失った傷跡

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失った傷跡

 それは(すめらぎ)凛斗(りんと)の妹の15歳の誕生日の夜だった。 その夜は、資産家である皇家の当主が主催した孫娘のための誕生パーティーが皇家の屋敷で行われていた。 豪華な料理やたくさんの誕生日プレゼント、私的な知り合いだけでなく、当主とつき合いのある政財界のVIPも出席していた。 その誕生パーティーの主役である美琴(みこと)は栗色の髪をゆるいパーマに、当主である祖父からもらったダイヤの首飾りをして、青いパーティードレスを着ていた。 その姿は例えるなら、お姫様といったところだろうか。 嬉しそうに笑顔を絶やさない妹の美琴を、兄である凛斗は満足そうに見ていた。 凛斗は黒髪に、強くも優しい印象を与える琥珀色の瞳が印象的な青年だ。 皇家という資産家に生まれ、厳格な祖父と信頼のおける父親と優しい母親、そして、明るく元気で母親に似て優しい妹、家族関係は良好でお金にも困らないという何の不自由もない家に生まれ育ったお陰か、欲のないささやかな夢を持っていた。 このまま、ずっと家族仲良くいられれば…と。 だからこそ、家族を守るためなら何でもできると思っていた。 特に唯一の妹である美琴を何よりも大事に思っていた。 その夜の警備はVIPも参加していることもあり、いつもより厳重で誰も部外者は立ち入れないようになっていた。 そして、パーティーは終盤を迎え、やがてお開きに…。 招待客が次々と会場である皇家の屋敷から出て行く。 そして、全ての招待客がいなくなると…凛斗達はそれぞれの部屋に戻った。 凛斗は部屋に入ると、ベッドを見るなりベッドの上に寝っ転がった。 「疲れたな…」 跡取りとして招待客の相手をしてクタクタだった。 疲れた体を少しだけ休めるつもりだった。 まだ、眠る気はなかった。 天井を眺めながら、パーティーでの美琴の嬉しそうな笑顔を思い出していた。 思わず笑顔になってしまう。 美琴の笑顔を思い浮かべるだけで、疲れたことなどどうでもよくなる。 そうやって天井を眺めている内に、いつの間にか眠ってしまった。 「きゃああああ!」 そして…誰かの悲鳴で目を覚ます。 言い知れない不安が込み上げ、咄嗟にベッドから起き上がった。 自分の部屋から出ると、両親の部屋のドアが開いてるのが見えた。 開いているドアの前まで行くと、部屋の中の光景に立ちすくむ。 部屋の奥にあるベッドの上で鋭い爪のようなもので体を引き裂かれ死んでいる母親と、同じような傷を腕に負った美琴が座り込んで泣きながら震えていた。 そして、美琴の目の前にいたのは黒い翼に鋭い牙と爪を持った…変わり果てた姿となった父親だった。 その目は虚ろで何かに取り憑かれるているように見えた。 人間とは思えない程、長く伸びた鋭い爪の先についている血は、きっと母親と美琴のものだろう。 何が起こっているのかわからなかった。 それでも、化け物と化した父親が美琴を殺そうとしているのはわかった。 美琴を守らないと…! 咄嗟に凛斗は父親が趣味で飾っていた日本刀が置いてある壁掛けに向かって走る。 凛斗に気づいた父親が凛斗に向かって来る。 凛斗は三本ある内の一本の日本刀を手に取ると刀を鞘から抜いた。 そして、背中の黒い翼で宙を飛び、襲い掛かってくる父親の左腕を切り落とす。 腕が切り落された傷口からは血しぶきが飛び散る。 しかし、父親が正気に戻ることはなく、更に凛斗への殺気が増しているのが目に見えてわかった。 もし、俺が父さんを殺さなかったら、俺は父さんに殺される。 そして、間違いなく美琴も…。 泣きながら震える美琴を視界の端に見ながら、凛斗は父親の左胸に刀の刃先を指した。 その瞬間、父親の体は止まった…かのように見えた。 しかし、右腕の鋭い爪が凛斗を襲ってきた。 凛斗は、そのまま掴んでいた刀を父親の左胸に押し込んだ。 何とも言えない叫び声をあげて、父親は絶命して倒れた。 ホッとして膝を着くと、背中が熱かった。 腰から下に生暖かい液体が流れるのに気づいた。 手で触ると、それはヌルっとしていた。 それを触った手を見ると、それは間違いなく血だった。 父親の爪に背中を引き裂かれていたのだった。 俺は死ぬのか…。 意識が朦朧とする中、美琴を見る。 美琴は母親の死体のあるベッドを見て青ざめて震えている。 そのまま、視線をベッドへ滑らせる。 ベッドの母親の死体の上には化け物になった父親と同じように黒い翼と鋭い牙、鋭い爪、そして、血のような真っ赤なローブと仮面のような白い顔の化け物がいた。 その仮面のような白い顔には不似合いな赤い唇から見えている鋭い牙を母親の死体の傷口に押し当てた。 そして、傷口から流れる血を貪るように吸い始めた。 凛斗は意識が朦朧とする中、力を振り絞って立ち上がろうとした。 あいつを何とかしないと、美琴が殺される…。 膝を立てた瞬間、グラリと視界が歪んだ。 そして、意識が遠のいていく。 美琴…。 おまえだけは殺させない。 おまえだけは…。 そして、凛斗の意識は途切れた。  とある街の山近くにある、なだらかな丘の広い敷地に武家屋敷を思わせる塀に囲まれた日本家屋があった。 そこは“お屋敷”と呼ばれていた。 古くからの地元の地主の家だったが、少し変わっていた。 お屋敷には当主と、その家族のみでなく、歳の若い親族も住んでいた。 その屋敷では外から使用人を雇わず、同じ血筋の一族の者が使用人をしていた。 それが、その一族の昔からの習わしだという。 一族は全て神代(かみしろ)の姓を名乗っており、他の姓を名乗ることを許されなかった。 そんな神代一族に二年前に両親が不慮の事故で亡し、生まれてから事件の日までの記憶を失った女がいた。 名前は花音(かのん)という。 今日で20歳になる。 花音は当主である唯人(ゆいと)の親が決めた許婚だった。 20歳になると3歳年上の唯人と結婚することになっていた。 花音にとっては今までで憂鬱な誕生日だった。 唯人のことが嫌いでなはい、むしろ人間としては好きだった。 ただ、気になることが一つあった。 この一族特有の仕事で出かけ、帰って来ることがあるが、その度に唯人は顔色を悪くして帰って来る。 そして、その仕事の度に体が弱っていっているように見える。 その仕事が何なのかはわからないが、誰に聞いても唯人の口から聞くように言われるばかりだった。 しかし、唯人に聞こうにも、毎回、上手く話を逸らされていた。 あの唯人が言いたくないのだから、きっと、話したくないのだ…と。 今では聞くこともなくなった。 それでも唯人には花音の知らない何かがあり、本当に唯人を信じていいのか迷っていた。 そんな状態で結婚など考えられるはずもなかった。 だからこそ花音は、唯人から逃げるように敷地内にある林に来ていた。 なぜか、その林にいると懐かしくて気持ちが落ち着いた。 その林から覗く山々の景観を見ていると心が軽くなる。 壮大な青々とした山々が連なり、その上に広がる青空に流れる雲を見ていると、悩みなんて忘れてしまいそうだった。 このまま、どこかへ行ってしまえたらいいのに…。 林をぬって吹いてくる風が花音の胸まで伸びた黒髪とスカートの裾を揺らす。 その風が気持ち良くて、つい微笑む。 花音の笑顔は、不思議と見る者すべてが癒される。 笑っていない花音の瞳はいつも哀しそうに見えていて、そんな花音が笑うと何故だか心が温かくなる。 「花音」 穏やかな青年の声がした。 花音は振り返ると、青年を見た。 細身の黒髪の青年が立っていた。 整った顔の色は白く、病弱そうにも見えた。 包み込むような温かな眼差しで花音を見ていた。 「唯人」 「また、ここに来てたのかい?」 「うん」 花音は嬉しそうに笑った。 「花音は、この場所が好きだね」 「うん。なんでだろう…?」 記憶の中を探ってみるが、答えはでてこない。 きっと、失くした記憶の中にあるのだろう。 「もうそろそろ屋敷に戻ろう。みんなが心配する。今日は花音の誕生日の祝いをする日だからね」 穏やかな笑顔で唯人が手を差し伸べると、花音は一瞬ためらう。 この手を信じてもいいの…? 何を隠してるの? 「花音…?」 「ううん。なんでもない」 心に浮かび上がる疑問を呑み込んで笑顔を作る。 そして、唯人の手を取る。 手を取った反対側の花音の左手首を見つめる唯人。 そこにはリストカットにも似た傷跡があった。 唯人の話では両親が亡くなった不慮の事故の時に一緒にいてついた傷だというが、事故にしても手首にだけ傷が残るのは不自然でしかなかった。 「この傷は隠さなくていいの?」 「うん」 傷の記憶のない花音は元気に答えた。 「でも、今日はお客さんがたくさん来るからリストバンドで隠そう。お客さんが気を使う」 哀しそうな眼差しで手首の傷を見つめながら言った。 その表情からすると、唯人はその傷の本当の意味を知っているようだった。 「花音…」 唯人は繋いだ手を引っ張り、花音を抱き寄せた。 「唯人…?」 そして、花音の頭を撫でる。 「僕が花音を守るから…。もう、二度とこんな傷を負わせたりしないから」 唯人の声は少し泣いているように聞こえた。 「…」 その唯人の態度から、その傷は花音にとっても唯人にとっても辛い記憶でしかないのだと確信できた。 そして、唯人がどれだけ花音を大事に思っているかがよくわかった。 だからこそ、花音は何も言うことができなかった。 これ以上、唯人が傷のことで哀しむのを見たくなかった。  夜になると、お屋敷の一面畳の大広間に一族の老若男女が集まった。 大広に幾つものテーブルが置かれ、豪華な料理が並べられている。 これから、ここで花音の誕生の祝いの会が行われる。 今までの誕生日のお祝いといっても、屋敷にいる一族のみで行っていたが、今回は花音が20歳になり当主との結婚が認められる祝いの席でもあるため、屋敷の外に住んでいる一族も含め、一族総出での祝いの会となった。 大広間の奥の上座には今回の主役となる花音と、当主である唯人が座っていた。 祝いの会が始まると、まず、一族の者がゾロゾロと花音と唯人の前に現れ、次々と「おめでとう」と現代風であるが、祝いの言葉を言っていく。 一族の者は祝いの言葉が済むと、それぞれの席につき食事を始める。 その間も、花音と唯人は祝いの言葉を言おうと押しかける一族の相手をしていた。 「花音様。お誕生日おめでとう。次は結婚ですね」 「これで一族も安泰だ」 などなど、花音の気持ちも知らずに言いたいことを言っていく。 一族、全てが祝いの言葉を言い終える頃には一時間は経っていた。 「花音。僕たちも食事を始めようか。お腹が空いただろ?」 唯人は穏やかな笑顔で言った。 その笑顔を見ていると、包み込むような温かさを感じてホッとする。 つい、花音もホッとして笑顔が零れてしまう。 唯人は、とても優しい…。 でも、唯人と一緒にいた記憶は2年間しかない。 それ以前の記憶はないが、唯人がどれだけ花音のことを大事にしてきたのかは、これまでの2年間でよくわかっていた。 けれど、唯人が隠し事をしていることが、唯人との距離を作っていた。 「うん。食べよ」 花音は本心を隠すように元気な笑顔を見せると、目の前のご馳走を食べ始めた。  誕生日の祝いの会も終わり夜も更けた頃、花音は眠れずに庭園を散歩していた。 寝る前ということもあり、Tシャツにホットパンツとスニーカーというラフな格好だったが、その庭園には不似合いな格好だった。 そこは、まるで京都の寺社にあるような石や砂利を使った和風の庭園だった。 綺麗に剪定(せんてい)された庭木や垣根が庭を彩り、静ずまりかえった庭にししおどしの音が響いて、日常を感じさせない落ち着いた雰囲気を醸し出していた。 夜でも和の雰囲気の庭園灯が微かに庭を照らし、昼間とは違った癒しの空間となっていた。 ただ、その庭園で唯一、当主以外近づくことを許されない場所があった。 庭園には一か所だけ垣根を張り巡らせた場所がある。 その中には百年以上前に建てられた石の東屋があるという。 花音は見たことがなかったが、今夜は何故か、その東屋のある場所まで来ていた。 すると、誰かの話し声が中から聞こえてきた。 つい、聞き耳を立てる。 「また、人間が殺された…」 「…僕たちの一族は死神の末裔だから…」 「死神が人を襲う…」 一人は聞き覚えのある声。 唯人の声だ。 誰かと話をしているようだ。 え?今…。 唯人達は死神の末裔だって言ってた…? 人間を襲う? ううん。殺したって…? 死神が…? そんなバカな話があるか…と思ったが、つい、更に聞き耳をたててしまう。 「ところで、消した花音の記憶は…?」 「…戻ってません」 「そう…か。血筋を絶やさないためには、そのままがいいだろう…」 「そうですね。でも…もし記憶が戻れば僕とは結婚しないでしょう」 唯人は寂しそうに言った。 …え、それ、どういうこと? 花音は困惑しながら、垣根の間から覗いてみる。 東屋には見たこともない青年が立っていた。 その青年は白銀の長い髪と透けるような白い肌に碧いの瞳、加えて整った容姿は日本人離れしていたが、それよりも、人間だろうか?と疑問を抱かせるような美しさがあった。 細身で鎌倉時代から江戸時代にかけて、武士の礼服である直垂(ひたたれ)を着ている。 神聖さを感じさせるような、近寄りがたくも澄んだ空気をまとっていた。 青年の前に立つ唯人は、寂しそうに俯いていた。 そんな唯人を穏やかな表情で見ていた青年が、唯人の頬に触れようとする。 「唯人は本当に花音のこと大事に想っているね。子供の頃から…」 しかし、触れることはできず、顔をすり抜けてしまう。 すると唯人は意識を失い、倒れてしまう。 「少しおやすみ。辛いことは眠って忘れてしまいなさい」 慈愛に満ちた眼差しで眠った唯人を見下ろしてる。 その優しい雰囲気は、どこか唯人に似ている感じがした。 花音は気づかれないように、そっとその場から離れた。  しばらくして、花音はいつもの林に行くと木の根にもたれて座っていた。 夜空を見上げると、木の枝や葉の間から夜空の星が見えた。 唯人と一緒にいたのは誰だろう? 唯人からは聞いてない。 あれは…人間じゃない。 青年の手が唯人の顔をすり抜けたことを思い出す。 それにしても… 唯人は死神の一族の末裔で、あたしは唯人と結婚するように記憶を消されたの…? あたしは一族の人間のはずなのに、どうして…? そして、死神の末裔…? そんなバカな…。 花音はため息をついた。 そして、ふと唯人が一族特有の仕事で帰ってきた時のことを思い出す。 その度に顔色が悪かった。 もしかして、誰かを殺したから…? 唯人が人を殺したなら、ありえる…。 つじつまが合い過ぎてる…。 でも、あの優しい唯人が…。 まさか…。 いつもの唯人の穏やかな顔が頭の中に浮かぶ。 唯人の性格を考えると、どう考えても繋がらない。 「頭がおかしくなりそう…!」 花音は深くため息をついた。 全ての鍵は自分の記憶にあるのかもしれない…。 でも、とりあえず、ここから逃げよう。 このまま、ここにいたら訳も分からず唯人と結婚することになる。 せめて、記憶が戻って本当のことがわかるまでは…。 花音は立ち上がって、林近くにある塀に向かう。 門には鍵がかけてあって通れないので、塀をよじ登って越えるなら林近くの塀を乗り越えた方が早いと、花音は塀をじ登り、塀から飛び降りた。 100年以上前に造られた古い塀で、高さはなく簡単に越えられた。 花音は街に向かって走り出す。 微かに寂しそうな唯人の顔が頭の隅に浮かんだが、気持ちを振り払う。 記憶を失って、何もわからないことが怖かった。 本当のことを話してくれない唯人も信じていいのかわからなかった。
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