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酒匂と正面玄関で別れ、下駄箱から上履きを取り出した。
癪なことに、今日も爪先が少し余っている。高校に入学するとき「足のサイズも変わるかもしれないから」って、母ちゃんが少し大きめなやつを買ってくれたが、今のところ余計なお世話にしかなっていない。
正直、酒匂がうらやましい。あいつは、高校に入学してから3センチも身長が伸びたんだ。「みっくん聞いて! 俺また背のびた!」と、嬉しそうに報告しにきたあいつの太腿に蹴りを入れたのはつい数日前のことだ。
「うーっす、名城」
朗らかな声とともに、右隣の下駄箱が開いた。
クラスメイトの原田だ。ついでに同じ野球部。今日も朝からノリが軽い。
「見てたぞ、名城。今日も仲良しじゃーん」
「……は?」
なに言ってんだ、お前。
「またまた〜、そうやってすぐにとぼけるんだから。今朝もあやめちゃんと仲良く登校してたじゃーん」
「べつに仲良くねーよ」
制服のズボンに足形をつけたこと、ネチネチ言われてただけだぞ。
それに、俺らは仲が良いから一緒に登校しているわけじゃない。
家が近所かつ通学途中で出くわすから、結果的に一緒に登校している──ただ、それだけのことだろうが。
「いやいや『それだけ』って」
原田は、大げさにのけぞった。
「名城、それぜいたくすぎ! 女子の幼なじみがいるってだけで、お前勝ち組だからね?」
「は? 女子?」
誰が? あいつが?
いや、たしかに女子は女子だけどよ。
見た目は、かなり男子寄りだろうが。
「そりゃ、今はね。けど、そのうち絶対化けるって!」
なんだそれ。
キツネやタヌキじゃあるまいし。
「でも化けんの! 絶対! いつか! 『きれいな女の子』に!」
「おい、唾とばすな」
それと、もう少し俺から離れろ。お前の鼻息がかかって不快なんだよ。
遠慮なく顔を押しやると、原田は「痛い痛い」と悲鳴をあげた。
「ひでーよ名城、力強すぎ! あやめちゃんにはこんなことしてねーだろうな」
「あいつにはもうちょっと手加減してるっての」
「えっ、それってやっぱり女子だから?」
「ちげーよ、後輩だからだよ!」
女子云々で言うなら、そもそもこんなことをしねーっての。
つまり、手加減以前の問題だ。
「しっかし、もったいないよなぁ。あやめちゃん、めちゃくちゃ顔整ってんのに」
──まあ、それはな。
いちおう俺も認めている。今日だって、隣の高校の女子たちにチラチラ見られていたくらいだし。
「性同一性障害とかではないんだよね?」
「違う。あいつのは単に『男勝り』ってだけだ」
「じゃあ、やっぱり化けるだろうなぁ」
いつか。なにかの拍子に。「きれいな女の子」に。
いちいち区切りながら原田は主張するけれど、悪い、俺には想像できねぇ。
だって、初めて会ったときから、あいつはああだったんだ。今さらどんな女子になるってんだよ?
「まあ、俺はどっちでもいいや」
「どっちでもって?」
「女装しようが今のままだろうがどっちでもいい。結局あいつはあいつだからな」
「いやいや『女装』って! あやめちゃん、女子だからね!」
「うっせぇ」
まだ何か言い募ろうとする原田を置きざりにして、俺はさっさと教室へ向かう。
酒匂が女子──そんなのわかってる。小学校を卒業するとき「中学でもみんなと野球続けたかった」って泣いたのはあいつだ。
けど、どんなに周囲が「女子らしくしろ」と言ったところで、本人はそれを望んじゃいねぇんだ。
だったら、もうずっとこのままだろ。たぶん。
それに──俺の本音としては、今の酒匂のほうが有り難い。
あいつが女子に化けたら、たぶんどう接すればいいのかわからなくなる。
もちろん、あいつが女子らしくなりたいって言うなら止めるつもりはねぇ。というか、俺には止める権利もないしな。
ただ「できれば今のまま」──そうひそかに望んでるってだけだ。
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