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二十六 検分(五)
ーまただ......ー
車が山の裾あたりに差し掛かるとうっすらと霧が湧いてきた。曲がりくねったカーブをひとつ曲がる度に背後が真っ白に閉ざされて何も見えなくなる。
「ご丁寧なこった......」
六郎の唇が小さく呟き、不貞腐れ気味だった表情が真剣な顔つきに変わってきた。
「六郎さん?」
「心配いらない。俺がついてる」
不安げな公祐の手を大きな厳つい手がぐっと握った。
ー六郎さんの手、暖かい.....ー
公祐はそれだけで胸の中にふわりとした温もりが広がっていくような気がした。
「着きましたよ」
東雲が車を止めたのはやはり山の中腹あたりにある大きな門の前だった。
「こちらへ......」
六郎達は車から荷物を下ろし、門の前に立つと、やはり白い小袖に白い袴の人達が現れ、門を開いた。
「行きましょう」
如月は、その人達と軽く頷き合うと、公祐達に中に入るように促した。
「東雲さんは?」
「後から来ますよ」
後ろを振り返ると、どこかへ停めに行ったのか、すでに車の姿は無かった。
勾配の急な石段を注意深く登ると、正面に板戸で閉ざされた大きめな建屋があり、その両脇に少し小振りな建物があり、その背後には滝が流れ落ちていた。
「まんま神社だな.....だが篇額がない」
如月が正面に立ち、到着を呼ばわる間、建物を眺め回していた六郎がぽそりと呟いた。
「お入りください」
両側から板戸が開かれ、三人はそのまま中へ入った。石の三和土の両側に障子のはまった部屋の入り口があり、正面の閉まったままの板戸の前には虎の絵が描かれた衝立が立てられていた。
「こちらから......」
向かって左の障子が引かれ、三人は八畳ほどの広さのある部屋に通された。
床はやはり板張りで丸い藁の敷物が二つ置かれていた。
六郎の荷物を部屋の隅に置き、ふと見ると如月の姿が無い。代わりに神主のような装束の人が奥の扉の前に座っていた。
「まずは御祓を......」
「わかってる」
六郎は短く言うと、鞄のひとつを手に立ち上がった。
「六郎さん?」
「大丈夫だ。すぐに戻る」
六郎はためらいなく神主もどきの人について部屋を出ていき、入れ替わりに如月が戻ってきた。
「如月さん、六郎さんは?」
「心配ありませんよ。刀工としての仕事をしていただくための作法です。宮部さんもわかってらっしゃいます」
如月の言葉どおり、しばらくの後、六郎は先ほどの案内人と同様の白い襟の詰まった装束で戻ってきた。違うのは、六郎の装束は麻の生成りで、襷掛をし、頭に黒い烏帽子を乗せていたことだった。脇にはいつもよりやや大きめな木の箱が抱えられている。
「では.....」
板張りを渡り、三人は先ほどの正面の板戸の前に移り、如月に倣って正座する。
「舞草の益人、六郎、罷り越しましてございます」
如月がいつもとは異なる口上を述べ、平伏する。公祐と六郎もそれにならって頭を下げた。
「入られませい」
中から応えたのは東雲の声だった。
ーいつの間に......ー
思う間もなく戸が開き、三人は室内に導き入れられた。
広めの板張りの床に白木の台が置かれ、刀が二本、鞘から出された状態で、白い厚みのある布の上に置かれている。
『主さま』はその一段上、高く狭くなっている場所に鏡を背に座っていた。
表情は半ば下げられた御簾に隠されて見えない。
「こちらへ......」
公祐は如月に誘われて、東雲とは逆側の脇に座り、部屋の中央には『主さま』と六郎が対峙する形になった。
「よう参られた」
『主さま』の声に六郎が無言で頭を下げる。
「検分、頼む」
「承知」
交わされる言葉は何処までも短い。
空間がこの上ない緊張に包まれる中で、六郎がいつもの作法で、二本の刀をそれぞれ鞘から外し、拵えを外して、刃先から茎の尻までを丹念に見つめる。
二本目の、やや太く長い刀を手にした時、六郎の表情が曇り、固くなった。
そこに『主さま』の声音が短く言った。
「焼きは必要か?」
「要りません」
六郎の答えに、『主さま』が少し声を和らげた。
「砥ぎを頼む」
「仕度を.....」
言葉とともに、神主姿の人が水を入れた小さめの平桶を捧げ持ち、六郎の傍らに置いた。六郎の手が木箱から砥石らしきものを取り出し、綿の小さめの座布団のようなものの上に置いた。
そして、大きめのほうの刀を手に取ると、静かに砥石にあてて、滑らせた。
繰り返し滑らせ、水を湿した布で拭う。それを幾度も繰り返すのを同席した者達は無言で見つめていた。
やがて、六郎の手が止まり、刃筋を確かめて、ふっと肩の力を抜いた。
三枚重ねた懐紙を刃に滑らせ、はらりと落ちた様を確かめて、いつも通りに懐紙で水気を拭い、油を引いて拵えを戻し、鞘に納めた。
「済みました」
その言葉に皆の口からほうっ.....と小さな息が漏れた。
「大儀でした」
二本の刀が木箱にしまわれ、部屋から『主さま』の座の奥に戻されて、ようやく皆が普通の呼吸を取り戻したように思えた。
「さて、話をしようか......」
『主さま』は片手でひょいと御簾を上げると、段を降り、六郎の正面に置かれた円座にす.....と座った。
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