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記憶の傷跡
凛斗は花音の部屋にいた。
神祓いをして祐を人間に戻した後、凛斗達は屋敷に戻ってきた。
唯人は意識を失ったままで、今は梓が傍についている。
そして凛斗は眠る花音の傍にいた。
「何かあったら呼べよ」と言い残し、楽空はベランダに出ていた。
凛斗はベッドで眠る花音の顔を見ていた。
そっと、花音の頬に手を触れる。
…この感触、覚えてる。
どうして忘れていたんだろう。
こんなにも大切に想っていることを…。
凛斗の中に花音の記憶が蘇り始めていた。
静かに瞼を閉じ、凛斗は自分の中にある花音の記憶を探した。
凛斗は背中に痛みを感じて、目を覚ました。
そこは病院の病室のベッドの上だった。
「目が覚めたか。凛斗!」
心配そうに凛斗の顔を覗き込んでいたのは、楽空だった。
「楽空…。どうして俺は、ここに…」
朦朧とした意識の中で、背中に激痛だけを感じながらも、なんとか今の自分の状況を把握しようとしていた。
「覚えてないのか?おまえは眷属化した父親に爪で背中を引き裂かれたんだ。あまりにも酷い傷だったから病院に連れて来られた。でも、安心しろ。傷は治る。ただ、傷跡は残るだろうけど」
「傷跡…?なんだ、そんなことか…」
言いながら、凛斗は右手の平で顔を覆った。
「俺…生きていていいのかな?」
背中に傷を残した父親を、この手で殺したのに…。
「おまえの父親のことは残念だったが、それどころじゃないんだ。あの後、とんでもないことが起こったんだ。おまえは意識を失って覚えていないだろうけど…」
「とんでもないこと…?」
「そうだ。実は…おまえが背中に傷を負って倒れた後、美琴が慶を日本刀で切って殺した」
「…嘘だろ?美琴が?慶って、神代の当主のか?あの慶が美琴に殺されるなんて…、あり得ない。それに美琴が慶を殺す理由がない」
「信じられないよな…。俺だって、そうだ。でも、俺が慶や祓子達と駆けつけた時。一番に、あの部屋に入った慶は倒れている凛斗を助けようとした。しかし、錯乱していた美琴は眷属が凛斗を襲いにきた化け物だと思い、慶を後ろから日本刀で切ったんだ」
「…そんな、バカな」
凛斗はため息をついた。
「それで、美琴は?」
「慶を殺したことに気づいて、自分を責めて部屋に閉じこもっている」
「そうか…」
目を細めた凛斗の頭の中に花音の顔が浮かぶ。
兄の慶を美琴に殺され、花音は大丈夫だろうか…?
凛斗が子供の頃から皇家と神代家は交流があり、凛斗と同じ歳の慶、美琴と同じ歳の花音、似通った兄弟関係を持つ両家の子供達が仲良くなるのに理由などいらなかった。
中でも美琴は慶のことをも一人の兄としてして慕っていた。
そんな慶を殺したと知った美琴の苦しみは計り知れない。
仲のよかった美琴に兄を殺された花音も、それは同じだろう。
「花音は…?」
「この病院にいる。傷は負っていないけど、意識を失って眠ったままなんだ」
「花音が…」
凛斗は少し考え込むような仕草をする。
「楽空。俺を花音のところへ連れて行ってくれ」
「今、動いたら傷が開くぞ」
「そんなことどうだって…。今は花音が心配だ」
凛斗の中に漠然とした不安が広がっていた。
このまま、花音は目覚めずに死んでしまうんじゃないか…と。
「頼む!楽空!」
「…凛斗」
楽空はため息をついた。
凛斗が言い出したら聞かないのはいつものことだった。
ましてや、美琴同様に妹のように可愛がっていた花音が意識を失ったと知れば当然のことだった。
「わかったよ。車椅子持ってくるから、待っててくれ」
そう言うと、楽空は病室から出て行った。
数分後、楽空は車椅子を持ってくる。
楽空はベッドから凛斗を抱き起す。
「ううっ…!」
凛斗は背中の傷に走る痛みに顔を歪める。
「大丈夫か?やめたほうがいいんじゃ…」
「いいから、このまま車椅子に乗せてくれ」
「…わかった」
何度も苦痛に歪む凛斗の顔を横目に見ながら、楽空は凛斗が車椅子に座るのを手助けする。
体を動かす度に背中の傷にえぐるような痛みを感じていた。
なんとか凛斗を車椅子に座らせると、痛みから解放され少し楽な表情になっていたが、顔色は悪かった。
「楽空。花音のところへ」
「わかってるって」
楽空は凛斗の乗った車椅子を押して、花音の病室に向かった。
とある病室の前に祓子で見たことのある少年が立っていた。
「あそこが花音の病室か」
「そうだ」
病室の前まで来ると、少年が凛斗に気づいて頭を下げる。
「花音は?」
「まだ、意識が戻ってません」
「中に入ってもいいか?」
「…今は、中には神代家の人間は誰もいません。俺の一存では何とも…」
「それなら、誰かに何か言われたら俺のせいにすればいい。中に入るぞ」
そう言って、凛斗は病室に入るように楽空に目配せする。
「あっ…、凛斗さん!」
祓子の少年は止めることもできず、凛斗達と一緒に病室に入る。
病室のベッドで眠っている花音の前まで車椅子で来ると、凛斗は花音の顔を覗き込んんだ。
特に表情はなかったが、すやすやと安眠しているようにも見えなかった。
「花音…」
凛斗は祓子の少年を見た。
「花音はどれくらい意識を失っているんだ?」
「慶様が刀で切られたのを見た時に意識を失ってから…なので、三日ほどです」
「そうか…」
凛斗は心配そうな眼差しで花音を見た。
まだ、花音が小さな頃、花音が泣いた時は凛斗が頭を撫でると花音は泣き止んでいた。
最近では花音も泣くこともなくなって、そんなことをすることもなくなっていた。
凛斗には苦しみも喜びも微塵に感じさせない表情で眠る花音が、なぜか辛そうに見えていた。
それは泣きたくても、じっと、辛い感情を呑み込んでいるかのように…。
「花音…」
凛斗は花音の頭を撫でた。
「…辛かったよな。おまえが目覚めて美琴を憎んでも…、俺までも憎んだとしても…、俺は全てを受け入れる。それが慶を失った花音にできることなら、いくらでも憎んでもらっていいからな」
優しい声で言う凛斗の瞳には涙が滲んでいた。
「ごめんな。俺と美琴のせいで、慶を亡くすことになって…」
花音の頭を撫でる凛斗の手が震えた。
凛斗は、そのまま俯き肩を震わせて泣いた。
花音のたった一人の兄弟である慶は、もうこの世にいない。
これまで慶がいたはずの場所で、これからは慶の姿を見ることができなくなる。
慶がいない場所で慶の姿を追う、それがどれだけ哀しみを募らせるか…。
その光景が目に浮かぶようだった。
日に日に、慶は死んだのだと実感していく、そんな地獄のような日々がしばらくは続くだろう。
花音が慶の死を受け入れるまでは…。
だからこそ、凛斗は花音にできることなら何でもしようと思った。
例え、自分が憎まれたとしても…。
「凛斗…」
凛斗は花音の声がして、顔を上げた。
その視線の先には目を覚ました花音がいた。
そして、凛斗をじっと見つめていた。
「花音…。ごめん…」
泣き顔で言った凛斗の頬に花音は手で触れた。
「こんなに泣いて…。慶のことで泣いてたの?…慶は死んだのね?」
花音は起き上がり、哀しそうな声で言った。
「俺に泣く権利なんてないよな。花音の兄さんの命を奪ったのは…」
「その話はしないで…」
花音の言葉に凛斗は、その先の言葉を呑み込む。
「あたしだって、慶が死んだのは哀しい。でも、美琴は凛斗を守ろうとしただけでしょう?凛斗を殺さないでって叫んでるのが聞こえたもの。神代家の人間のように普段からKerと遭遇していれば、冷静にそうじゃないってわかったかもしれない。でも、美琴は違う。だから、どうしようもなかったの」
そう言った花音の頬に涙が零れる。
「あたしが美琴でも同じことをしたと思う。慶が死んで、そのことがよくわかる。あの時、慶を助けられたらって」
「花音…」
「美琴は大切な凛斗を守っただけ。それだけよ」
そう言っている花音の言葉の裏には、慶を守りたかったという想いが隠されていた。
花音は俯くと、涙をポロポロ流して泣いた。
「そうだな。花音…」
凛斗は立ちあがり、花音を抱きしめた。
花音は肩を震わせて泣いた。
凛斗は泣いている花音の頭を撫でながら、意識が朦朧としてくのを感じた。
そして、体から力が抜け始める。
「凛斗…?」
花音は自分の体を抱きしめていた凛斗の腕から、力が抜けていくのに気づく。
凛斗のよろけて、倒れそうになった体をを楽空が支える。
「バカだな。傷口開いただろ…」
楽空はため息をつく。
背中から支える楽空の腕に血が伝っているのが見えた。
「凛斗…!そんなに酷い怪我なだったの!?。なのに…どうして?」
「凛斗は止めるのも聞かずに花音ちゃんに会うって聞かなかったんだ。傷口が開くからやめろって言ったのに…」
「そんな。あたしのせい?」
「それだけ、花音ちゃんが大切だってことだろ?花音ちゃんのことが心配でしょうがなかったんだろな」
「余計な…こと、言うなよ」
朦朧とする意識の中で、凛斗は言った。
「凛斗!あたしは大丈夫だから、凛斗は傷を治して」
花音は凛斗の手を握りながら言った。
温かい…。
やっぱり、花音がいると落ち着く。
「お願い。死なないで。凛斗…」
そう言った花音の手から震えが伝わってくる。
こんな花音を置いて、死ねるわけがない。
花音のためにも生きなきゃ…。
「花音。ちゃんと治すから。だから、泣くな」
朦朧とする意識の中で、凛斗は穏やかに笑いかける。
「うん。約束ね」
心配そうに見て泣いている花音の顔が視界でぼやけていき、凛斗は意識を失った。
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