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住み込み初日のことを思い出しながら、凛斗は眠っている花音を見た。
唯人が神祓いで体を弱らせていると聞いた時の顔を思い出す。
見ている人間が胸を締めつけられるような、哀しみと苦しみに満ちた顔をしていた。
今にも泣きだしそうな辛い気持ちを抑えているように見えた。
よく考えれば唯人は花音の許婚だ。
許婚が自分を犠牲にして、神祓いをしていると知れば当然なのかもしれない。
凛斗はそんな花音を見ているのが辛かった。
考えるな…!
花音を守ることだけ考えるんだ。
こんなことじゃ、眷属にされてしまう…。
引きずるような重い気持ちを振り払うように頭を振ると、再び眠っている花音の顔を見た。
その花音の寝顔は安心しきった表情そのものだった。
ここは花音の大切な思い出の場所…だったよな。
辛いことばかりじゃなかったんだな。
「どうした?凛斗?」
黙ったまま眠っている花音を見ている凛斗が何を考えているのか知りたくて、楽空は口を開いた。
「人づてに花音の過去の話を聞いただけじゃ本当の花音の心の中まではわからない。どれほど辛かったのかも…。特に今の花音は記憶がない」
「それ、知る必要ある?リストカットするほど、辛い記憶なら無くていいだろう?見て見ろよ。花音ちゃん幸せそうな顔して寝てるだろ。俺はこのままでいいと思うけど」
楽空はニッコリ笑って言った。
「…そうだな。おまえの言う通りだ」
凛斗も笑顔で眠る花音を見ていた。
「凛斗!楽空!」
二人の名前を呼びながら、梓が走って来るのが見えた。
「どうした?梓」
「眷属が現れた!私たちは神祓いに行く。だから、この屋敷で花音様を守ってほしい」
「でも、唯人のあの体じゃ…」
「わかってる。でも、他に方法はないのよ」
梓は哀しそうに言った。
「あたしも行く」
いつの間にか、目を覚ましていた花音が言った。
「花音!」
凛斗は花音を驚いたように振り返る。
「花音様がいらしても唯人様の助けにはなりません。ですから…」
「ううん。少しなら助けになれると思う。記憶にないけど、あたし体術が使えるから眷属を足止めするくらいはできると思う」
「ですが、花音様に何かあれば…」
「花音。どうしても行きたいのか?」
凛斗は花音に穏やかな声で言った。
「うん。唯人が自分を犠牲にして神祓いをするのに、じっとなんてしてられない。自分にできることをしたいの」
花音は凛斗を真っすぐに見て言った。
「わかった。花音がそういうなら行こう。何かあったら、俺と楽空で花音を守るから。楽空もいいだろ?」
「当然!」
「じゃ、そういうことで。俺達も一緒に行きます」
「…わかりました。でも、一度唯人様に承諾をいただいてからになりますが、いいですか?」
梓は、しかたないといった顔でため息をついた。
「はい」
凛斗は笑顔で言った。
その後、唯人の承諾が取れ、凛斗達は唯人達と一緒に眷属の神祓いに同行することになった。
陽が傾く頃に凛斗たちの乗ったワゴン車は、とある総合病院の前で止まった。
ワゴン車には凛斗と花音、楽空、唯人、梓の他に、十代後半から二十代ぐらいの歳の祓子が4人乗っていた。
外から見る限り、その総合病院に変わったところはなさそうだった。
「唯人。中の様子はわかるのか?」
「わからない。眷属を感知したのは暁月だけど。状況までは…。ただ、病院に着くまでに眷属に殺された死体を見なかった」
「つまり、眷属は病院から出てない…ということか?」
「そうだ。理由はわからないが、病院から出られないのか、出たくないのか…」
「それは眷属には意志があるってことか?」
「通常なら、ただの化け物だ。強い思念があれば違うだろうけど、それは稀なことだ」
「強い思念…。何かへの執着とかか…」
「かもしれない。だとしても、病院に誰も入らなければ殺されることはないということになる。何の関係もない人間を守りながら戦う必要がないだけ、今回は楽かもしれない」
「そうか。じゃあ、お祖父様に病院に立ち入らないように警備をしくように連絡しておく」
「そうしてもらえると、助かるよ」
唯人は笑顔で言うと、梓を見た。
「唯人様。いつものように祓子の後についてきてください。祓子が唯人様を守ります」
「いつも、すまない。みんな」
唯人は慈愛に満ちた眼差しを祓子達に向けた。
「そんな気遣いは無用です。祓子とは当主の盾となり守ることが使命ですから」
そう言うと、梓は他の祓子達に合図してワゴン車から降りた。
「待って。あたしも…!」
ワゴン車から飛び出そうとして、唯人に腕を掴まれる。
「唯人!」
「花音は凛斗たちと僕の後ろからおいで。今回はどうするのかを見てるといいよ。最初から眷属と戦うなんて無謀だよ」
唯人は穏やかに言うと、凛斗を見た。
「わかってる」
そう言うと凛斗は花音の腕を掴んだ。
「凛斗?」
「当主の言うことだ。ちゃんと聞こうな」
「でも…」
心配な気持ちで押しつぶされそうな顔で、花音は唯人を見ていた。
そんな花音を凛斗は複雑な心境で見ていた。
「頼んだよ」
唯人は凛斗に言うと、花音とは目を合わせずワゴン車から降りた。
鉄杖を構えた梓と祓子達が進む後ろを唯人は歩いていく。
「凛斗。行こう。唯人の後ろからついていくのならいいんでしょ?」
「ああ。いいよ。でも、俺と楽空から離れるな」
「うん」
「じゃあ、行くぞ。楽空」
「了解!」
楽空は元気よく言うとワゴン車から降りた。
凛斗、花音、楽空も祓子同様に鉄杖を持ってついて行くのだが、ワゴン車から降りてすぐに凛斗は楽空に花音を任せ、持っていたスマホで宗寿に電話した。
それが終わると、唯人の後ろにいる楽空と花音に合流する。
祓子の先頭を行くのは頭である梓であり、先頭を行き状況把握も大事な頭の役割だった。
そして、正面玄関にたどり着くと、ガラス張りの自動ドアごしに待合室の状況を見る。
待合室に数名の人間が倒れているのが見えた。
倒れている人の体には鋭利なもので引き裂かれた傷があった。
それは眷属化した人間の爪に引き裂かれた傷に間違いなかった。
「唯人様。病院の中に眷属の犠牲者がいます。姿は見えませんが…」
「そうか。みんな気を引き締めて中に入るんだ。そして、誰も死ぬことがないように…」
「はい!」
梓と他の祓子達が一斉に返事をした。
「では、中に入ります!」
梓は自動ドアのセンサーのある場所に一歩足を踏み入れた。
自動ドアが開き、待合室の中を警戒するように見回しながら、ゆっくりと歩いてく。
どこにも眷属の姿は見当たらない。
そんな緊張感の中、ゆっくりと進んでいく。
凛斗たちも後ろからついて行く。
総合病院だけあってか、ホール並みの広さの待合室には、看護士や受付の事務をしているであろう女や男の死体が数名転がっていた。
全ての死体は出口である自動ドアに向かって逃げているところを、背中から爪で引き裂かれ出血多量で絶命したようだった。
しかし、待合室を見回しても眷属の姿は見当たらなかった。
椅子や柱の陰に隠れながら、梓と祓子達は進んでいく。
そして、待合室の中ほどまで来たところで止まった。
「どうした?梓」
祓子達の後ろにいる唯人が言った。
「ここには眷属はいないのでしょうか?通常なら、眷属は人間を見つけると襲って来るはずです。でも、ここまで来て眷属が襲って来る気配がありません」
「…だとしても、気を抜くな。これだけの死体があるのにKerの姿がないのもおかしい」
「はい」
梓は再び進み始める。
倒れている死体の数が多い方へと。
きっと、その先に眷属とKerがいるはずだからだ。
結局、待合室では眷属もKerも現れなかった。
待合室を抜けると、一番死体の多い通路に入って行く。
「うっ…」
青ざめた顔の花音がうずくまった。
「花音!」
凛斗は花音の背中を摩る。
何となく、花音の表情が曇っていくのに気がついていたが、それでも唯人について行こうとする花音を止めることができなかった。
花音が唯人を許婚として大切に想っているなら、それを止める権利は自分にはないと思っていた。
もし、自分が同じ立場なら、止めてもついていくだろ…と。
「多くの死体を目にして、具合が悪くなったんだね。花音」
振り返った唯人は穏やかな表情で言った。
「こういった状況に慣れていなければ当然のことだ。凛斗。君たちは、ここで花音を守って待っていてくれ」
「わかった」
「いや…。あたしも行く…」
無理に立ち上がろうとして、体が震えだす。
「花音。無理だ。ここにいよう」
「そうだよ。花音ちゃん。自分じゃわからないだろうけど、顔、真っ青になってるんだぞ」
「花音。これは当主としての命令だ。神代家の人間なら当主の命令は絶対なのはわかるよね。ここで待ってなさい」
「でも…」
「俺なら心配ないよ。梓も祓子もいるからね。今までだって、神祓いに行っても必ず帰ってきただろう?」
「う…ん」
「だから、ここで待っていてくれないか?僕が無事に戻ってくるのを」
唯人は子供をあやすように優しい口調で言った。
「わかった…。必ず戻ってきてね」
「ああ。必ず」
唯人は笑顔で言うと、梓を見た。
「梓。行ってくれ」
「はい。唯人様」
唯人達は凛斗達を置いて、通路の先に進んでいく。
それを見届けると、凛斗は花音を抱きかかえた。
「凛斗…」
「少し横になったほうがいい。楽空。死体から遠いソファーを探してくれ」
「わかった」
凛斗と楽空は待合室の中で死体がある場所から一番遠い、壁際に置かれたソファーに花音を下す。
「ここで少し横になって休んだほうがいい」
「う…ん」
青ざめた顔の花音は力なく、横になった。
ソファーの隣には観葉植物の鉢があり、こんな殺伐とした場所ではあるが何となく癒されるような感覚があった。
楽空はソファー近くにあった椅子をソファーの前に持ってきて、凛斗に座るように促す。
そして、楽空は少し離れた場所にある椅子に座り、辺りを警戒する。
「あたし…本当に何もできない。こんな時なのに、何の役にも立たない」
「普通の人間なら、そうだよ」
「…そうよね」
「だから、今はゆっくり休んでいいんだ。普通の人間なら、それでいいんだよ」
「う…ん」
花音は涙ぐみながら、瞼を閉じた。
その花音の頭を撫でようと手を伸ばして、凛斗は手を止めた。
今の花音は唯人を想っている。
そう思うと、花音に触れることができなかった。
妹のように思っているはずなのに…。
凛斗はため息をついた。
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