彼女の首の傷

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「……美晴?」  雅の戸惑った顔。思い通りにならなかった人の顔。私の中に得体の知れない快感が広がった。 「邪魔しないでよ!」  雅はビクッ、と全身をこわばらせた。 「夢でも、幻だったとしても私、幸せだったのに! 余計なことを!」 「え、美晴、何言ってるの……」  助けに来てくれて嬉しい、一瞬そう思った。  だけど。  頭に汚されたスニーカーが浮かんだ。  戻ったところで現実は何も変わらない。  あんな日常に戻るくらいなら……ここにいた方がマシだ。    何よりも。正義のヒーローみたいな雅の言い方が、希望に満ちた目の輝きが、自信に満ちた態度が気に食わない。  私が見下していたはずなのに、なによその目。 「助けるって言うなら、もっと早く学校で助けてくれたらよかったのよ。  人外の世界? そんなところに来る力を持っているくせに、話してもくれなかった。特別な力があると、鼻にかけて内心私を馬鹿にしていたんじゃないの? 友達だと思ってたのに!」  悲しそうな顔。まさか私に罵倒されると思わなかっただろう。  助けて、感謝されようと思ってたんでしょ?  胸がすっとした。  でも、なおも雅は一歩踏み出す。 「ねぇ、私のことはいくら恨んでくれても構わない! とにかく今はこの手をとって! もう時間がないの!」  それは嘘ではないらしく、雅の体は徐々に薄くなっていく。懐中電灯の明かりが弱くなり、向こう側の闇が透けて見える。 「嫌よ。戻ったってろくなことないじゃない!!」  言葉に平手打ちされたように雅がはっとする。同じ惨めな日々を彼女も知ってる。  ああ、傷つけたな、とわかった。  でも止められない。 「それにこの首の傷。戻ってもまともな生活送れないんじゃない?」 「それは……」  言い淀む彼女。  私に伸ばしていた手が、だらりと下りる。  ほら、結局私は救われない。 「中途半端に助けようとしてるんじゃないわよ」  最後にどん、と彼女の上半身を突き飛ばす。  衝撃が引き金になったかのように雅は急速に消えていく。 「私、残る。ここで見る幸せな夢に魅せられたの。  さよなら」 「美晴、何言ってるのよ! 戻ってきて!」  叫ぶ声に私は耳を塞いで背を向けた。  あたりは沈黙に包まれる。  私はとぼとぼと元いた場所に戻る。  ピンクのゲルが入った大きな白い容器。  (へり)に上がるのに一苦労した。  ひどく疲れた。このままここに沈んだらもう二度と動けないかもしれないという予感があった。  後悔が一つ。  私の選択は母を悲しませるだろう。  雅と戻ったら母を泣かせない未来があっただろうか。  そんなことを思ったけど。  もう、戻りたくない。  疲れた。なにも考えたくない。  私の体はゆらりと、容器の中に向かって倒れ込んでゆく。  さよなら私の世界。  ろくでもない現実。  偽りでいい、私を幸せにして。 「とぷん」
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