命の傷跡

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命の傷跡

 外から見ると由緒正しい日本家屋のお屋敷に見えていたけど、部屋によっては現代風になっているんだな。 そんなことを考えながら、凛斗は花音の部屋にいた。 普通の家の部屋に比べ広く、十五畳ほどの広さのフローリングの部屋だ。 ベッドや家具の他に、来客にも対応できるようなソファーやテーブルを置いてあったが、それでもまだ余裕があった。 ベランダや出窓もあり、外からの光が入りやすくなっている。 凛斗は楽空と一緒にソファーに座り、出されたコーヒーを飲んでいた。 二人の向かい側のソファーに花音が座っている。 なぜ、三人がここにいるのか…? それは…。 唯人が眷属化した男を人間に戻して倒れた後、当主とその家族を守るという一族の私設精鋭部隊である祓子に拉致されて連れて来られたのだった。 凛斗と楽空だけなら逃げることもできた。 しかし、花音を置いていくことはできなかった。 屋敷に着くと、意識を失った唯人が意識を取り戻すまで来客用の応接室に通されるはずだったが、花音の強い要望でこの部屋で待つことになった。 「花音。ここはどうなってるんだ?屋敷には祓子以外にも多くの人がいる。この部屋に来るまでに屋敷の外の警備や家の中の警備をしている人間を数十人は見たけど?」 「あたしが逃げ出したのもあるけど。家にそれだけ人がいるのが当たり前じゃないの?」 花音は驚いたように凛斗の顔を見た。 「…そうだな。普通の家なら家族だけで家に住んでるかな。富裕層なら召使がいても、これだけの人数はいないかな」 「凛斗の実家もお屋敷だけど、ここまではないよな」 楽空も思い出したように言う。 「そうなの…?ここでは、一族の者が当主とその家族を守るために同じ屋敷に住んでいるの。でも、あたしには二年前からの記憶しかなくて…。これが普通だと思ってた…」 花音は困ったように目を逸らす。 「そうか…。そんな一族もあるんだな。俺も視野が狭いのかもな」 凛斗は穏やかな声で言って笑った。 「記憶がない状態だから、今いる状況が信じられなくなったんだろうな。でも、俺は花音の味方だから、何があってもそれは変わらない。だから、俺を信じてほしい」 花音はその言葉に顔を上げた。 目の前で温かい眼差しの凛斗が微笑んでいた。 その瞳を見ていると本当に大丈夫だと安心してしまう。 「うん。信じる」 花音は笑顔で言った。 笑顔で見つめ合う凛斗と花音を見ていた楽空は立ち上がった。 邪魔者は退散するか…。 「楽空?」 「俺、ベランダから庭見てくる…。ここの庭広そうだし暇つぶしにはなるだろ。もう、一時間も部屋にいるだけなんて…さすがにまいるわ。この状況…」 「ああ。わかった」 「じゃあな。凛斗。花音ちゃん」 二ッと笑って、楽空はベランダに出た。 日本家屋という外装をできるだけ崩さないようにしてるのか、ベランダは木製だった。 現代のベランダというとコンクリートのイメージがあるが、木製の手すりを触ると不思議な感覚に襲われる。 思わず木製の手すりを触って撫でてみる。 「珍しい?」 そう言ったのは同じベランダにいた、祓子の頭というポニーテールの女だった。 頭は隣の部屋の前で、手すりに手をかけて楽空のいる方を見ていた。 忍び装束のままの頭は少し寂しそうな眼差しで微笑んでいた。 「なんだ?このベランダって、他の部屋のベランダと続いてるのか?」 楽空は頭に声をかけられて初めて、他の部屋との間にに仕切りがないことに気づく。 木製の手すりが珍しく、周りを見ていなかったのだった。 「そうよ。緊急事態に備えての逃げ道にするためにね」 「まるで、忍者屋敷だな」 「忍者屋敷…。ふふっ、面白いこと言うわね」 「そこにいるってことは、隣があんたの部屋か?」 「いいえ。ここは当主である唯人様の部屋よ」 「そうなのか…?で、当主様は目を覚ましそうか?」 「神祓いをした後だからね。そう簡単に目を覚まさない。あれは体への負担が大きいから」 哀しそうな眼差しを隠すように頭は目を伏せる。 聞きたいことはたくさんある。 しかし、今は当主のことには触れないほうがよさそうだ。 そう判断して、楽空は話を変えることにした。 「ところで、あんた、祓子の頭だろ?でも、二年前は違ったよな?」 「そうよ。二年前に頭になったのよ。よく、わかったわね」 皇家の護衛のために、よく祓子の頭が出入りしてたのを見たことがあるから前の頭を覚えてたんだ」 「そうよ。よく覚えてたわね。ここ二年間は皇家を出た、あなた達とは会う機会がなかったから、知らなくてもおかしくないのに…。流石は御曹司のボディーガードね」 「俺、楽空っていうんだ。あんたは?」 「どうして、私の名前を聞くの?」 「そりゃ、似てるからさ」 「似てる…?何が?」 頭は楽空に興味を持ったのか真っすぐに楽空を見た。 「あんたは当主を守ってる。俺も凛斗を守ってる…。守る人間がいるのは同じだろ?」 「そうね…」 頭は再び、夜空を見上げた。 「私は(あずさ)よ」 ニッコリ笑って梓は言った。 その瞬間、隣の部屋から忍び装束の男が出てきた。 「梓様。唯人様の意識が戻りました!」 「唯人様が!?」 梓は隣の部屋に入ろうとして、楽空を振りかえった。 「ん?どした?」 「唯人様の体調次第では花音様やおまえ達を部屋に呼ぶから。それまでは大人しくしてて」 「了解」 楽空はニッと笑って言った。 梓はクスリと笑い、祓子の男と唯人の部屋に入って行った。  凛斗達に唯人からお呼びがかかったのは、楽空が梓と別れてから1時間後だった。 祓子の男の後について歩き、隣の唯人の部屋に入っていく。 部屋に入ると、そこは花音の部屋と同じぐらいの広さで、ベッドに唯人が横になり、その傍に梓が立っていた。 そして、部屋にあるソファーには質のいい上品なスーツを着た白髪の老人が座っていた。 その傍には秘書らしき中年の細身の眼鏡をかけた男が立っていた。 凛斗と楽空はその二人に見覚えがあった。 「え…!?お祖父(じい)様!戸潟(とがた)さん!」 それは凛斗の祖父と、その秘書をしている戸潟だった。 「宗寿(そうじゅ)様!戸潟!」 「楽空…。おまえは、また私を呼び捨てに…」 戸潟は眼鏡の奥から細い目で楽空を睨んだ。 「おお。二人とも無事だったようだな」 何とも言えない満面の笑みで宗寿は言った。 「あの…どうして、お祖父様がここに…?」 「そう言えば、まだ、話しておらんだったな」 宗寿は考えこむような仕草をする。 「宗寿様。私から話しましょうか?」 「戸潟。そうだな。おまえに任せる」 「かしこまりました」 そう言うと、戸潟は凛斗と楽空の方を見る。 「凛斗様。ここ神代家と皇家は数百年も前から繋がりのある家です。凛斗様には訳あって、まだ伏せていましたが…」 「繋がりって…?」 「…この先、お話する内容は、すぐには受け入れられないでしょう。それでも、いい機会です。お話ししましょう」 そして、戸潟は話しだした。  それは数百年前のことだった。 地上に一人の死神が降りてきた。 名をThanatos(タナトス)といい、黒いローブと大鎌を持ち黒い翼を持つが、金の髪と白い肌と青い目という天使のような青年の姿をしていた。 それ故、死人の魂を運ぶ死神でありながら人間からも好かれていた。 同じ頃、地上に降りた死神がもう一人いた。 名をKer(ケール)といい、Thanatosの妹なのだが、Thanatosと違い、黒い翼と尖った鋭い爪を持ち、血のような真っ赤なローブをまとった人間とはかけ離れた化け物の姿をしていた。 白い仮面のような顔の真っ赤な唇からは鋭い牙が生えていて、死人の魂を運ぶだけでなく、死人の血を吸うのだ。 それもただの死人ではなく、心の闇を持つ者によって殺された人間の血でなければ吸うことができない。 Kerは血を吸うために心に闇を持つ人間を眷属化し操り、人間を殺させた。 殺された人間の血を吸うために…。 そんなKerを止めようとThanatosは眷属化した人間を神祓いという手段によって元に戻していった。 そうすることで人間が殺されるのを防いでいたのだ。 神であっても神を殺すことはできない。 その神としての(ことわり)から外れなければ、永久に死ぬことはない。 しかし、Thanatosに死が訪れ、地上にいることができなくなった。 人間との間に子供を作ることで、神としての理から外れてしまったからだ。 最初に人間との間にできた子、暁月(あかつき)が一番強くThanatosの力を引き継ぎ神祓いを行った。 それが神代家の初代当主、神代暁月だった。 その力は暁月が死んでも、代々当主に引き継がれていった。 そして、現代に至るまでの過程で、皇家の当主が眷属化した人間に殺されかけたのを神代家の当主が救ったことから、財政面及び社会的な面での援助を行ってきた。 やがて、両家はKerの脅威となり、現代に至っては両家の当主及びその家族の命が狙われることが珍しくなくなった。 それ故、両家はお互いに協力し助け合ってきたのだった。    「君達が今日見た化け物と化した人間が眷属化した人間だ」 そう言ったのはベッドにいる唯人だった。 「あれが…?父さんと同じだ」 「五年前の事件だね。あの時はKerに不意を突かれて…助けられなくて申し訳ないと思っている。Kerから守るのは神代家の役目なのに…」 唯人は深々と頭を下げた。 「それと、もう一人化け物がいた。きっと、あれは人間じゃない…」 「それがKerだ。今日は姿を見せなかったが、明らかに花音の命を狙っていた」 「なぜ、花音が狙われるんだ?」 「神代の一族だからだ。守る一族が周りにいないのをいいことに狙ってきたんだろうね。Kerは本気で神代の血を根絶やしにしようとしている…」 言いながら、唯人は具合が悪そうに胸を押える。 「唯人様!」 梓が唯人を支える。 「大丈夫か?」 「ああ…少し休めば」 苦しそうに胸を押えているが、凛斗を安心させようと穏やかな笑顔を作る。 唯人は梓に支えられながら、ゆっくりと横になる。 「でも、これで意味がわかってきた。神代家と協力関係にあるから、花音のために今日休むと言ったら簡単に休めたのか…」 「その通りです。花音様が行方不明になったことは神代家より、昨夜の段階で連絡をいただいていました」 「凛斗。おまえは花音さんをよく守ったな」 宗寿は満足そうに笑った。 「凛斗くん。僕からも礼を言うよ。花音を守ってくれて、ありがとう」 唯人は穏やかな表情で言ったが、顔色は悪いままだった。 そうだった…。 こいつは花音の許婚だったな…。 「…別に俺は当然のことをしただけで」 言いながら、凛斗は唯人から目を逸らした。 花音の許婚、そう思うと…つい目を逸らしていた。 妹のように思っている花音を取られそうで嫌なのか…? よくわからない複雑な感情が渦巻いていた。 「そう。でも、助かったよ。僕はこの通り体が弱くて…。そこで一つ君に頼みがある」 「頼み…?」 「もし、君さえよければ花音を今日のように、これからも守ってくれないか?」 「…でも、俺には仕事があるし。いつも…というわけには」 「それなら、心配いらん。当分の間、仕事は戸潟に片づけさせる。おまえは楽空と花音さんの警護をしなさい」 「え?俺も!?」 楽空は困惑気味に宗寿と凛斗の顔を交互に見た。 「それに、花音さんは記憶を失くして不安定なようで、一族の人間をあまり信じていない様子。屋敷から逃げ出したのも、そのせいだろ。だが、おまえは信用されてるようだし、おまえがいれば花音さんも安心して今日のように逃げ出すこともないだろう」 話を聞きながら、凛斗は視線を花音に移すと、花音が不安にかられた表情を浮かべていた。 そう。お祖父様の云う通り、花音はこの家の人間を誰も信じていない。 きっと、このまま一人にしたら…。 美琴のように…。 「…わかりました。花音の警護をします」 凛斗が答えると、花音の顔はパッと明るくなった。 「それでは神代家の当主殿。これで、よろしいかな?」 「はい。宗寿さん。助かりました」 唯人は頭を下げた。 「では、帰るか。凛斗は今日は帰って荷物をまとめ、明日、こちらの神代家に来なさい」 そう言って、宗寿はソファーから立ち上がった。 「すいません。宗寿さん。凛斗くんだけ残してもらえませんか?ここにいてもらうにあたって、大事な話があるので」 「わかりました。凛斗。おまえは残れ。話が終わったら一緒に帰るぞ。外で待っているからな」 「はい」 宗寿は楽空と戸潟を連れて部屋を出る。 「それと他の神代家の者も出て行ってくれないか。凛斗くんと二人で話をしたい」 「はい。それでは失礼します」 梓がそう答えると、花音と祓子達を引き連れて出て行く。 梓に連れられて行く花音が不安そうに凛斗を見ていた。 花音…。後で顔を見て帰るか…。 そんなことを思いながら、凛斗は唯人の近くまで歩いていく。 「横になったままで悪いね」 「気にするな。話があるなら、早く済ませよう」 「花音が心配なんだね。早く花音を安心させてやりたい。そうだろ?」 唯人は穏やかな表情で言った。 「…ああ」 凛斗の心を読んだような唯人の口調が何となく面白くなくて無愛想に答える。 「そうか…。君なら花音を任せられる」 「護衛なら大丈夫だ。ボディーガードの楽空もいるし」 「そうじゃない…」 「え?じゃ、どういう意味だ?」 「僕はもう長くは生きられない。君から見ても、そう見えるだろう?」 唯人は寂しそうに笑った。 「…」 「だから、花音が君と出会えて良かったよ。ずっと、心配だったんだ。僕がいなくなってから、花音がどうなるのか…」 「何が言いたいんだ?」 「僕が死んだ後も花音を支えてほしい」 「…死ぬって。おまえ…」 「僕は本当の当主じゃない。当主の代理だ。当主でない者が神祓いを行うには暁月の霊体が体に憑依するしかない。しかし、それは健康な体を蝕んでいくことに他ならない。それほど暁月の霊体の持つ神の力は強力なんだ。そして、その力に耐えきれず、やがてくるのは死のみ」 「暁月って初代当主だろ?そいつがおまえの体に憑依するっていうのか…?それにおまえが当主じゃないなら、本当の当主はどこにいるんだ?」 「暁月は霊体となっても地上に残っている。神の血を濃く受け継いでいるからこそできることだ。当主の命を守るためにも当主に関しては今は言えない。当主の命が危険にさらされる理由はKer以外にもあってね。これ以上は詮索しないでもらえると助かるよ。こんな話、信じられないかもしれないけど、信じてほしい。頼む」 凛斗は頭を下げた。 「なんで…、そうまでする必要がある?おまえは当主でもないのに…。死ぬかもしれないんだろ?」 「花音を守りたいからだよ」 そう言った唯人は幸せそうに見えた。 「誰かが眷属を人間に戻さなければ、暁月の末裔である花音の命だって狙われる」 「そうなるな…」 わからなくもなかった。 かつて美琴を眷属化した父親から守った時、自分の命より美琴のことが大切だと気づいた。 こいつにとって花音は同じように大切な存在なんだ。 「わかったよ。でも、言われなくも守るつもりだった」 「そうか。ありがとう。君なら、そう言ってくれると思ったよ」 唯人は嬉しそうに笑った。 「ただ、このことは花音には言わないでほしい。彼女の手首の傷跡を見たよね?あれは二年前、花音の両親がKerに殺された後、自殺を図った時のものだ。花音を死なせないために暁月に記憶を消してもらってある。だから、花音は両親は事故で死んだと思っている。つまり、彼女の心はそれほどに脆いんだよ」 凛斗は、あの傷跡の意味を知っている。 かつて、妹の美琴が死ぬために傷をつけた場所だ。 「だから、本当のことを知れば花音は自ら命を絶ってしまうかもしれない」 唯人は哀しみに満ちた眼差しで言った。 花音が自殺を図った時のことを思い出しているのだろう。 「わかったよ。花音には言わないし。花音は必ず守るよ。俺も…大事な妹が自殺して死んだんだ。だから、おまえの気持ちはわかる。安心してくれ」 笑うことはできなかったが、凛斗は穏やかな口調で言った。 「君の妹さんの話なら知ってるよ…。大変だったね。君も。Kerに襲われて唯一生き残った家族なのに…」 そう言った唯人の、労わるような優しい眼差しが心にしみて痛かった。 美琴の死を思い出すと、どれだけ美琴が大切だったかを思い知らされる。 もう、二度とあんな想いはしたくないと…。 「だからこそ、君になら花音を任せられると思っている。痛みのわかる君なら…。頼んだよ。凛斗くん」 唯人は目に涙を溜めて、微笑んだ。 その表情を見れば唯人がどれだけ花音を大切に想っているかわかった。 大切な人に生きていてほしい。 その想いが届かず、大事な妹を失くしてしまった凛斗だからこそ。 だから、今度こそ必ず守りたい…と。 花音を失わないように。
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