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俺は、すぐには動けなかった。 だって、そうじゃん。「もう二度と会えない」ってさんざん泣いたあとだったのに。 俺がただ立ち尽くしていたせいか、みっくんはもう一度「おう」って言った。しかも、今度は軽く手を挙げてみたりして。 なにそれ、なんだか小津みたいじゃん。小津が、ときどき芝居がかった仕草を見せるときみたい。ああいうの、あいつには似合ってるけど、正直みっくんにはいまいちだよ。 「どうしたの」 ようやく声を振り絞った。それからグッと眉間に力を入れた。そうしないと、またすぐにでも涙がこぼれそうだったから。ほんと、みっくんのせいで俺の涙腺はどうかしてしまった。 「あのさ」 みっくんは、気まずそうに頭を掻いた。 「俺のせいなのか?」 「なにが?」 「お前が、その……自分のこと『俺』っていうようになったの」 違う、みっくんのせいじゃない。 俺は、俺の意思でそうするって決めたんだ。今思えば、それは小学生ならではの浅知恵だったけど、あのころの俺が必死で考えた結果だし、それを高校生になってからもこうして続けているのも間違いなく俺の意思なんだ。 「だから、みっくんは関係ない。みっくんのせいなんかじゃない」 俺としては、はっきりそう伝えたつもり。なのに、みっくんの表情は変わらない。気まずげに視線をさまよわせたまま、何か言葉を探している。 「あのよ」 長いため息のあと、みっくんはようやく口を開いた。 「あいつが言ってたじゃん。お前を好きだっていう、中庭でお前が庇った──」 「小津のこと?」 「そう、そいつが言ってただろ。俺がお前に呪いをかけたって。俺が、お前に『女はダメだ』みたいに思わせたんだって」 「……そうなの?」 「そうだよ。つーか、覚えてねーのかよ?」 覚えてない。ごめん。 たぶんそれ中庭にいるときに言われたんだよね? 3人揃ってたの、あのときだけだし。 ごめん、みっくん。それと小津も。 ぜんぜん聞いてなかったよ。あのときの俺は、ただただ壊れたみたいに泣いていたから。 「お前さ」 みっくんは、相変わらずうつむいたままだ。 「やめとけよ、もう」 「何を?」 自分を「俺」っていうこと? それとも、みっくんを好きなこと? だとしたら、わざわざ言われるまでもない。どっちも、ちゃんとどうにかするよ。今すぐには難しいかもしれないけど、もう「俺」っていう意味もなくなったし、みっくんを好きでいることだって── 「いや、そうじゃなくて」 ああ、くそ、とまたもやみっくんは頭を掻いた。今度は乱暴に。なにかに苛立っているみたいに。 「もうあいつに頼るのやめろ」 「……あいつ?」 「小津だよ、小津! あいつは気に食わねぇ。クソイケメンだし、ひとのこと部外者扱いしやがるし」 よくわかんない。 小津がイケメンだから気に食わないってこと? 「でも、小津はいいやつだよ」 「誉めんな」 「愚痴きいてもらったし」 「なんのだよ」 「いろいろ……みっくんのこととか」 「勝手に俺の愚痴こぼしてんじゃねぇ」 軽くふくらはぎを蹴られた。ほんと、みっくんは昔から足癖が悪い。手を大事にしているのはわからなくもないけど、足の怪我だって野球するには大きく関わってくるのにね。 その手を、俺はジッと見た。 みっくんは、俺より背がちっちゃいのに手は俺よりひとまわり大きい。 それに、てのひらが分厚い。 小指がちょっと変形しているのは、中学生のときに骨折したせい。いつだったか、雨が降る前に少し痛むって愚痴をこぼしていたっけ。 俺の視線に気づいたのか、みっくんはギュッと右手を握りこんだ。 「あのよ。──手でもつないでみるか」 「えっ」 「お前とは付き合いが長ぇから、たぶん気づいてるだろうけどよ」 俺、女子が苦手なんだ。 全般的に苦手で、特に好意を向けてくるやつがダメで、だからもしかしたら鳥肌とかたつかもしれねーけど。 そう前置きしたあと、みっくんは「ほら」と右手を差し出してきた。 「お前なら、ギリ大丈夫かもしれねぇし」 「……」 「試しに、つないでみるか?」 俺は、まじまじとみっくんを見た。 ううん、正確にはみっくんのつむじを。 だって、みっくんはまだうつむいたままだったから。 でも、これまでとはちょっと違う気がする。気恥ずかしいような、照れているような──もちろん、俺が勝手にそう思っているだけかもしれないけれど。 「いいの?」 「おう」 「本当に? いいの、俺と手をつないでも」 「だから、さっきから『いい』って言ってんだろ」 ああ、ダメだ。また泣いてしまいそうだ。 それでも、俺は手を伸ばさずにはいられない。 だって、ずっと夢みてた。こんなふうに、みっくんに触れること。 「……鳥肌たった?」 「いや、大丈夫っぽい」 それから、てのひらで乱暴に頬をぬぐわれた。「お前、泣きすぎだろ」ってちょっと笑いながら。 ああ、どうしよう。 好きだ。みっくんが好き。大好き。 だから涙がとまんない。 「あのさ」 「おう」 「俺──私、昔からみっくんのことが好きで」 「おう」 「同じ野球チームに入る前から、みっくんのことが大好きで」 「……うん?」 「みっくんは覚えてないかもだけど、私、野球チームに入る前からみっくんのこと知ってて、みっくんのことが大好きで」 だから、今からその話をしてもいいかな。 むかしむかし、俺になる前の「私」が、みっくんに恋したときのことを。
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