命の傷跡

4/4
前へ
/17ページ
次へ
 ピリピリとした緊張感の中、死体を目印にして通路を進んでいく唯人達。 きっと、この先に眷属がいるはずだ。 病院の北側まで進むと、とある部屋の扉が開いていた。 扉には〝霊安室〟と書かれている。 その部屋から死体に続く血の跡が続いていた。 「唯人様。あの霊安室に眷属がいるようです」 「そのようだ…」 「唯人様は、ここで暁月様の憑依を行って神祓いの準備を行って下さい。私たちは中に入って眷属を動けなくします」 「わかった。無理はするなよ」 「はい。唯人様もご無事で」 梓は、そう答えると祓子達を連れて霊安室に入って行く。 梓が霊安室に入ると、眷属化した祐が霊安室中央にある遺体に寄り添っていた。 「…何だ?」 祐は梓に気づくと、常人とは思えない素早い身のこなしで襲い掛かって来る。 「みんな!気を抜くな!」 梓は叫びながら、鉄杖で祐を叩きのめそうとする。 しかし、祐は一瞬で視界から消える。 「何!」 「梓様!」 祓子の一人が梓の後ろに回った祐を鉄杖で叩きのめそうとする。 しかし、祐の姿は消える。 実際は、あまりの動きの速さに梓と祓子の目がついていけず、消えたように見えていた。 「逃げられたか!」 梓は祐の姿を探した。 このままでは唯人様が神祓いをできない。 祐は遺体の前に盾になるように立っていた。 「…おまえ、それを守っているのか?」 祐は激しくけん制するように、唸りながら梓達を睨みつけていた。 眷属と化していても、目の前の祐が人間である事実を突きつけられるようだった。 祐は化け物となって、理性を失っても大切な人間だけは覚えているようだった。 大切な人間を守ろとする意志は間違いなく人間のものだった。 どれほど、今守っている人間が大切なのだろう? だからと言って、このままにしておくわけにはいかない。 放っておけば眷属は人間を殺してく。 神祓いが始まるまでは、眷属化した祐を抑え込むしかなかった。 「みんな。行くよ!」 梓の言葉に祓子が一斉に祐に鉄杖を叩きつける。 しかし、それよりも早く祐は遺体を抱きかかえ霊安室を出て行く。 その先には暁月の憑依を行っている唯人がいるはずだ。 「しまった!唯人様!」 梓は祐の後を追って、霊安室から出る。 廊下に出ると、遺体を抱えた祐の前に碧眼に白銀の長髪の唯人が立っていた。 両手の中には水の塊を作っていた。 「みんな!唯人様をお守りしろ!」 一斉に梓と祓子が祐に向かって行く。 唯人は祐が梓と祓子に気を取られている隙に、水の塊を祐に向けて放った。 しかし、祐は、またもや消えるようにいなくなった。 「唯人様を守れ!」 梓や祓子が唯人の元へ駆けつけると、神祓いの術で体力を消耗し意識を失った唯人が倒れていた。 そして、遺体を抱えた祐が待合室に向かって走っていくのが見えた。 「まずい!あっちには花音様が!」 「二人、ここに残って唯人様を守れ。後は私と花音様のところへ!」 梓は祓子達を引き連れ、待合室に向かう。 待合室に着くと、凛斗と楽空が祐と戦っていた。 凛斗と楽空は力は祓子に比べ劣るが、その分動きが速かった。 何とか、祐の動きについていってた。 祐が遺体を抱えたままでなければ、凛斗達でもついていけなかっただろう。 「…すごい!」 梓は一瞬、茫然と祐と戦う凛斗達を見ていた。 しかし、すぐに我に返り、花音を探す。 花音は壁際のソファーに座って、祐と凛斗達の戦いを見ていた。 「花音様!ご無事でなによりです」 梓と祓子は花音の目の前に膝まづいた。 「…唯人は?」 「神祓いで消耗して倒れられました」 「…とういうことは、眷属を人間に戻すことはできないってことよね」 「…はい。唯人様の体が回復するまでは…」 花音は鉄杖を持って立ち上がった。 「花音様。まさか…」 「あたしも戦う。唯人の体が回復するまで、凛斗と楽空の体力が持つとは思えない」 「しかし、それは花音様も同じです」 「それでも、二人を見殺しにするなんできない」 花音は鉄杖を持ち、祐に向かって行く。 「みんな!花音様を命に代えても守れ!」 梓と祓子は花音に続いて、眷属化した祐に向かって行く。 しかし、梓と祓子は祐の動きについていけるはずもなく。 凛斗と楽空が祐から梓と祓子を守っていた。 ただ、花音だけが祐と対等に渡り合っている。 むしろ、花音が祐の先回りをしているように見えた。 その姿はいつもの弱く繊細な花音とは思えなかった。 強い意志で、目の前の眷属化した祐に向き合っている。 「花音…」 凛斗は、その花音に見とれているように見えた。 この感じ…、前にもこんな花音を見た気がする。 そんなはずがないのに…。 なんだろう?この感覚…? 「くそっ!きりがない」 花音の援護をしていた楽空が息を切らしながら言った。 「大丈夫か?楽空」 同じように援護していた、凛斗も息を切らしながら言った。 「…このままじゃ、俺達、眷属に殺される。花音ちゃんだって、体力に限界がある」 「神の眷属と化した人間の体力は無限ってことか…」 次第に花音の動きが鈍くなっていく。 花音は息を切らし始める。 「花音。大丈夫か?」 「う…ん…」 息を切らしながら、凛斗の言葉に答えた花音は一瞬気を緩ませた。 その瞬間を祐は見逃さなかった。 長い爪を花音に向かって振り下ろした。 その瞬間、凛斗は花音を庇うように抱きかかえて爪を避ける。 しかし、体力を消耗している凛斗は完全に避けきることができず、背中側の服を引き裂かれる。 「凛斗!」 楽空がその爪を鉄杖で折る。 一瞬、ひるんだ祐は凛斗達から距離を置く。 「凛斗?大丈夫?」 「大丈夫。かすっただけだよ」 凛斗は花音を下すと、祐に向き直った。 その時、花音に背中を向ける。 引き裂かれ破けた服の下の背中には、確かに凛斗の言うようにかすり傷があったが…。 それとは違う別の眷属の爪によって出来たらしい深い傷跡があった。 「…この傷」 花音の中で心臓の脈打つ音が大きくなり、次第に体中に広がっていく。 花音の頭の中に眷属の爪で深い傷を負って、血を流して倒れている凛斗の姿が浮かぶ。 嫌…。 凛斗が死ぬ。 「嫌よ!」 失った記憶に囚われた花音は虚ろな目で言いながら、両手の中に水の塊を作り出していた。 「花音…?」 「花音ちゃん…」 「花音様…!」 「嫌よ!死なせない!」 花音は、そう叫ぶと両手の中の水の塊を持ったまま祐に向かって行く。 「楽空!花音の援護だ!」 「おうよ!」 凛斗と楽空が援護する中、花音は祐に水の塊を投げつける。 水の塊は祐を覆った。 そして、祐を覆った水の中に、黒い光が祐の体から滲み出ていく。 「里乃…」 哀しそうな声で祐は言った。 祐の中で人間だった時の記憶が蘇る。 「祐。大丈夫よ」 里乃は、そう言って祐の手を包みこむように握った。 その温かい手に祐は安心感を感じた。 この手の持ち主は心から自分を心配してくれてるのだと…。 できることなら、ずっと、その手を離したくなかった。 しかし、彼女のその温かった手は今は冷たい。 「里乃は灰にさせない…」 そう言った祐の声は弱々しく泣いているかのようだった。 「ずっと、一緒にいるんだ」 頬に涙が零れているのが見えた。 祐は人間の姿に戻り、黒い光を含んだ水の塊は天に向かって蒸発していった。 そして、意識を失い遺体を抱きかかえたまま倒れた。 それは意識を失っても、大切な人だけは守ろうとしているように見えた。 「花音…!」 凛斗は花音に駆け寄る。 体の力が一気に抜け落ち、意識が朦朧としている花音は瞼を閉じると意識を失い、その場に崩れるように倒れた。 凛斗は倒れる花音を抱きとめる。 「花音…」 「今の神祓いだよな?」 凛斗は言いながら、梓を見た。 「間違いなく…。もしかしたら、記憶が…」 「花音ちゃんの…?」 梓の言葉に楽空も梓を見る。 「隠していましたが、花音様は神代家の真の当主ですから、神祓いができるのは当然のことです」 「花音が…」 凛斗は抱きとめた花音の顔を見た。 その顔は、とても懐かしく、とても愛しいような…。 見ていると引き込まれるような感覚になる。 そう。誰よりも大切だった。 そんな気持ちが蘇ってくるような。 「凛斗?どうした…?ぼんやりして」 「…俺、ずっと前から花音を知ってる」 凛斗は花音を見つめたまま言った。 「え…」 楽空と梓は互いに顔を見合わせた。    それはとある豪雨の夜の日だった。 病院の入院患者のいる病棟に雨と血にまみれた二十代前半の男が非常口から入ってきた。 その非常口側には物置や昼間使う談話室があり、少し歩くと入院患者の病室が廊下の両端にある。 男は身を隠そうと灯りのついていない談話室に入った。 二十畳ほどの広さの談話室にはテレビや視聴用の椅子やくつろげるソファー、来客用のテーブルと椅子などがあった。 談話室にある窓の一つに豪雨が打ちつけられているのが見えた。 雨と風が窓に当たる音が暗い談話室に渦巻いて、不安をそそられる。 しかし、男はその状況に不信感を感じて辺りを見回す。 窓には、それぞれカーテンがあり閉められている。 それにも関わらず、その窓だけがカーテンが開いたままになっている。 男が窓に近づいて行くと、窓の前に置いてあったソファーからむくっと誰かが起き上がった。 それはパジャマを着た二十代前後の女で、胸まで伸びたサラサラの綺麗な髪が印象的な女だった。 男は女の顔を見ると、動くことができなくなった。 女は涙を流していたのだ。 涙は生まれて今まで見たことがないわけじゃない。 しかし、男が今まで見た涙とは違っていた。 「大丈夫?血が…」 女は涙を拭きながら、立ち上がる。 「ねえ、ケガしたの?」 心配そうに男の顔を覗き込んでいる。 それは男が初めて見る自分自身に向けられた、優しい眼差しだった。 子供の頃なら、その眼差しを見たことがあったのかもしれない。 しかし、男の記憶にそんなものはなかった。 それが祐と里乃の出会いだった。  それから次第に二人は仲良くなり、病院でよく会うようになった。 「風が気持ちいいね」 病院の庭の木陰にあるベンチに座っていた里乃は嬉しそうに言った。 春になり暖かくなってきて、体の弱い里乃への体の負担も少くなっていた。 祐はベンチの前に立っていた。 「ああ。本当だ」 祐は穏やかに笑った。 祐と里乃が出会った日、里乃は体についている血の理由を聞かなかった。 ただ、また会いに来てね! それだけ言うのだった。 最初は関わる気はなかった。 しかし、気になって里乃ことを調べると重度の心臓病患者で心臓移植が必要だったが、ドナーが見つからず入院していることがわかった。 このまま、ドナーが見つからなければ里乃は後数カ月で死ぬことになる。 そんな里乃の言葉を無視することができず、気がつくと祐は里乃の傍にいた。 俺らしくない…。 祐は自分を鼻で笑った。 裏の世界では名の知れた殺し屋Yearner(ヤーナー)。 それが祐の正体だった。 今まで何人もの命を奪ってきたが、何とも思わなかった。 それなのに…後数カ月で死ぬだろう、里乃の傍からはなれることができずにいる。 でも、里乃が俺の正体を知ったら…。 あの血の意味を知ったら…。 それを考えると、本当のことは言えなかった。 里乃は気づいているんだろうか? あの血の意味に…。 「祐?どうしたの?」 考え込んでいる内に祐は表情を曇らせていたことに気づいた。 里乃はいつも、祐の表情に敏感だった。 その度に里乃は心配そうに祐の顔を覗き込む。 「出かけるにはもってこいの天気だな…って。里乃と一緒に出かけられたらと思ったんだけど。しょうがないよな」 祐は咄嗟に思いついた言葉を言って、ニッコリ笑った。 特別な意味なんて、なかった。 ただ、心の中にある不安を知られたら、正体まで知られてしまいそうで怖かった。 「出かけたいの?」 「いいや。こうして、里乃と一緒にいるだけで十分」 祐は満面の笑みで言った。 しかし、里乃は何か考え込んでいるようで返事は返ってこなかった。 その理由は数日後、わかることになる。  明日は朝9時に来てね。 里乃に、そう言われて祐は病院へ朝9時に行った。 いつものように里乃の病室に入ると、いつのもパジャマ姿ではない里乃がいた。 桜色のワンピースに白いカーディガンを羽織り、つばが広くて柔らかくたわむようなフロッピーハットをかぶっていた。 靴は長く履いていても疲れない底の厚みのないサンダルを履いていた。 そして、笑顔で祐を見ている。 可愛い…。 里乃に見とれて、一瞬、頭がボーっとする。 俺、何やってんだ…。 祐は目を逸らす。 「…あ。里乃…。その…」 明らかに動揺して、言葉が出てこない。 「びっくりした?」 「…うん」 「今日はサプライズで祐と外出しようと思って用意したの」 里乃は無邪気に笑った。 「でも、外出は許してもらえないんじゃ…」 「先生を説得したの」 「説得…?」 「うん。だから、大丈夫!半日だけだけどね」 里乃は嬉しそうに笑った。 それから、祐は里乃と一緒に出掛けた。 行先は病院の近くにある公園だった。 その公園は広い湖のある公園で、湖でボートに乗れるようになっていた。 「早く!早く!」 里乃は大はしゃぎで祐を連れ、ボートに引っ張って行く。 そして、ボートに乗ろうとして、祐に手を掴まれる。 「祐?」 「待って」 そう言うと、祐は先にボートに乗り、里乃の手を握った。 「ボートが揺れるから、足元が不安定なんだ。こうして、俺が手を握ってれば大丈夫」 祐は笑顔で言った。 「ありがとう」 里乃は嬉しそうに言うと、ボートに乗った。 その瞬間、ボートが揺れ里乃は転びそうになる。 「きゃっ!!」 そんな里乃の腰に手を回し、抱き寄せる。 里乃は思わず祐にしがみついた。 「もう、大丈夫」 「うん。ありがとう」 里乃は嬉しそうに言った。 長い入院生活で里乃の体は弱り、足元もおぼつかなくなっていた。 死が近いことを思い知らされるようだった。 それから、二人はボートの座席に座り、祐がボートを漕ぎ始めた。 ゆっくりと進むボートに乗っていると、ゆったりとした気分になる。 静まり返った湖や公園の草木の緑が心を落ち着かた。 二人には会話はなかったが、不思議と気まずくなることはなかった。 むしろ、会話がなくても一緒にいられることが心地よかった。 そんな時間がずっと続けばいいと祐は思った。 しかし、気がつくと時間はお昼近くになっていた。 外出は半日という約束。 だから、帰らなくてはいけない。 「里乃。帰ろうか」 祐はポツリと言った。 「う…ん」 里乃は寂しそうに言った。 祐は岸に向かって、ボートを漕ぎ始めた。 「ねぇ、祐」 「何?」 「あたしは祐が何者かは知らない」 「…」 「でもね。そんなことどうでもいいの。初めて祐に会った、あの日。祐は今にも死にそうな顔をしてた」 「え…?」 俺が…? 人を殺した、あの日…? 「祐に死んでほしくなくて、また会いに来てねって言ったの。そう言えば祐は、あたしに会いに来るために生きてないといけないでしょ?」 「…」 「祐には生きててほしかったの。あたしは長く生きられないけど。祐は生きたいと思えば生きられる。だから、祐には、あたしの分も生きてほしい」 里乃は穏やかな笑顔で言った。 「駄目かな?」 里乃の真っすぐで温かな眼差しから、祐は目を逸らすことができなかった。 里乃と出会ったあの日、祐は殺し屋としてターゲットを殺した後、雨宿りのつもりで病院に忍び込んだ。 時間的に誰もうろついていないだろうと思っていたが当てが外れ、里乃と出会ってしまった。 つまり、あの血は人を殺した時についた返り血だ。 これで何人目だろう? 数えきれない…。 いつのまにか、人を殺しても、返り血を浴びても、何とも思わなくなっていた。 いや…違う。 本当は…そのことを考えると心が壊れてしまいそうで、何も感じないかのように装っていた。 自分が人殺しだということを…。 ずっと、見ないようにしていた自分の心から、痛みを伴う感情が溢れ出てくる。 本当は、そんな人間になりたくなかった…と。 祐の頬に涙が零れる。 「祐…」 祐はボートを漕ぐのを止めて、俯いた。 涙が溢れて止まらなくなる。 「祐。大丈夫よ」 里乃は、そう言って肩を震わせて泣く祐の手を包みこむように自分の両手で握った。 その温かい手に祐は安心感を感じる。 この手の持ち主は心から自分を心配してくれてるのだと…。 里乃のいう通り、祐は死にそうな顔をしていたのかもしれない。 そう思えた。 里乃がいてくれれば、俺は人間でいられる。 まだ、俺が殺し屋だということは言えない。 でも、里乃なら全てを受け入れてくれるはず…。 だから、もう殺し屋はやめよう。 里乃の傍にいるために…。 そう決断した矢先、里乃は帰らぬ人になってしまった。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加