88人が本棚に入れています
本棚に追加
十三 七草衆(一)
如月に導かれ、木の根道を抜けた後、二十段ほどの自然石の階段を登ると、ほんのりと灯りの点る建物が目に入った。
「ここ?」
「ここです」
懐中電灯で辺りを照らしてみると、大きな窟に食い込むように拝殿らしき造りの建物が建てられており、その上は鋭く切り立った崖になっていた。上部を懐中電灯の灯りで探ってみてもかなり高い。
周囲の光景は暗がりで見えないが、公祐は夢に見た場所に似た雰囲気を感じた。
「ここ......もしかしたら......」
「そうです。頼衡さまと舞草の六郎が遮那王さまに匿われていた場所です」
如月が感慨深げに答えた。
「遮那王さまって、義経さんは死んだんじゃ......」
公祐の言葉に如月は小さく首を振った。そして、公祐の問いには答えず、公祐の背中を軽く押した。
「さぁ皆さんがお待ちですよ」
「あ、はい......」
先に立って引き戸を開く如月を肩越しに中を覗くと、岩壁に幾つもの灯りが点されていた。窟の内部を覆うように設えられた床には、毛氈の敷物が敷かれ、丸い藁の座の上に座る人達の姿が見えた。
「撫子の方、お連れ申しました」
如月が入り口で呼ばわると、一番奥、何やら幕のかかった前に座っている『主さま』がゆったりと頷き、やさり右脇に座を占める東雲さんが、言葉を発した。
「お入りなさい」
「失礼します」
公祐は、手前の三和土で履き物を脱ぎ、示されるままに、『主さま』の真ん前に設えられた座に正座した。
「お刀を膝前に......」
ふと見ると、藁の座の前に小さな絹の座布団が置かれており、他の人達もそれぞれ、その上に守り刀を置いていた。
公祐が守り刀を置き、再び背を立てると、『主さま』が声を発した。
「これなるは、この度、撫子のお刀、白寿丸を継いだ乾公祐なり。皆の者、よろしゅう頼む」
「心得ました」
と返事を返したのは、『主さま』の左側に座った、少し年かさの男だった。
介添えの役のためか、如月は公祐のすぐ右側に座していた。
「改めて紹介いたす。我らは七草の剣を受け継ぐ者。遮那王さまに仕え、世を糺すをお役目とするもの。私は尾花の主、北澤秀峰と申す」
続いて東雲さんが、口を開いた。
「私は萩の主、東雲幸悦。主さまの後見を仰せつかっております」
その次に言葉を発したのは尾花の主の手前に座った、やはり四十くらいの男性だった。
「私は葛の主、西邑肇といいます。俗世の仕事は医師をしてますので、何かの折りにはご相談ください」
その向かいの青年が公祐の方を見て、にっこり笑って言った。
「僕は藤袴の主。名前は南方享一。浮き世ではスポーツトレーナーの仕事をしている。うちのジムに来てみる?」
そして、その隣には、たぶん公祐より若いであろう少年と、その後に威厳ある佇まいの老人が座っていた。
「僕は、巽祐太郎。能楽師の卵です。先日、師匠から女郎花のお刀を継承しました」
お辞儀をする姿の礼儀正しさに公祐は一瞬、自分が恥ずかしくなった。
「最後になりますが、あらためて.....」
如月が公祐の方を向いて頭を軽く下げた。
「桔梗の主、如月雫樹と申します。浮き世の生業は美術商、『主さま』の執事を仰せつかっております。......公祐さん、皆さんにご挨拶を」
如月に促されて、公祐はおずおずと口を開いた。
「あの.......俺は、乾公祐です。撫子?の守り刀を祖父から譲られました。普通の大学生......でした」
「でした......?」
北澤と名乗った男がふっと眉をしかめた。
「あの.......つい先日、父が亡くなって、大学を続けられるかわからないので......」
口ごもる公祐に、東雲が穏やかな笑みを浮かべて、言った。
「その事なら、心配ありません。公祐くんの学業を支援するよう、『主さま』から仰せつかって、既に手配済みです」
「え?いやそんな.....」
思いもかけない東雲の言葉に公祐はギョッとして、如月の方を見た。
「七草の衆は大切な存在ですからね。お互いに助け合うのが当然なんです」
「その通りじゃ」
如月の言葉に、北澤が大きく頷いた。
「わしは一線を退いてはいるが、相談には乗れるぞ」
「何を言ってるんですか、御大。御大の仕事に定年は無いでしょ」
西邑が半ば苦笑いしながら言った。
「え?北澤さんのお仕事って......」
目を白黒させる公祐に如月がこっそり耳打ちした。
「陶芸家です......」
あぁ......と公祐は頷き返した。そういえば、袴履きが妙に似合っている。
社のようなこの建物の中にいる人はみんな、朝に公祐がさせられような小袖に袴だった。色は濃い紫、紺、薄紫、青、緑......そして、公祐の隣の巽少年は、公祐のものより、やや薄い緋色だった。
『主さま』だけが純白の袴に、生成りの直衣という襟の詰まった上着を着ていた。
「では固めの盃を.....」
と『主さま』が口を開くと、どこに控えめいたのか、睦月少年達がやはりいつもの姿で、三方に乗せた白い土器の盃と銚子を運んできた。
次々に座の人達に盃を渡し、酒を注ぐさまを見ながら、公祐は、はっと我れに返った。
ーそうだ、ちゃんと言わなきゃ......ー
「あの......世を糺すって、俺.....いや、僕、そんな大それたことできません。僕、普通の人間ですから」
ただ、流れでここに来て、ここに座っているだけだ。
何も聞いていないし、正直、まだ訳がわからない。
如月や他の人々に臆しながら、しかしはっきりと言った。
すると、南方がははっ......と笑いながら言った。
「何も特別なことをするわけじゃないよ。自分の生業に真面目に取り組めばいいだけだ。乾さんなら学業かな......?それが世を糺す第一歩だからね」
「そうそう、別に取り立てて特別なことをする必要は無いんだよ、今は......。自分の守りの刀と親しく、真面目に日々を送ればいいだけだ」
「そう......ですか」
東雲の言葉に公祐はホッと胸を撫で下ろした。
「あぁ、それと......」
『主さま』がふっと思い出したように口を開いた。
「我れには、対になる護り人がいる。直接に君たちと関わることはまず無いが、固めの盃ゆえ、同席している」
ふっ......と『主さま』の背後の幕が揺れた。灯りに浮かび上がった輪郭の影はかなり大柄だ。
『主さま』が幕の裾から酒を満たした土器を幕の中に差し入れると大きな手がそれを受け取った。
「では、皆の結束と弥栄を願って......!」
「弥栄を!」
盃を掲げて飲み干すと、皆、再び守り刀を懐に仕舞い、『主さま』に頭を下げて、座を立った。
公祐も如月の誘導に従ってそれに倣った。
「さあ、戻りましょう」
闇にきえていく人々の背中を追って、公祐も如月に続いた。......が、ふと振り返って、社にまだ灯りが残っていることに気づいた。
「あれ『主さま』は......?」
前を歩く中に、あの白い装束は見えなかった。
「まだ、斎主としてのお役目があるんですよ。遮那王さまに、ご報告するんです」
如月は背後の灯りをみつめながら厳かに言葉を紡いだ。
「遮那王って......源義経さん?」
公祐の問いに如月は軽く頭を振った。
「義経公は遮那王さまの仮の姿。御本体は鞍馬の魔王尊のお子です。義経公が亡くなり、現世の肉体を離れた後は、このお山に宿って、人々の行く末を見守っておられます」
「そう......なんだ」
公祐は素直に頷いて、如月の後をついて歩いた。
怪しげな、疑問に思うことは多々あったが、今ここでそれを問うてはいけない気がした。
ーいいや......。東京に帰ってから、調べてみようー
宗教団体とかだったら、ググれば出てくる。
とりあえず命は無事な状態で下界に帰れることに、公祐はホッと息をついた。
最初のコメントを投稿しよう!