⑧ 『制裁』

1/1

38人が本棚に入れています
本棚に追加
/241ページ

⑧ 『制裁』

「あらっ、レイちゃん。おかえりなさい。セインちゃんも奥で待ってい……」 「ジェノは何処ですか?」  バルネアの店に戻ってきたレイは、笑顔で出迎えてくれたバルネアに端的に用件を告げる。  幸いなことに客は居ない。普段の営業時間ではないのだから当然だ。自警団のメンバーのためだけに、バルネアさんは店を開けてくれているのだから。 「どうしたの、レイちゃん?」 「…………」  バルネアの問にも、レイは答えない。返事をする余裕もなかったのだ。今は怒りを押し殺すだけで精一杯だった。  そして、 「俺ならここにいる」  店の奥からジェノが出てきた。自警団の制服を脱いだ、簡素な私服姿で。 「……面を貸せ」 「分かった。裏口から少し歩いたところに空き地がある。そこでいいか?」 「ああ」  レイが頷くと、ジェノは踵を返して店の裏口に向かう。  ジェノの後頭部を殴りたい気持ちを押し殺して、レイはそれについて行く。そして、すぐに目的の場所にたどり着いた。 「それで、何のようだ?」  振り返りざまに呟かれたその言葉を聞いた瞬間、レイの中でプツンと何かが切れ、気がつくと全力でジェノの頬を殴り飛ばしていた。  ジェノは倒れこそしなかったが、口の中を切ったのか、唇の端から血を流す。だが、レイの怒りはそんなもので治まりはしない。  相変わらず無表情な顔にもう一度全力で拳を叩き込む。今度は踏ん張ることができず、ジェノは地面に倒れた。 「お前は、自分が何をしたのか分かっていないのか!」  怒りに拳を震わせながらレイは叫ぶ。だが、ジェノは全く気にした様子はなく、静かに立ち上がった。 「俺がギルドから請け負った依頼は、たしかに自警団に協力することだ。だが、非番の時までお前たちに付き合う義理はない」 「そんな詭弁が通るとでも思っているのか! お前は俺達からあの化け物の情報だけを盗み、仲間と結託して俺達をはめた! 手柄を独り占めにするためにな!」  ジェノがしたのは間違いなく裏切りだ。そのことを許すわけにはいかない。こんな、こんな非道な行いが許されていいはずがないのだ。  だが、ジェノは静かに手で口元を拭い、 「手柄? そんなものに興味はない。俺は別の依頼を遂行しただけだ」  そんな事を口にする。 「どういうことだ? 何を言っているんだ、お前は!」 「俺は冒険者見習いだが、それを提示した上で依頼されれば、正規の冒険者と同じように依頼を受けることができる。そして、二つ以上の仕事を請け負った場合、期限を破らなければ、どちらを優先するかは俺の判断で決めることができるんだ」  ジェノが何を言わんとしているか分からない。レイは冒険者のルールなど知らないのだから。だが、ジェノが自警団への協力依頼の他に、別の依頼を受けていたことだけは理解できた。 「依頼の内容は、お前たち自警団に先んじてあの化け物を殺す事だ。報酬は大銀貨十枚と少し。割の良い仕事だったので、そちらを優先した。それだけだ」  ジェノは悪びれた様子もなく、そんなふざけたことを当たり前のように言う。 「……そうか。つまりお前は、金のために俺達を裏切ったということか!」  大銀貨十枚。たしかに大金だ。レイの月給の五ヶ月分以上だ。だが、そんな理由で簡単に依頼主を裏切る奴など、最低のクズだ。 「ああ。だが、俺はルールに沿った行動をしただけだ。これ以上文句があるのであれば、冒険者ギルドに苦情を入れるんだな」 「貴様!」  レイは完全に頭に血が上り、ジェノを殴りつける。だが、その一撃は空を切った。 「これ以上、殴られてやる理由もない。まだ続けるのなら、俺もただでは置かない」  そう言って、ジェノは拳を構える。 「上等だ。その仏頂面を泣き顔に変えてやる!」  そこからレイとジェノの殴り合いが始まりそうになったが、 「止めてください! 二人共!」  そんな女の声が二人を止めた。  声を上げたのは、いつの間にかやって来ていたメルエーナだった。そして、彼女の隣には、ひどく悲しそうな顔で今にも泣き出しそうなバルネアもいる。 「ジェノちゃんもレイちゃんも、どうして喧嘩なんてしているの?」  そう言って涙をこぼすバルネアの姿に、レイは怒りを懸命に飲み込んだ。 「バルネアさん……。くそっ!」  殴り足りない。だが、バルネアさんをこれ以上悲しませたくない。  レイは握っていた拳を下ろす。 「……ジェノ。今日はここまでだ。だが、俺はお前を許さん」 「そうか」  ジェノもそう言って拳を下ろした。 「レイちゃん……」  泣き止まないバルネアに、レイは「すみません」とだけ言って彼女の横を通り過ぎる。  とりあえず、セインを連れて帰らなければならない。  レイはモヤモヤする気持ちを押し殺して、セインを連れて帰ろうとバルネアの店に向かう。だが、そんな彼の背中に女の怒声が響く。 「どうして、どうして貴方はこんなひどいことをするんですか!」  振り返ると、キッとした表情でこちらを睨んでくる少女の、メルエーナの姿があった。 「何も知らねぇのに、余計な口を挟むな! こいつは殴られて当然のことをしたんだ!」  レイの怒りの声にも、メルエーナは怯まない。 「何も知らないのはどっちですか! 貴方がジェノさんの何を知って……」 「メルエーナ!」  ジェノは大声でメルエーナの言葉を遮る。 「……すみません。ですが……」  まだメルエーナはなにか言いたげだったが、ジェノに睨まれて言葉を噤んだ。 「…………」  レイは何も言わずにその場を後にする。  どうしてバルネアとメルエーナがこんな最低の男の身を案じるのか、レイには理解できなかった。
/241ページ

最初のコメントを投稿しよう!

38人が本棚に入れています
本棚に追加