二十二 検分(一)

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二十二 検分(一)

 如月の車が着いたのは、いわゆる都内ではあるが、そうとは思えない閑静な住宅街の一画だった。  周囲のいわゆる豪邸と遜色の無い門構えと広い良く手入れされた庭.....自動で開閉するゲートが如月が車のパネルの一ヶ所に優雅に触れるとゆっくりと開いた。 「すげぇ......」  目をパチクリさせる公祐の傍らで六郎は心なし渋い顔をしていた。 「美術商てのは儲かるんだな......」 「私のものではありませんよ。借り物です。お客様のプライバシーを守らねばいけませんから」  滑らかに建物の車止めに如月が車を入れると、立ち居振舞いも完璧な黒服がごく自然に公祐達の座る後部座席のドアを開けた。 「あ、どうも......」  少しばかり恐縮しながら車を降りる公祐達の背中越しに如月がにこやかな笑顔を作って言った。 「車を置いてきますので、お茶でも飲んでいてください」  優雅に走り去る車の背を見送る間もなく、黒服が声をかけてきた。 「こちらへどうぞ」  仕草も口調も声の高さまで完璧な黒服に案内されてエントランスルームに足を踏み入れると、再びふたりは目を剥いた。  分厚い深緑の絨毯に、大理石の天板の嵌め込まれた、いかにもアンティークらしいテーブル。 「こちらでお待ちください」    ふたりが勧められた猫足のがっしりしたオーク材のソファーは緻密なゴブラン織りの座面や背もたれが絶妙な座り心地で、深みのある木の色に所々施された金の精巧な細工がより落ち着きを増していた。 「凄いな......」  見上げた壁には公祐にも見覚えのある絵画が掛かっていた。 「クリムトか.....」  六郎は呟きながら、給仕が目の前で紅茶を満たしてくれたジノリのカップに口をつけた。シンプルで滑らかな白い磁器に鮮やかな紅茶の赤が美しい。  照明や採光まで緻密に計算され尽くした空間に、サイドテーブルの生花が美しく彩りを添えていた。 「美味しい.....」  溜め息混じりにカップを両手で支えて落とさないように口に含んだ紅茶は、それでも今まで口にしたことがないくらい美味だった。 「淹れ方が上手いんだろ」  六郎は素っ気なく返し、だか緊張はしているらしく、若干表情は固かった。 「お待たせしました.....」  紅茶が冷め始める頃、内部とエントランスを仕切る分厚いドアを開けて、如月が現れた。 「凄いですね.....」  周囲の光景に圧倒され溜め息を洩らす公祐に如月が小さく苦笑して、微笑んだ。 「すべて商品ですよ、花以外はね」  磨き上げられた廊下を進んで案内されたのは、何故か棟を隔てた広めの茶室のような建物だった。 「え?和室?」 「宮部さんには刀剣の鑑定をお願いしたいので...」 「洋室の設えは埃が立ちやすいからな」  六郎は緑岩の一枚岩の三和土に靴を脱ぎ、公祐もそれに続いた。   「今、お持ちいたしますので.....」  床の間に掛けられた軸と桔梗の活けられた花いれ、丸く切り取られた雪見障子.....先ほどまでの空間とは真逆と言っていいほど、簡素で静謐な空間がそこにあった。 「なるほどなぁ.....」  六郎は、座布団にあぐらをかき、辺りをぐるりと見回しながら、呟いた。 「なるほどって?」 「茶の道具なんかは、茶室にあって初めて価値を見せるもんだ。おそらくあっちには炉が切られていて、実際に茶を点てられるようになってる」  六郎が顎で示した先にはなるほど、半畳ほど畳が別になっていた。 「へぇ......」 「道具は使われてナンボだからな。刀剣は今はそうはいかんが、器物というのは、飾って眺めるもんじゃない」 「その通りです」  入り口の側に設けられた秋草の襖がするりと開いて、如月が紫色の刀袋を捧げ持ちながら入ってきた。  傍らから黒服が進み出て、螺鈿黒漆の大振りなテーブルの上に絹の座布団のようなものを置き、晒しの布をその上に敷いて、出ていった。 「こちらです......」 「それでは拝見」  いつの間にか足を直して正座になり、白手袋をしていた六郎が、刀を捧げ持つように受け取り、軽く一礼した。その仕草は、公祐の守刀を手入れする時と同じだった。  丁寧に袋の紐を解き、静かに刀を引き出して、一度晒しの上に置き、丁寧に袋を畳んで傍らに置いた。  そして、晒しの傍らに添えられていた懐紙を咥えると、荘厳と言っていい手つきで今一度、刀を手に取り、鞘、拵えを丁寧に検分した後、鞘を払い塚巻きを、ハバキをはずした。  (なかご)から刃先までを丁寧に細部まで検分し、また元のように柄を直し、鞘に納め袋に戻して、やっと口から懐紙を外した。 「残念だが、贋作だな」  六郎はふぅと息をついて、言った。 「やはりそうでしたか.....」  頷く如月に六郎は畳み掛けるように言った。 「だが、備前長船には変わりない。長光の作ではないが、たぶん江戸期まで生き残った長船の刀工が先祖の技術を残すために打った一振りだろうさ」 「どうしてわかるんですか?」  目を丸くする公祐に六郎が真剣な表情のまま、言った。 「鉄のな、味わいが違うんだ。作法は長船の作法を厳密に踏襲しているが、使われている鉄の配分が違う。時期的に鎌倉やそんな時代に打たれたものじゃない、かと言って現代刀じゃない。いわゆる江戸期の新刀だ。......贋作というより、江戸期に長光を名乗った長船刀工の生き残りがいたと考えたほうがいいな」 「流石ですね......」  如月はそう言うと、軽く手を叩いて、黒服を呼び、刀を下げさせた。 「隠れ神鍛冶の六郎太の子孫なだけはある」  如月の言葉に六郎の頬がぴくりと震えた。 「隠れ神鍛冶って?」  公祐の言葉に如月がにんまりと笑った。 「神仏に捧げる神刀だけを打つ刀工です。日常的には見習いに過ぎませんが......というのは、殺生をする刀は穢れますから、打つことが出来ないんです。神事の時だけ、山籠りして潔斎して打つんです。  六郎太が鎌倉方に捕まらなかったのは、おそらく潔斎で山籠りしていたからでしょう」 「おそらくはな......」  六郎は、不機嫌そうに口を歪めた。 「......で、俺の値踏みは済んだろう。そろそろ出てきちゃどうだ。七草衆とやら」  六郎の言葉に公祐がびっくりして後ろを振り向くと、するりと襖が開き、あの山で会った人々がそこに座っていた。『主さま』と影以外の皆が皆、こちらをじっと見ていた。  
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