二 受難の幕開け(二)

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二 受難の幕開け(二)

 如月と名乗る男の車はいわゆる外国製の高級車だった。     いわゆる住宅団地の狭小な公祐の家には似つかわしくない最先端のフォルムの車。その前にすんなりとした姿勢で立つ如月もまた、都会の端しっこに辛うじてくっついているような猥雑な街には似つかわしくない端正な容姿をしていた。  スラリと伸びた背に適度な長さに切り揃えられた手入れの行き届いた黒髪は朝日に紫めいて軽やかに揺れる。  顔立ちはいたって日本的なやや女性的な感じのする整った造りだが、切れ長の一重の眼がみょうに艶かしい。  さりげなく着こなされたスーツも無駄なく体型に馴染んでいるところを見るとおそらくはオーダーメイドなのだろう。  だが思ったより表情に乏しいためか、上品ではあるが、冷やかな、怜俐といったような印象を与える。 ーまぁきっとエリートなんだろうな......ー  スムーズにドアを開けて後部座席に公祐を誘う仕草も洗練され過ぎていて、どことなく人間離れした印象すらある。  車の滑らかな革張りのシートはほど良い弾力があり、座り心地は抜群だ。けれどそんな高級なものに触れたことの無い公祐には些か居心地が悪かった。 「かなり時間がかかりますからね。寝ていていただいていいですよ」  如月は公祐の手にしっかりとあの錦の袋が握られているのを視線の端で確かめると穏やかに微笑んだ。 「時間がかかるって......遠いんですか?」  公祐はまとまりの悪いくせっ毛を指先でなんとかなだめながら、運転席の男に尋ねた。 「そうですね。かなり遠いですが、心配はいりません。ジャケットは皺になるかもしれませんから、よろしければ脱いで楽になさって下さい」  公祐は如月の勧めに従ってもぞもぞと一張羅の灰水色のジャケットを脱ぎ、傍らのシートに置いた。  街の気温はまだそれほど低くはない。カッターシャツ一枚でも汗ばむほどの陽気だが、車内は心なしか冷んやりとして公祐には感じられた。 「遠いって......何処に行くんですか?」  公祐が半ば探るように訊くと、如月はちょっとだけ考えたふうにして、答えた。 「北の方です......今は東北と言うんですかね?......一ノ関はご存知ですか?」 「知ってます。親父の実家はもともとそっちだったと聞いてますから」  公祐は聞き覚えのある地名に少しほっとして、言葉を継いだ。 「一ノ関に行くんですか?」 「まぁそのあたりです」  如月はペットボトルのコーヒーを座席の間から差し出して、公祐に笑いかけた。 「市販品のほうが安心でしょうから......では行きますよ」  エンジンの音も静かに軽やかに滑り出した車の中で、公祐は改めて手渡された名刺を眺めた。 ーアート・コンサルタント、如月雫樹......ねぇー  いわゆる古美術商にしてはスタイリッシュ過ぎる如月にそこはかとない違和感を抱きながら、公祐は上質な和紙の名刺をシャツのポケットに納めた。 「俺の守り刀を見たいというのはどんな人なんですか?」  古美術や骨董に興味を持つというのは大概が金持ちの年寄りだ。都会のセレブとかいう人種は西洋アンティークが好きらしいし、最近流行りのゲームとかで刀に興味を持ったりしても、たかが小刀一本見るために使いなんか寄越さない。 「刀を愛してらっしゃる方ですよ。とても大事になさっている」 「いわゆる資産家のお年寄り......というような感じですか。刀の収集がご趣味ってかなり金持ちですよね」  如月は公祐の問いに、ちょっとばかり眉をひそめた。 「収集家とかいった類いの代物とは違います。刀や器物には魂が宿っていますから、在るべき場所、在るべき人の手に無ければいけないとお考えです」  公祐はぐっ......と息を詰まらせた。 「気難しいとか、頑固とかだったら、俺、礼儀とか知らないし......」  くすくす......と如月は小さく笑った。 「そう難しい方ではありませんよ。乾さまのお家で代々、大切に守り継がれてきたことに感動してらっしゃいました。ですので、是非お力になりたいそうです」 「良かった......」  公祐は、ほうっ......と息をついた。 「如月さんはその方と長いお付き合いなんですか?叔母とも......」 「相良琴子さま......とは最近、お知り合いになりました。本日お訪ねする方とは長いお付き合いですね。それは長い......」  バックミラー越しの如月は何か遠くを見るような眼差しをしていた。 「如月さんはその......このお仕事は長いんですか?」 「そう....ですね。私も大切なものが在るべき人の手に在るよう、お手伝いをさせていただいているだけですが、だいぶ長くなりました」 「そうなんですか......」  一見、三十代半ばほどにしか見えないが、それらしくない深い底光りのする瞳はそういうことか......と公祐はひとりごちした。 「気にいっていただけるといいんですが......」 「大丈夫ですよ、きっと」  如月の言葉に安心したためか、車内にそこはかとなく漂う白檀のような香りのせいか、いつしか公祐は深い眠りに落ちていた。
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