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「シュカさん。こんばんは」
曼珠社に、幼い声が鳴る。
声に反して、姿は近くの高校の制服を着た少女。声に比例するように、小さな体の女子高生。
「あやめちゃん。今帰り?」
シュカと呼ばれた女性は、赤い着流し姿で、曼珠社の境内を掃除していたところだった。
彼女が毎日掃除をしているから、いつも境内は綺麗だ。古さは感じても、劣化を感じないのは、彼女のおかげだろう。
竹帚を持ったシュカと、学校帰りのあやめを、夕日が染め上げる。境内に咲いている彼岸花のように。
「先生にわからないところ聞いてたら、遅くなっちゃった。まだ五時なのに、もう日が傾いててちょっと焦った」
「すっかり日が沈むのも早くなってきたものね」
「もうシュカさん帰っちゃったかと思った」
「別に毎日来なくていいのに」
「私が好きで来てるだけですから」
「そう? なんだか照れちゃう」
手を頬に当てるシュカの姿を見て、あやめはかわいらしいなと微笑んで、今日あった出来事を、とりとめのない話から、嬉しかったこと、腹の立ったことを話し始める。シュカはそれを、笑顔で聞いている。
これだけ親しくしていて、あやめは、シュカのことをあまり知らない。
あやめだけじゃなく、この町の人は、誰もシュカのことを知らない。
夕方になると曼珠社に現れて、社から鳥居から、全てを綺麗にして、そのあとじっと社に祈りを捧げていることから、この社の巫女様なのだろうと、町民は納得している。
いつからいるのかもわからないが、害のないことだけは確かだと、町民は彼女の存在を容認していた。
あやめはといえば、何も考えておらず、中学生の頃に初めてシュカと話して、かわいい人だなと思ってから、友達のような感覚で毎日通うようになっただけ。
遠巻きにしたり、敬う人ばかりの中で、シュカにとってあやめは特別だった。
だから、あやめも気づいていないが、この町で誰よりもシュカのことを知っているのは、あやめだ。
意外とそそっかしいところ、ぼんやりしているところ、話が好きなこと、よく笑うこと。
あやめが当たり前だと思っているシュカの一面を、町民は知らない。
これからも、きっと。
一通り話し終え、辺りもそろそろ暗くなり始めた頃に、ふと、あやめが境内の奥へと進む。
「どうしたの、あやめちゃん」
社の裏にある、いくつかの彼岸花。それを見て、あやめは首を傾げた。
「ねえシュカさん、この彼岸花、気のせいか、数が減ってる気がするんだけど」
「よく気が付いたね、あやめちゃん」
「子供の頃はもう少したくさんあった気がしてさー」
「そうだね。この境内に咲く彼岸花には、少し言い伝えがあるのよ」
「どんな?」
「もうずっと昔のお話」
シュカは、何かを思い出す様に目を細めて、彼岸花を見つめた。
あやめもそれに倣って、彼岸花を見つめる。
「悪いことをたくさんした女がいてね、その女が悪事に失敗して、酷いケガを負って、この社まで逃げてきたの。酷いケガでね。もう助からないのはわかっていた。そこに村の男が来て、女を助けようとするの」
「素敵な話の予感」
「残念ながら、そうじゃないよ。本当に助からない傷だった。それでもどうにかしようとする男に、女は気まぐれに、自分の持っている金を渡した。売れば数年は食っていけるくらいのものをね。そして女は死んで、男がそこに埋めてやった。そうしたら翌年から、ここにたくさんの彼岸花が咲くようになったってお話」
「やっぱり素敵な話じゃない」
「そう思う?」
「うん」
「彼岸花はね、その女がまだここに留まっている証拠なの。悪いことをしてきた女が、罪を償うために、あの世に逝かせてもらえずに、縛り付けられてるんだ。やっとここまで減ったけど、あとどれくらいかかるか」
「じゃあ今も、女の人の魂はここにあるの?」
「そう。そして、彼岸花が咲かなくなったら、やっと成仏できるんだろうね。まあ、地獄行きだろうけど」
寂しそうに笑うシュカの横で、あやめは首を傾げて腕を組んだ。
「うーん。そうかな?」
「え?」
「たぶん、天国に行けるよ」
「悪い人なのに?」
「だって、そんなに長い間縛られてたなら、それが立派な罰だよ。それに、最後に良いことしたじゃない? それを見て、神様は罰を与える代わりに、それが終わったら天国に行けるようにしてくれてるんだよ。きっとそう」
自信満々に頷くあやめに呆気にとられたシュカだったが、笑顔を向けられて、思わず堪え切れずに噴き出してしまう。
「ふ、ふふふ、あやめちゃんは優しいね」
「そうかな? だって──」
だっての後が続かずに、シュカは笑いをこらえながら先を聞く。
「だって?」
「だってぇ、ええっと、なんだろう?」
「ふふふ。あやめちゃん、変なの」
周りが暗くなる。だが小さな境内の中だけは、まだ明るく感じられた。
揺れる彼岸花が、淡く光っているようだった。
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