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ある夏の日。暑すぎて外に子供達を連れ出す気も失せた佳代が、子供達を室内で遊ばせていると、大人しくクレヨンでお絵描きをしていた娘の縁が大声で佳代を呼んだ。
「ママ~、クレヨン買ってきて~」
作業をしていたキッチンから出て縁に近寄った佳代は、テーブルに置かれた箱の中身を覗き込む。
「分かった。また短くなったのね。今度はどの色かな?」
幼稚園に入ったばかりの頃はぐしゃぐしゃの不格好な丸しか描けなかったのに、子供の成長は速いなとしみじみ思いながら確認すると、これまで何度もバラ売りのクレヨンを補充した色とは異なり、白だけがほとんど使われないまま箱に収まっているのが目についた。
「縁、白がほとんど減ってないけど。使っていないの?」
何気なく佳代が問いかけると、縁が少し怒ったように言い返してくる。
「だって白、描けないもん。つまんな~い!」
「ああ……、うん。まあ、白い画用紙に普通に描けば、分かりにくいわよね……」
(わざわざ白を塗らなくても、縁取りすれば雲も羊も描けると教えたのは私だし。でも、色々使い方があるんだけどな……)
そこで佳代は、この際娘に白の魅力を知ってもらうべく、行動を開始した。早速スマホで検索し、ある場所に電話をかける。それから彼女は子供部屋に行き、息子の翔に声をかけた。
「翔、ごめん。小学校から絵の具セットを持って帰ってきてるわよね? ちょっと貸して。それから商店街の文房具やさんに、お使いに行って欲しいんだけど」
「分かった。今出すから、ちょっと待って」
翔が棚から絵の具セットを引き出し、怪訝な顔で佳代に手渡す。
「はい。何に使うの? それから、何を買ってくれば良いの?」
「クレヨンと色画用紙よ。さっき電話して、在庫は確認したから」
「はぁ?」
益々変な顔になった翔だったが、買ってくるもののメモと代金を受け取って、素直に買い物に出かけた。
「縁、その白いクレヨンで雲を描いてみてくれない?」
翔を見送った佳代は、手早く絵の具とパレット、絵筆を準備して、縁の所に戻った。すると縁が、不思議そうに見上げながら問い返してくる。
「くも? 空の?」
「そう。この辺りに」
「うん」
画用紙の一角を指さしながら頼むと、縁は白いクレヨンをつまみ上げ、その場所に雲らしき物を描き始める。しかしもこもこの雲の形を塗りつぶした縁は、いかにも不満そうに呟いた。
「やっぱり、分からないよ……」
「じゃあ、こうすればどうかな?」
縁が画用紙に白いクレヨンを塗っている間に、パレットに青の絵の具を絞り出していた佳代は、水を多めに含ませた筆でそれを混ぜ、縁が白を塗った場所とその周辺一帯を塗りつぶした。すると画用紙が明るい青に染まり、その中で白いクレヨンが水分を弾いて浮かび上がる。
「雲が出てきた! すご~い!」
思いもよらない結果に縁は喜び、そんな娘に佳代が再び提案する。
「それじゃあね、次はこの辺りに羊さんを書いてみようか」
「うん! 羊さん!」
縁が嬉々として同じ画用紙の下の方に羊を描き始めると、その間に縁はパレットで絵の具を黄緑色に調整した。
「描けたね。じゃあ塗ってみるよ?」
そして縁が羊を描いたであろう場所の周囲一面に黄緑色の絵の具を塗ると、野原の中に再び白い羊が浮かび上がる。
「羊さん、出た!」
「出たね~」
縁が上機嫌に笑っていると、ここで翔が買い物袋を提げて戻って来た。
「ただいま。全部買ってきたよ」
「ありがとう、翔」
「ところで、この黒い画用紙、何に使うの?」
「花火を描くのよ」
「花火?」
益々訳が分からないといった感じの表情になった息子に、佳代は「まあ、見ていなさい」と言って机に黒の画用紙を広げた。初めて見る白色以外の画用紙に、縁は興味津々で覗き込んでくる。そんな娘に、佳代はクレヨンの箱を引き寄せながら声をかけた。
「縁。これに色々な色で、花火を描いてみようか。夜の空みたいに黒いから」
「うん! 花火描く!」
そして意気揚々と縁は描き始め、何種類ものクレヨンを使って画用紙一杯に花火を描き上げた。
「ママ、お兄ちゃん、できた!」
しかしそれを得意満面に見せられた翔は、微妙な表情で正直な感想を口にする。
「うん、まあ……、花火、だよな……。でも全体的に暗いし、もうちょっと綺麗な色に見えれば良いけど。黒じゃなくて、紺色とかの方が良かったんじゃないかな?」
「まあ、そう言わずに。縁、私も描いていたから、この白い花火の上に、好きな色をつけて頂戴」
「これ? うん、分かった」
佳代は苦笑いしながら、この間、白一色で花火の形を描き込んでいた黒の画用紙を縁に手渡した。それを縁は、怪訝な顔で受け取る。そして白い線の上に赤や黄色、緑や青の色を乗せていったが、先程の自分が描いた花火との差異に、すぐに気がついた。
「縁のより綺麗!」
「あ、本当だね。色がはっきり見える」
「白、すご~い! もっと描く~!」
「はいはい、画用紙はまだあるから大丈夫よ。白はそれだけじゃ見えない事もあるけど、周りの色を引き立てるし、とっても優しくしてくれる頑張り屋さんの色でもあるのよ? だから嫌わないでね?」
「優しく?」
きょとんとした顔になった縁から翔に視線を移した佳代は、問いを発した。
「翔。学校で、白と他の絵の具を混ぜて、色を作っていない?」
「あ、それか。じゃあ縁、お兄ちゃんが教えてあげるから」
「え? なになに? お兄ちゃん、教えて?」
そこで翔が佳代からパレットを受け取り、得意げに絵の具を混ぜ合わせ始める。
「ほら、まずこれ。白の中に少し赤を混ぜると……。ほら! ピンクはこうやって作るんだぞ?」
「ほんとだ! 白、すご~い!」
「青と混ぜると……、水色になるし、黒と混ぜると……、灰色になるだろ?」
「うん!」
「黄色も緑も、白と混ぜると優しい感じになるよな?」
「うん、やさしいねぇ。白ってすごいね! もっと白で描いてみる!」
「よし、じゃあ色々塗ってあげるし、黒の画用紙もまだいっぱいあるから描いていいよ」
「分かった!」
そして嬉々として縁が再び白のクレヨンを握ったのを見て、佳代は翔に声をかけた。
「翔、悪いけど、そろそろ晩御飯の支度をしないといけないから、縁に付き合っててくれる?」
「うん、いいよ。任せて」
「ありがとう。お願いね」
そして佳代は、時折リビングの方から響く、縁の白と兄への賛辞する言葉を聞きながら、夕食の準備を進めた。結局、縁の白を崇め奉る白の色祭は、夕食を挟んでその日寝る直前まで続いたのだった。
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