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幼なじみの酒匂は、毎朝俺を追いかけてくる。
時刻はだいたい7時20分を過ぎたころ。
家を出てすぐの交差点、あるいはその横断歩道を渡った先のあたりで、いつも足音が聞こえてくる。
軽やかな、どこか楽しげな響き。
それを耳にするたびに、俺は「ああ、酒匂が来たな」と思うし、実際そのあとすぐに後ろからスクールバックを引っ張られる。
「みっくん、おはよ!」
俺より少し高い目線。
こいつは、一コ下のくせに俺より5センチほど背が高い。くそ、生意気なやつめ。
「ねえねえ、あのさ、あれ見た? 昨日俺がおすすめしたネコ動画──」
「見てねぇ」
「なんで!? 可愛いから見てって言ったじゃん」
うるせぇな。
こっちは、連日部活でしごかれてクタクタなんだよ。
「じゃあ、あれは? BSでやってた『野球ソウル』──」
「観た。マジでヤバかった」
「昨日のもさ、かなりマニアックだったよね。特に、現役のプロ選手が語るキャッチャー論」
「アレな。オンエア見たあと5回はリピートした」
「ちょっ……多すぎ! さっきクタクタだって言ってたじゃん」
「うるせぇな、野球は別腹だろうが」
「食べ物じゃないけどね。言いたいことはわかるけどね」
夢中になって話しこんでいるうちに、最寄り駅に到着する。
改札を抜け、ホームに出ると今日も人があふれていた。
スーツ姿のおっさん、ゆるい私服姿の男、斜め前にいるのは隣の高校の制服を着たやつらだ。
そのなかの数人の女子が、ちらちらと酒匂を見ている。数日前「かっこいいよね」「声かけてみなよ」「えー」などと肘でつつきあってた気がするが、今日も声をかける度胸はないらしい。
「そういえば俺、みっくんにお願いがあってさ」
「ん? なんだよ」
「あのさ、今度数学のテストがあるんだけどさ。俺、そこで赤点とったらいよいよヤバくて──」
ああ、ハイハイ。
こいつが何を頼みたいのか、だいたいわかっちまった。
「過去問か?」
「うん! みっくん、去年大原先生だったよね? だから……」
「ダメだ、貸さねぇ」
「ええっ、なんで!?」
「丸暗記は勉強じゃねぇ。そんなのお前のためにならねぇだろうが」
甘ったれんじゃねぇ、と細いふくらはぎを蹴り飛ばす。
手加減してやったにも関わらず、酒匂は「ひどい!」と大げさに飛び跳ねた。
「何すんの! このズボン、クリーニングから戻ってきたばかりなのに!」
「知るか」
「ほら見てよ! これ! みっくんの足跡!」
「そんなの手で払えばいいだろ。それかスカート履いてこい」
お前が入学するとき、おばさん嘆いてたぞ。「ズボンとスカート、両方買ったから制服代が馬鹿にならなかった」って。
「スカートは……足がスースーして好きじゃない」
「じゃあ、我慢してそのズボン履いてろ」
「みっくんが蹴らなきゃよかったんじゃん!」
「うるせぇ、お前が『過去問貸せ』とか甘ったれたこと言うからだろうが」
「それくらい、俺以外のみんなも言ってますー!」
頬をふくらませる酒匂の背後で、例の女子たちが驚いたように顔を引きつらせている。
ああ、やっぱり気づいてなかったのか。
こいつ、背が高いし、髪も短いし、声は低めだし、制服はズボンだし、なにより自分のことを「俺」っていうから、すげー誤解されやすいけど。
名前は、酒匂あやめ。
性別は女。
あんたらと同じ「女子高生」だ。
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