような気持ちになってしまう。
「ふふっ。メルちゃんの言うとおりよ。丁寧な仕事だから安心して任せられるわ」
「もう、やめてくださいよ。バルネアさんまで、そんな事を言うのは……」
私の抗議の声に、しかしバルネアさんは、メルと一緒に楽しそうに微笑むだけだ。
まったく、こんな平和な会話を続けていると、今が『非常時』だということを忘れてしまいそうだ。
「さてと、それじゃあ、私は夜食の準備をしなくちゃね。頑張っているみんなが少しでも元気になれるように」
バルネアさんはそう言って、食材を取りに貯蔵室に向かって行った。
いつもどおりに料理店を営業しているだけでも大変なのに、さらに夕食を作り、その上夜食までも作り続けている。バルネアさんがバイタリティに溢れた人間なのは分かっているが、こんな日がさらに何日も続いては、さすがに身が持たないだろう。
「……早く解決するといいですよね」
私の思いが顔に出ていたのだろう。バルネアさんが厨房を離れるとすぐに、メルが私に声をかけてくる。
「そうね……」
メルの言葉に同意しながらも、しかし私はこの事件がすぐに解決するとは思えなかった。
――この事件の始まりは、二週間前に遡る。
街灯の明かりがようやく灯った夕暮れ時、一組の親子が『そいつ』に襲われた。父親は背中を深く切裂かれ重体で、今もベッドから起き上がれないのだという。そして彼の子供は、まだ十歳にもならない幼子だったが、幸い父親が庇ったため外傷を受けることはなかった。
目撃者であるその子の証言では、父親を襲ったのは、人の背丈よりも大きな巨大な猿のような化け物だった。
しかし、その幼子の言葉は、父親が襲われたことにショックを受けて幻覚を見たのだろうと推測された。
このナイムの街は、エルマイラム王国の首都である。その警備も厳重なものだ。
そもそも、船での入港の際には厳しいチェックが行われているし、陸路では、昼夜を問わずに見張りが駐在する三か所の門からしかこの街には入ることができない。そんな警備を抜けて、幼子が言うような化け物が街に侵入するはずがないと誰もが思った。
しかし、第二、第三の犠牲者が発生し、目撃者からも巨大な猿の化け物の証言が何例も報告されては、この街の治安を守る自警団にとっても放っておくことができない重要案件になっていった。
そして、毎晩のように新たな犠牲者の死体が発見され続け、いっこうに犯人の手掛かりは掴めていないのが現状だ。
「冒険者ギルドに自警団から依頼されているから、あいつに首を突っ込むなとは言えない。それに、万が一、あの時みたいなことになったら……」
私は皿を全て洗い終わり、心の内で呟いて小さく息をつく。
<冒険者>と呼ばれる職種の人間がいる。その名のとおり、様々な未開の地などを旅し、冒険をしながら生計を立てる人間だ。
もっとも、この街の広場に巨大な像が祀られている、かの冒険者の英雄と名高いファリルの時代ならともかく、彼の存命だった時代から数百年も経ったこのご時世に、この広大なエルマイラム王国でも未開の地などそう残っているものではない。
冒険譚に出てくる、大空を覆いつくすほどの巨大な竜などはすべて伝承にその名を残すのみで、様々な古代の魔法品や財宝が眠る神殿などは、この数百年でそのほとんどが発掘され尽くしてしまった後だ。
そのため、今でも冒険者を名乗る人間など、定職に就かずに叶いもしない夢を追っている馬鹿な人間くらいにしか私は思ってはいなかった。
「まったく、そんな私が、兼業で見習いとはいえ、冒険者になってしまうなんてね」
私はメルに他にできる仕事がないか確認し、エプロンを外して厨房近くの客席の一つに腰を下ろす。
手持無沙汰に、横目で食材を手に戻ってきたバルネアさんとメルが料理の味付けで何か話をしているのを見て、本当に仲のいい親子のようだと思い苦笑する。
そうすると、自然とこの二人を心配させるあのバカな男の顔が脳裏に浮かび、私は不愉快な気持ちになる。
「そもそも向いてないのよ。私以上に、あんたが冒険者なんて……」
思わず文句が口に出てしまったが、幸いなことにメルたちの耳には届かなかったようだ。
実際に、冒険者の仕事に携わってみて分かった。その仕事が無意味なものではないことが。
おとぎ話に出てくる時代とは比べるべくもないが、今も魔物と呼ばれる人間に仇なす存在が確認されている。そんな化け物に対抗できる術を持たない人々にとって、それらと戦うことができる冒険者はありがたい存在だ。でも……。
「集落から集落への行き来の護衛。害獣の駆除。そして、今回のように街の自警団だけでは人手が足りない場合も駆り出される。結局は、ただの何でも屋じゃないの」
必要上、誰かが冒険者という仕事をやらなければいけないのかもしれない。でも、あいつじゃなくてもいいはずだ。
「分かりなさいよ。誰かが必要とする冒険者なんてものは代わりがいるけれど、メルとバルネアさんにとっては、あんたは……」
苛立ちに沸騰しそうな頭を落ち着けようと、私は静かに息を吐いて窓の外に視線を移す。
すると、窓に映る、短い赤髪の目つきのよくない女の姿が見える。何ということはない自分の顔だ。
肩で切り整えられた赤い髪。そして、私の気の強さがにじみ出たようなツリ目。よく綺麗だなどと言われるが、私は自分のこの顔が大嫌いだ。
ジェノ以上に腹立たしく、嫌悪する存在を思い出してしまうから。
「ああっ、もう!」
ついに堪えきれなくなって、私は声を上げて、テーブルを両手で軽く叩く。
「まったく、なんで私がこんな思いをしなければいけないのよ!」
あの馬鹿の事で、イライラしている自分自身が腹立たしい。
そんな憤懣遣る方無い私に、やんわりとした声が耳に入る。
「イルリアさん、お茶が入りましたよ」
いつの間にかそばまでやってきていたメルが、苦笑交じりに声をかけてきたのだ。
「あっ、ええ。ありがとう、メル」
何とか笑顔を作ってお礼を言うと、メルはお茶を手渡してくれて、私の向かいの席に座る。
「イルリアさんも、ジェノさんのことを考えていたんですね」
「ええ。考えたくもないけれど、あの馬鹿のことを考えていたわ」
私の答えに、メルは黙って微笑んだけれど、その手が彼女の首飾りに伸びる。
それは、彼女がジェノを心配するときの癖だということを、私は知っている。だから、また怒りがこみ上げてきてしまう。
「あいつは、いつも厄介事に自分から首を突っ込む。メルやバルネアさんが、あいつが出かける度にどれくらい心配しているのかも分からずに……。本当に馬鹿よ。大馬鹿よ」
「私とバルネアさんだけではないはずです。イルリアさんが抜けていますよ」
「もう、やめてよ。下衆の勘繰りをする連中だけで、そういうのは沢山だから。いつも言っているでしょう。私はあいつに返さなければいけない借りがあるだけよ。あんな馬鹿なんて、まったく私の好みじゃあないわ」
私はよくジェノと一緒に行動している。だがそれは、同じ冒険者仲間としてだけだ。それ以上の感情など持ち合わせてはいない。
「メル。私はね、貴女にあの馬鹿の手綱を握るようになってほしいと思っている。そのためだったら、いくらでも協力するつもりだから」
しかし、メルはまた困ったように微笑む。私は心からの素直な気持ちを口にしているのに、どうしても私があの馬鹿に特別な思いを抱いていると考えてしまうようだ。
「本当に、私は辟易しているの。ああいった馬鹿は、見ているだけで腹が立って仕方がないのよ」
もしも、借りがなかったら、こんな風に一緒に冒険者見習いになんてなっていない。
そう、私はあいつが大嫌いなのだから。
「イルリアさん。ジェノさんは一生懸命なので、今は他のことを気遣う余裕がなくなってしまっているだけなんです。本当は、すごく優しい人なんです。それは変わっていません。
ですから、ジェノさんのことをあまり悪く言わないで下さい」
あまりにも一途にあの馬鹿のことを信じるメルの言葉に、私は少しだけ呆れた。恋は盲目と言うのは間違いではないようだ。
そして、あんな奴を庇うメルが、不憫でならない。
「分かったわ、メル。ただ、今日はそろそろ休みなさい。私が起きているから」
「はい。ありがとうございます」
こんなに可愛くて一途に自分のことを思ってくれている女の子がいるのに、それをないがしろにするなんてどうかしている。自分を大切にしてくれる人を第一に考えるべきだ。
そう。血の繋がった家族でも、心が通い合えないこともある。それが見も知らぬ他人ならば尚更なのだ。それなのに……。
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