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永遠のような一瞬の後、ムライが答えた。
「不可能だ。我々は、火星軌道に到達できる輸送機を持たない」
そして、地球は火星に輸送機を飛ばさない。
リンは額に手を当てた。
目眩がした。
伝達事項の後、ムライが最後に言った。
「通信は以上だ。夜明けと共に、貴女の選択を待つ」
通信が終わった。
約一年ぶりの会話は、ふつりと切れた。
与圧部内が元の静けさに戻る。
ムライの送ってきたデータに、カウントダウンが表示された。秒単位で正確に、残り時間が減少する。
選択の瞬間は、グリニッジ標準時刻〇時。
月基地の夜明け時刻。
地球に落ちて死ぬか、月の重力に縛られて生涯を終えるか。
いずれにしろ、火星には戻れない。
「これが、現実」
これが、リンたちの選択の結果。
次の瞬間、リンは叫んだ。
怒りと絶望と悔恨と――感情のまま、ただひたすらに叫び、息をつぎ、また叫ぶ。
それが、今リンに許された唯一のことだった。
叫ぶだけ叫び、全身で息をする。それでもリンの頭は、考えることを放棄していなかった。
「大丈夫、夜明けまであと五時間」
喉が痛かったけれど、リンは自分に言い聞かせるため、敢えて言葉を口にする。
あと五時間の、選択前夜。
ムライの言葉の真偽を調べ、別の道を探る。
ムライがくれた月基地のデータへのアクセス権をフル活用して、リンは目を皿にして情報を集めた。機体と天体の正確な位置、太陽の観測データ、地球圏の歴史、月基地の設備――
五時間後――
リンは仰向けに浮かんでいた。
――キミの計算を信頼している。
それは、地球を出る時の、ダイモス脱出を決めた時の、クリスの言葉。
「クリス……ごめんなさい」
リンの計算結果は、ムライのデータと一致していた。
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