十 白寿(三)

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十 白寿(三)

 浴室を出てすぐに通されたのは昨夜とは異なる部屋だった。   「失礼いたします。お連れ致しました」  皐月少年が正座をし、丁寧にお辞儀をして静かに戸を引いた。 「お入りなさい」  昨日の人と同じ声が公祐を招いた。おずおずと室内に足を踏み入れると、室内はやはり黒光りのする板張りの床で、ところどころに丸い藁で編んだ座布団のようなものが置かれていた。 「そこへ......」  示された場所に座ると、やはり昨日のように中央に『主さま』と呼ばれた青年が座り、縁側に中年の男性が、廊下側に如月が座っていた。  『主さま』の後ろには神社の拝殿の中でよく見るような鏡と三方に乗せた捧げ物の果物や野菜や餅が置かれ、その前に座る三人はやはり白い神主さんが着るような襟元の詰まった装束を来ていた。  袴の色はそれぞれ違って、縁側の人が黒に近い濃い紫、如月が薄い紫、『主さま』の袴は純白だった。 「おはようございます」  如月に声を掛けられ、公祐は慌てて頭を下げた。 「あ......おはようございます」 「昨夜はよく眠れましたか?」  縁側の中年の男性が穏やかな表情で問うてきた。 「え、まぁ......」  半ば躊躇いがちに言葉を濁すと、中央の『主さま』が、ちらりと縁側の男性に視線を投げた。 「東雲、あれを......」 ー東雲さんていうんだ......ー と何気に口の中で呟く公祐の前に、昨夜と同じように朱塗りの杓と盃の乗った膳が置かれ、公祐の傍らには漆塗りの三方に懐紙を乗せた上に、あの守り刀が置かれた。錦の袋は解かれ、深みのある漆塗りの鞘が何時にも増して艶やかだった。 ーこんなに綺麗だったかな...ー  公祐は思わず目を疑ったが、目貫の草花は間違いなく、公祐の知っているそれだった。 「無事に白寿との契りも済んだようだな。誠に目出度い」 『主さま』が、初めてにっこりと笑い、つつ......と公祐の方に歩み寄った。  そして、朱塗りの盃を取り、公祐の方に差し出した。 「堅めの盃じゃ。受けよ」 「は、はぁ......」  公祐は、戸惑いながら『主さま』の注いでくれた濁り酒に唇をつけた。 『主さま』はそれを確かめると再び元の座に戻って息をひとつ、ついた。 「さて、昨夜のことを有り体に話してはくれぬか......」 「昨夜のことって......」 『主さま』の言葉に、公祐は一瞬、どきりと胸が大きく鳴るのを感じた。 「別に何も......」  言い掛けて、正面の『主さま』がじっとこちらを見る視線に唇が震え、勝手に言葉を紡ぎ出した。  気がつくと、昔の戦の夢を見たこと、不思議な少年が現れ、その後、激痛を下半身に感じて気を失ったこと、を正直に打ち明けていた。   「そうであったか......」 『主さま』は深く頷くと、半ば慰めるような口調で言った。 「白寿が姿を現したなら、君がその刀の真の持ち主に相違はない。白寿はやや性急な性質のようだな」 「性急?......性質?」  公祐の言葉に『主さま』は小さく口を歪めた。 「君を真の持ち主とするために、白寿は自らの気を君の中に通した。激痛だったのは、君の気脈自体が閉じていたから、白寿が力ずくで抉じ開けたのだ」 「気脈?」  首を傾げる公祐に、東雲と呼ばれた男が補足するように言った。 「人間の身体の中には、経絡といって気の流れを通す道がある。尾てい骨の辺りから頭頂に繋がっている。刀とひとつになる、刀の『鞘』になるにはそれが十分に拡がっていなければならないんだが、普通は狭かったり、塞がっていたりすることが多いのだよ」 「白寿はよほど早く君とひとつになりたかったようだ」 『主さま』はわずかに苦笑って言葉を継いだ。 「これで君は『七草の剣』の主として正式に認められたわけだ。.......早急に披露目をせねばならないな」 「披露目って......俺の他にも守り刀を持つ人がいるってことですか?」  公祐は思わず膝を乗り出した。と、『主さま』は、ははっ......と軽く笑った。 「ここにも二人いるではないか?」 「え?」 「東雲は萩、如月は桔梗の刀の主だ。君は撫子の主......ということになるか」  『主さま』の言葉に、二人がそれぞれ、すっ.....と懐から守り刀を覗かせてみせた。 ーそうなんだ......ー 「私は小太刀『遮那王』の守りを仰せつかっている。代々の主の跡を継いで、だが」 『主さま』は鏡の前に奉ぜられた短刀よりは少し長めの蒔絵の太刀を手のひらで示した。  公祐は、ごくりと唾を飲んだ。 「手配は済ませましたから、今夜にも皆、参りましょう。尾花の御大は私が迎えに参ります」  東雲さんがゆったりと頷いて言った。 「済まんな」 『主さま』は、小さく頷いた。 「公祐くんは、夜まで如月に相手をしてもらって、庭でも眺めているがよい。......栗鼠(リス)やら兎も来るから、よい退屈しのぎになるだろう」 「ありがとうございます......でも、俺、家に帰らないと」  公祐は、あっ......と我れに還った。父の遺骨を家に置いたままなのだ。初七日の香華すら満足に出来なかったら、父が泣く。それに明日は大学の講義もある。 「大丈夫ですよ。琴子さんにお願いしてあります。どうしても公祐さんが二、三日は家を開けなくてはならないので、お父さんのお守りをお願いします、と言ったら快諾してくださいました」  如月がにっこり笑って言った。 「そう.......ですか」  公祐はほっと息をついた。    琴子叔母は父と仲の良い妹だったし、子供は独立して、ご主人は海外に単身赴任中だから、確かに快く引き受けてくれそうだ。  何より、如月のことをとても気にいっている。  一通りの話が済んだ、とみたところで、東雲が『主さま』に向かって口を開いた。 「ところで、私が出掛ける前に決裁をお願いしますね。俗世の仕事もお忘れなきよう......」 「わかってる。......神前に世俗を持ち込むな」 『主さま』は心底嫌そうに眉をしかめて、唇を尖らせた。    後でこっそり如月に訊いたところ、『主さま』は某大企業の何代目かの社長で、東雲さんはその側近らしい。 『あの若さで?......十代だろ?』 と驚く公祐に如月は軽く指を振った。 『お若く見えますが、社長としては長いですよ.....実年齢は不詳です』 『そうなんだ.....』  公祐は、目の前でドングリを抱えてこちらをキョトンと見る栗鼠(リス)と見つめ合いながら、小さく息をついた。 ーここもやっぱり『この世』なんだー と思って、この時は少しばかり安堵した。  
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