怒りの正体

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 怒りというとよくないイメージがあるが、ある種の人たちにはとても都合のよいものである。  病院の順番待ちに耐え切れない高齢男性、部下を従わせたい無能な上司、理論立てて説得も説明もできない小娘……こうした類の人間は、怒りという感情の持つ圧倒的な優位性をわかっている。いや、無意識のうちに使っているのかもしれない。  怒りという、欲がむき出しとなる感情を使う恥を知る人間は、決して怒りを外には出さない。ーーしかし、内には持っている。だから、有名人などの哀れな失態に対して、SNSにこれでもかと書き込んだりする人があるのだろう。  では、正当な怒りなどあるのだろうか。  先に、通信販売で購入した品物がいつまでたっても届かないということがあった。いろいろ調べた結果、商品発送元に登録した住所のマンションの部屋番号が間違っており、2つ隣の部屋に届いたのは確実だった。しかし、発送元にも配達業者にもマンションの管理室にも、誤配の連絡は届かなかった(管理会社に頼んで、申し出てほしい旨の掲示をしたにもかかわらず……)。  諦めていた頃、私は初めて、2つ隣の部屋の住人の顔を見た。目が合い、思いっきりにらみつけたのであるが、相手は薄ら笑いを浮かべていた。ーー確かに、私が先の荷物の受取主であるなど知る由もないし、気味の悪い住人だと思ったのであろう。  私は確かに怒っていた。正当な怒りであるという自覚もあった。しかし、これほどむなしく屈辱的な怒りは初めてだった。  そして気づいた。怒りとは、こちらが無駄な期待をする代償であることに。無駄な期待は欲であるのだ。期待するから裏切られる。こちらの欲が通じるなどという幻想を抱くのが間違いのもとなのだ。  怒る人のいいなりになってはいけない。  欲に翻弄される浅はかな自らの心のいいいなりになってはいけない。  怒れる人の顔は醜い。ーーおそらく、その場に誰かが居合わせたのであれば、薄ら笑いを浮かべた盗人の顔より、私の顔の方が醜かったにちがいない。  
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