28.懺悔

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28.懺悔

 日中暖められた空気が未だ冷めやらぬ夕方の公園で、夏樹と春音は手の中にある缶コーヒーの冷たさを感じていた。 「怨むって、何故? 俺は、二人の間には、兄妹以上の繋がりがあった気がしていたけど」  夏樹は、あまりに意外な春音の言葉に、隣に座る彼女の顔を覗き込んだ。 「そうね、確かに冬也と私の間には、特別な感情はあったわ。それでね、両親が、親戚のお葬式で、二晩留守をした隙にね、私、お風呂場で裸の冬也を襲っちゃったの」  春音は、夏樹に顔を向けると恥ずかしそうに肩を上げた。 【襲うって! えええええ!】  あまりこう言った文字に慣れていない夏樹の頭は、パニック状態になった。  そして、自分の事ではないにもかかわらず、顔がどんどんと熱を帯びる。 「冬也が高校に上がると学校ではもう会えなくなったから、ある日、冬也の高校まで彼を見に行ったの。そしたら、学校から数人の女子に囲まれた冬也が出てきて、駅まで一緒に歩いて行った。中学の時もそうだったけど、高校でも冬也はモテるって聞いていたし、私、すっごく不安になってしまって。彼の私への気持ちが誰よりも深いって知っていたけれど、それでも、何かちゃんとした繋がりが欲しかったんだと思う。今、思えば馬鹿みたいだけど、あの頃は冬也が私の全てだったから」  春音は、視線を遠くに移すと、一つ溜息を付いた。  夏樹は、そんな春音を見つめながら、静かに次の言葉を待った。 「あの晩、冬也が、お風呂場に居る時に、私もね、裸で入ってね、冬也にお願いしたの。でもね・・・・」 『俺、春の事は大切にしたい、だから、やっぱり俺、出来ない。ちゃんと、春が成人して、両親にも認めて貰うまで、な、我慢しよう』  冬也の主張は正しいと分かっていたが、春音は心の乱れを抑える事が出来なかったのだ。 『嫌、私、不安なの。冬也を誰かに取られるんじゃないかって。しっかりと繋がりたい、ちゃんとした証が欲しい』  俯いたまま春音の裸を決して見ない冬也の背中を、春音は自身の肌を擦り付けるように抱きしめた。 『冬也、お願い・・・・』  冬也の拒んだ声が、今でも春音の心の奥深くに突き刺さり、後悔の念を刻みつける。 「冬也は私の我儘に負けてね。男だもんね。・・・・その2日後、冬也は事故に遭って死んだ。・・・・呪われた私の犠牲となって死んだ。その身体は切り刻まれて、臓器を抜き取られて・・全部・・私のせい! 私が罪を犯したから! さっきの人が言ってた通り、私は母親と同じで・・穢れているの」  苦しい言葉を放つと、ギュッと目を瞑った春音は下を向いた。 「だから、冬也は私を怨んでいる」  ポツリと心の声が零れる。  夏樹は、春音から発せられる苦悩に必死で寄り添おうとした。そして、あまりにも巨大な後悔の重みに、ずっと耐えて来た彼女を支えてあげたいと思った。 「呪われているなんて・・・・もし、俺が冬也さんだったら、きっと春音さんの事を怨んだりしませんよ」 「でも・・・・」 「だって、死ぬ前に童貞も卒業出来ず、愛した人も抱けずにって、無念過ぎて化けて出たい気分になると思います。男だったら絶対にそう!」 「へ?」  春音は、自身満々に応える夏樹の思いがけない意見に、彼の方に顔を向ける。 「それに、ほら、冬也さんってそんな事で怨むような人には思えないし。だから俺・・・・」  冬也の顔を知らない夏樹だか、彼が春音を抱くのを想像すると心がチクチクとした。 【嫉妬だ】 「冬也さんに嫉妬しちゃうなぁ」  ポツリと溢した夏樹の言葉が春音の心に届く。 「夏樹君・・そんな風に考えた事、今までなかった・・・・」  春音は、目を真っ赤にさせ涙を流しながら、それでも恥ずかしそうに目元を緩ませると微笑んだ。  その笑顔が夏樹の脳を刺激し、再び昔の光景が蘇る。 【泣きながら、恥ずかしそうに笑う女性。感情豊かだなぁって思った人】  そう、大学の芝生で横になっている夏樹の足に、躓いて転んだ女性。 【春音さんだったんだ】 【忘れていた、俺の一目惚れ】  一目惚れだと気付かずに何処かに置いて来た感情。それを取り戻した夏樹は、これまでの全ての事を理解した。  そして溢れ出す想いに抗えなくなった夏樹は、突然隣に座る春音を抱きしめた。 「俺、神木先生の事が大好きです。冬也さんにも心から感謝しています。でも、俺、春音さん、貴方が好きです。大好きです。この想いに気付いたのは今だけど、大学で春音さんが俺に躓いた時から、そう、もう、ずっとずっと前から好きだったです」  夕日が何処かに隠れ、交代にポツリポツリと顔を出し始めた星達が、春音と夏樹を照らしていた。  そして、抱き合う二人の様子を、横目でチラリと見ながら歩行者が通り過ぎて行く。  恥ずかしさで一杯の春音だったが、夏樹の誠実な告白に胸を打たれたのと同時に、今まで背負っていた罪を軽くしてくれた夏樹に感謝し、抱かれたままで身を預けた。 「ごめんなさい。俺、つい、気持ちが昂ってしまって」  夏樹は、春音をそっと自身から離すと、彼女と目を合わせながら謝罪した。 「ううん。こんな年になっても告白されるって、やっぱり嬉しいものね。有難う」 「俺、恋って良く分からなくて、気付くのに随分と時間が掛かってしまいました。ハハハ」  夏樹は、右手で頭を掻くと苦笑いをする。  春音は、そんな夏樹を優しい瞳で見つめながらも、困惑した自分の正直な気持ちを伝えようと意を決す。 「夏樹君、あのね、気持ちを打ち明けてくれて本当に有難う。そして、多分私も貴方の事が好き? ・・・・でもね、ごめんなさい。この気持ちが、夏樹君みたいに素晴らしい人の中で、冬也が蘇っている事を凄く嬉しく思った・・だけなのか? それとも夏樹君に惹かれたのか、自分でも分からない」 「春音さん、確かに俺の中に冬也さんの心臓があります。でも、これからは、加瀬夏樹と言う人間を見て貰えませんか?」  夏樹の真っ直ぐな視線を、真剣な面持ちの春音がしっかりと受け止める。 「うん。分かった。今まで夏樹君と冬也を重ねるなんて、とても失礼な事をしていたと思っています。ごめんなさい」 「それは良いんです。冬也さんって人が少しでも理解出来て、俺は感謝しています」 「そう言って貰えたら、冬也も喜ぶと思う。有難う」 「俺、春音さんからの返事、どれだけでも待ちます。ただ・・先日行った講演会覚えています?」 「うん。アメリカ人ドクターの講演会?」 「そう。ドクターマッケンジー。俺、来年あの先生の元で勉強するために渡米します」 「え?」  春音は、素晴らしい機会を得られた夏樹への激励と同じ位、若干寂しい感情が湧き出た自分に驚いた。 「それまでに答えが欲しいとか、一緒に行こうとか、そんな事は考えていません。ただ、俺が来年から暫く日本を離れる事を知って貰いたかっただけだから」  夏樹は、全てを吐き出せたのか少しホッとした表情をつくる。 「夏樹君、臓器移植外科に向けて前進するのね。凄い」  春音は、右手でガッツポーツをした後、頭に浮かんだ事を告げる。 「あ・・のね、夏樹君の心臓が冬也のだって、愁には私から伝えます。もし、彼が取り乱したら許してあげてね。愁と冬也は本当に仲が良かったから、私よりもずっと寂しい思いをしているはずなの・・」  春音が神木に対して、どこか遠慮をしている気がして夏樹は不思議だった。こんなに長く生活を共にしていれば、もっと家族の様であってもいいと思ったからだ。 「分かりました。俺、大丈夫ですよ」  いつも間にか辺りが暗くなっており、街灯が光を放っている事に気付く。 「帰りましょうか。お腹空いた」 「そうね。私も」  二人は、ベンチから立ち上がる前に夜空に輝く星を見つめた。まるで、あの中の一つが冬也である気がしたからだ。
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